万物ばんぶつめぐみの偉大いだいなる父足る太陽の光度は、快晴かいせいの真昼の下では人間に100,000ルクス程もの莫大ばくだい影響力えいきょうりょくを日々与えている。これが学校の教室内ならば、室内照明器具しつないしょうめいきぐの使用と窓からの採光さいこうにより、黒板近くでは500ルクス前後に保たれる様にこの国でも定められているらしい。月の光等満月でも高々0.2ルクスに過ぎない。所詮しょせんは偉大なる太陽の模倣もほう反射光はんしゃこうだ。高々母成る地球にまとわり付き、ワルツの相手に成っているだけの、石塊せきかいの放つ忌々いまいましいカーボンコピーのライト。


 ーそのカーボンコピーが……。

 ー私の中の獣を、解き放つ。


 私は真夜中の校庭に忍び込み、この学校では春先にここで告白すれば、必ず相思相愛そうしそうあいに成れると昼間のTwitterの小耳にはさんでいた、伝説の、ち果てた、花も咲いていない桜の木の下で、来客を待っていた。…忌々しい満月を眺めながら。

 眺めている内に、身体中の血液が…音を立ててき上がる。身体が熱い。かゆい。代謝たいしゃが高まり、意図的いとてきに抜いてきた夕食の食欲は、殺気へと変貌へんぼうしていく。


 ー唯、月の光を浴びているだけだ。

 ー0.2ルクスの、何の造作ぞうさも無い、まらない光。

 ーそれが、それだけの事実が。

 ー私の中の獣を、解き放つー。


 高まる殺意の代謝と痒みから、胸ぐらをむしり始めた丁度その頃に、来客の足音は聞こえて来た。

 それは、切りかぶに頭を打ち付けに来た間抜けな野兎のうさぎか、はた又迷えるあわれな贖罪しょくざい山羊やぎか。

「呂模~? 言われた通りに来て上げたわよ? ……ってえ? 呂模じゃない……?」

「貴女をLINEでここに呼び付けた大神呂模さんなら来ませんよ? ……間抜まぬけで哀れな羊子さん。クスクス……」

「ゲエッ!? あ、あんたは……犬美!?」

 宵闇よいやみの満月の光は私の視界に、戸惑とまどう羊子の間抜け面を正確にとらえさせただけの光度は有った様だ。

 私は、事の運びが滑稽過こっけいすぎて笑いがこぼれて止まらない。

「クスクス……。今夜は月が綺麗きれいですよねえ……嗚呼ああ、貴女が御住まいの国の過去の文豪ぶんごうは、こんなクライマックスのれ場にはそんな台詞せりふで女を口説くらしいですねえ……クスクス」

「な……何言ってんのあんた!? 」

「死んでも良いわ。何て、愚昧な羊に返せる程のウィットは有りませんか……クスクス」

「キモい! キショい!!」

「クスクスクスクス……」

 私の身体の科学反応はそこで、唐突とうとつにピークに達しようとしていた。体毛が急速に生え立ち、爪が音を立てて伸び、目頭に火が点いた様な感覚。月光の暗がりで夜盲やもうに掛かっているのでは?と思われていた羊子も、愚昧ぐまいな頭でようやく事の異変いへんに気が付き始める。

「……!? いっ犬美!? 何その身体!? ひいっ……化け物!!!」

「滑稽ですよねえ……人の皮をかぶっただけの、人間として心のみにくい化け物が、今こうして相対峙あいたいじしていらっしゃるとは……」

 己の生命の危機ききを感じ取った羊子が、そこで咄嗟とっさに脱兎の如く逃げ出す素振りを見せた。が……。

 グキッ。

「ギャッ!? 痛い痛い!!痛いーー!!」

 体内の化学変化に依り身体的な能力値も殺気も向上していた私は、逃げ出す羊子を物の数秒で追い越し、思い切り足払いを掛けた。羊子は無様に素っ転び、脚の痛みと恐怖心からかみにく悲鳴ひめいを上げていた。

「逃がしませんよ羊子さん? 貴女は私の今宵の空腹を名実共に満たす、極上ごくじょうのマトン何ですからね?」

「!!!」

 ー全ては、月の女神アルテミスの。

「たっ……たっ、助け……!! 誰か!! 化け物!! 化け物!!!」

 間抜けに無様にこちらを向いた格好かっこうでくずおれた羊子の胸ぐらを私は左手でつかみ掛かり、既に爪先つまさきは充分にび切り鋭利えいり凶器きょうきと化した右手の照準しょうじゅんを、羊子の左心房さしんぼうへとかまえ合わせる。

 ーむべきのろいの、さがにしてしまえ。

「私はねえ羊子、貴女の様な人のつらの皮を被っただけの、人間として醜い化け物も……、私の身体をこんな醜い身体の化け物に変えてしまう、美しいカーボンコピーの反射光もね……」


 ーくるおしい程に大嫌い何ですよ!!!


 右手に有りたけの力を込めて突き出すと、満月の晩の校庭にあわれな羊の断末魔だんまつまひびわたった。衣服いふく皮膚ひふ胸骨きょうこつ貫通かんつうし、心臓しんぞうに一撃で到達とうたつする、凶撃。生暖なまあたたかい内臓ないぞうの温度が、き出す返り血と共に私に伝達でんたつする。その後、贖罪の羊は物の数分で物言わぬしかばね肉塊にくかいと化した。恐らく、即死か。


 ー私は、ハーフブラッド。

 ー日系人女性の母と、

 ーの、ハーフ。

 ー本物の、人狼。


 私は、爪先に付着ふちゃくしてまだ間もない、生暖かな鮮血せんけつを、えつひたりながらねぶった。

 今宵こよい獲物えものは、砂鉄さてつ風味ふうみがした。



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半月の人狼 月読草紙 @tukiyomi_soshi

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