昼間の人狼ゲームが終わった後の私は、しばしの間は午後の授業中でもひまを見れば愚鈍ぐどんな教師の目のすきを突いた生徒から、クラスの専用LINEグループを介して称賛しょうさんの声をびせられる、時の人と成って居た。私も自分でも満更まんざらでは無いかも知れないが、空腹と憂鬱感ゆううつかんがそれを阻害そがいしていたし、後は授業を真面目に受けずにスマホを皆隠れて操作しているこのクラスの偏差値へんさちの低下を危惧きぐしたのも有り、LINEでコメントが来ても一言だけ「真面目に授業を受けて下さい、皆さん」と灸を据えるだけに留めて、後は無視した。

 取り分け羊子がLINE上の振る舞いに問題が有り、私の為人ひととなりについて罵詈雑言ばりぞうごんを皆に吹聴ふいちょうしているのが観て取れた。唯、私はこの時まだ羊子が単純に愚昧ぐまい単細胞たんさいぼうなだけの女だと結論を下してしまって居たので、大した事には成らないだろうと静観せいかんを決め込んでしまっていた。頭の弱い人間にいくら理詰りづめで正論をとなえても徒労とろうに終わるだけだ。それだけは、先の人狼ゲームでも誰にも明確めいかく立証りっしょうされた事実じじつだから、と。

 そうして午後の授業も終わり、帰りのホームルームの後でまだ所属しょぞくする部活動等を決める前の段階に居た転校初日てんこうしょにちの私は、今日だけは早々に帰宅きたくして良いとクラス担任たんにんから御墨付おすみつきをいただき、帰路きろく事に成った。

 ただ、ここで事件が起きた。

 帰国子女である私が祖国そこくから持参した、太陽電池たいようでんちを用いたスマホのポータブル充電器じゅうでんき丁度夕陽ちょうどゆうひの良く窓際まどぎわの席を宛行あてがわれていた私は、スマホのバッテリー残量が二〇パーセントを下回っていた事も有り、机の上にこれをスマホと接続せつぞくして置いたまま、手洗てあらいに立ってしまったのだ。

 教室と手洗い場までは多少の距離きょりが有り、稲荷は廊下ろうかを走って手洗いに行ったので物の数分で帰って来てしまえたが、私は普通に歩いて手洗いしに行ったので、丁度10分弱ほど離席りせきしていただろうか?

 ー手洗いから教室に戻ると、私のスマホと太陽光充電器が無くなってしまっていた。

 私も流石さすがにこれには多少の狼狽ろうばいを覚えた。私の祖国ならともかく、日本は比較的ひかくてきとても治安ちあんく、野外での買い物で自転車のかごに買い物した商品をれたままにして場を離れても盗まれず、金目の物が入った財布を落としてしまっても交番を訪ねれば中身が全て無事な状態で届けられ手元に戻る程だと、私の母から常々美談つねづねびだんを聞かされて育って来た。完全に認識にんしき甘過あますぎた。日本人でも文化的背景ぶんかてきはいけいちがえど同じく人間。物盗ものと等居などいて当たり前だ。

 教室に残っていた数人の生徒にただしたのだが、内心の程は定かでは無いが……皆、自分は知らないが同情どうじょうはする。手分けして探そうか? と、口々に言ってくれた。唯、一人の生徒が気になる事を口にした。

「そういやさっき、羊子が教室から急いで帰ったばかりだった。何か、けど……」

 事の真相しんそうとこれから起こるで有ろう憂慮ゆうりょしうる事案じあんが、その言葉で一気に脳内のうないめぐった。一刻いっこくも早く帰宅きたくして手を打たなければ。私はそう考慮こうりょして心配する皆にかまわず、帰路に着く事にした。


 下駄箱げたばこから自分のローファーを苛立いらだちのねんと共に取り出してき、目に突きさる黄昏時たそがれどきあかく暗い色の夕焼けが、丸で動物の血液けつえきの様だ。そんな事を本気で考えながら外を歩いていたら、校門のへい片際かたぎわに腕を組んで寄り掛かり立つ男子生徒の人影が見えた。それは、昼休みのゲームの直前に見た人物と同じ姿勢しせいの立ち方だった。

「……朱美さん、待っていたんだ。少しだけ話をする時間は有るかな?」

「呂模さん。何でしょうか? 今は急いで居るので手短てみじかにお願いします」

 大神呂模おおがみろぼ影法師かげぼうしが、私の足元のローファーを包み込んで来た。呂模はこうして間近まぢかで見てみると、アジアけんの人間にしては眉間みけんほりが深く端整たんせいな顔立ちをしている。

「話の用件は大きく分けて、三つ有る。

 一つ。先ずは昼間の人狼役は、見事だった。

 俺は他の奴等と違って授業中にスマホを弄ったりしないから、口頭こうとう祝福しゅくふくがしたかったんだ」

がと御座ございます」

 祝福が嬉しいはずだが、今の私は空腹と苛立ちのピークを抑制よくせいするのがやっとだ。少なくとも呂模に対しても、顔は笑って居なかったと思う。

「ゲームの内容について振り返りたいのだが……。朱美さんは人狼、羊子が村人、牛尾が占い師、稲荷がハムスター人間に、俺が騎士。……初夜の占いで朱美さんをツモった牛尾の奴を、良く引っこ抜けたよな?朱美さんは」

「あれは単純たんじゅん不潔ふけつ目障めざわりな男をまずゲームから除外じょがいしようと気紛きまぐれでんだら、偶然ぐうぜんにも占い師だっただけですよ?」

「牛尾カワイソス……。

 その後は羊子のフリーメイソンかたりを論破して、更に羊子の俺に対する騎士当てに言及してくれて、朱美さん自身は猫又の騙りを行って報復対象を羊子に指定する提案が通って、羊子の朱美さん吊りの呼び掛けの思惑おもわくらした」

「人狼ではないか?と疑われて居る本物の人狼が猫又の騙りをするのは、ごく定石ですからね。唯、猫又や妖狐は普通はあんな小規模村しょうきぼむらのゲームではまず採用されない役職なのは、呂模さんなら御存知ごぞんじですよね?」

「まあな……。だからあの時俺は朱美さんが騙りを行っているのはわかってたが、同時にゲームに手慣てなれたプレイヤーだったんだなと感心したから、朱美さんに内心荷担ないしんかたんしていた。

 実際にもネットの人狼読本のページにも猫又はちゃんと記載きさいされているのは事実だし、その後で稲荷が妖狐のロールだったのが朱美さんの推理すいりで解ったのも、事実だしな」

「それは恐縮きょうしゅくです」私は呂模の荷担の事実に満更でも無い気持ちがした。

「繰り返しに成るがあれは本当に俺達村人陣営の勝ち筋は稲荷を投票で吊り上げるしか無かった。後は俺が羊子を二夜目に護衛出来れば良かったんだが……実は俺は初夜に羊子を既に護衛してしまっていて、二夜目は朱美さんしか護衛出来なかったんだ」

「騎士は同じ対象を連続で護衛出来ませんからね」

「まあだからあの時朱美さんが羊子を騎士じゃないか?って逆推察ぎゃくすいさつした時点で羊子がんでたんだよな……。

 その推察だけは外れていたのだが……結果としては人狼陣営の朱美さんの勝ちゲーに成った。俺が羊子を恋人のよしみで初夜に護って居なければ良かったのだがな」

「此方としても呂模さんが騎士のロールならば羊子さんを先ずかばうで有ろう可能性も視野に入れてました。なので、二夜目は羊子さんを安心して噛みに行けてチェックメイトが出来ましたからね」

「おお……怖い怖い」呂模は苦笑いしながらそう言葉を漏らした。

「因みに、ここまでの話で羊子さんの言動についてお気付きですよね?呂模さん」

「ああ……。あいつの推理、んだよな……。俺と朱美さんの役職を当ててるのが」

「それについてはどう思います?呂模さん。羊子さんは初夜に薄目を開けていたのをGMに叱られて居ました。彼女が再度不正を行っていたと思われますか?」

「可能性は否定出来ないな。だが、羊子のその後の騙り口や挙動が出鱈目でたらめなのをかんがみると、多分不正は無かったか、或いは羊子が馬鹿だっただけだな」

「本当ですね」

 私達はその時二人で少しだけ笑っていたと思う。日も段々と落ちていく所だった。

「さて、二つ目の用件に入るが……。これは多分何かの間違まちがいだろうとは、俺は思うのだが……」

「何でしょう?呂模さん」

 呂模は少しだけ困惑こんわくした表情を浮かべ、間を置いてから口を開いた。

「朱美さんは……その、……Twitterでおおやけに募集する様な趣味しゅみの有る女性なのかな?」

「………」

 呂模の言葉に私は一瞬いっしゅん、思考が凍結とうけつしていた。が、二秒後にびょうごには事の行間ぎょうかんが読めてしまっていて、軽い目眩めまいを覚えた。

「……ゲイ向けアダルトビデオ俳優はいゆうのファンである男を"不潔ふけつだから"と言う理由で真っ先に人狼ゲームで除外する様な女性が、をTwitterの用な開かれた場で果たして募集するのでしょうか?」

「だよなあ……。だとしたらこのTwitterでセフレを今現在募いまげんざいつのりまくっている朱美さんは、一体誰なんだろうな?」

「恐らく、羊子さんでしょうね」

 私は自分のスマホがつい先程盗難さきほどとうなん被害ひがいった事の経緯けいいを呂模に話し、呂模は自分のスマホのTwitter画面を開いて、私のアカウントの今の様子を見せてくれた。

 私のアカウントで私ではない何者かが、軽薄けいはくな口調で「朱美の事をイかせてくれる男の人、募集してま~す!」「朱美は今、ビンビンなの!すぐヤりたいの!!」「中出しでもナマでも勿論もちろんオッケーよ♪ 早くキて!!」等と視るもけがらわしい戯言たわごとつぶやいていた。しかもそのツイートは牛尾達の様な一部の下劣げれつ性癖せいへきの男達によってRTリツイートされ、わずかながら炎上してしまっていた。

 止めを刺さんとばかりに私の垢のフォロー先には、十八禁系のアダルト関連の呟きをする垢が無数に増えてしまっていた。一部の良識的りょうしきてきなフォロワーからは私のこの異変いへんいぶかる意見も見られたのだが……、ほとんどの今まで交流の有った相互フォローからはフォロー解除、リムーブを食らってしまっていて、残ったフォロワーは下賤げせんで不潔な変態達へんたいたちばかり。

「マジか……。羊子の奴、朱美さんに親でも殺されたのかよ? 最悪だな……」

 ……この瞬間だろうか? 未だに弁当を食べる事も忘れていた私の中の何かがささやいた。

 ー今宵こよい上質じょうしつの夜食に有り付けられる事だろう。

「急いでいる、と先程私が言った理由はこれでお分かりでしょう。呂模さん」

「あ、ああ……。後、俺の三つ目の用件が十中八九じゅっちゅうはっくそれ所では無いだろう事もな」

「私は帰りますが、事のいでです。その三つ目の御用件ごようけんとやらも、忌憚きたん無くおっしゃって下さい。聞き入れますよ?」

「俺と、付き合ってくれないか? 朱美さん」

 口説くどかれた。大神呂模に。

「……壊滅的かいめつてき疑問ぎもんで仕方が無かったのでおたずねしますが、何故今まで羊子さんみたいな人と恋人同士だったのですか? 呂模さん」

「こんな事言ったら俺も朱美さんから不潔な男だとか思われそうだが……。

 二十歳を過ぎる前までには童貞どうていを卒業するのが、俺のひそかな野望でね」

「……羊子さんとはのですか?

 呂模さん」少しだけ呂模がからかい甲斐がいの有る男に思えて来た。

「いんや、あいつは散々さんざんヤらせるからヤらせるからって口実作こうじつつくっては俺を財布さいふかステータスか何か扱いにしただけの、まらない女だったな。

 夢だった初体験はつたいけん結局出来けっきょくでき仕舞じまいで。べたべたくっついては来たけど……正直不満だし不快ふかいだった」

「先の話の流れからさっするに……呂模さんはセックスフレンドを募集していたらしい私ならば、初体験のしとねの相手に成ってくれるかとんだわけですね」

「"褥"って……朱美さんは本当に日本語が流暢りゅうちょうだよなー……」

「話をらさないで下さい。私の処女が欲しいのですか? 欲しくないのですか?」

「欲しい。下さい。くれ」

 あの冷静明晰れいせいめいせきな男の呂模がこうして手玉に取れている。多分私はこの時、女として最高にたのしげな笑みをこぼ していたと思う。呂模からすればそれは、小悪魔こあくま微笑ほほえみかも知れないが。愉しいのでこの際その辺りの事情はどうでも良い。

「構いませんよ? 別に私はティーンエイジャー達がセックスする事を盲目的もうもくてき批判ひはん否定ひていしたりはしませんし。むしろ私は、避妊処理ひにんしょりほどこすかたがいに責任せきにん重々承知じゅうじゅうしょうちの上ならですが……推奨すいしょうした方が良いとも思いますよ?

 たまには自己の中に在る"けもの"の如き本性を、正当な手段で解放した方が、良い。

 そうしなければ、け口の無い獣のリビドーは、不必要な時に本当にあばれだしてしまう事でしょうからね」

「意外な意見だな!? ……でも、成る程そうだな。同感だ。後、有り難うな。告白を受けてくれて」

「恐縮です。呂模」私はそこでスカートの両端りょうたんをほんの少しだけ持ち上げる会釈えしゃくをした。

「今まで散々羊子の馬鹿女にらされて、色々んだ。朱美さんなら知性も有るし、身体の相性も良さそうだよな」

「ならば褥の際には、最高にキレの有る手技で、呂模様を昇天しょうてんさせて御覧ごらんにいれましょうか」

「おー、あの世逝よいきか! はははっ……楽しみだな、それは!」

 "あの世逝き"。確かに言い得て妙だと思った。私も静かに、笑っていた。

「呂模さん済みません。スマホも盗難に遭ってしまいました。母親に電話で言伝ことづてがしたいのですが、暫しの間呂模さんのスマホを貸して戴けないでしょうか?

 御詫おわびと言っては難ですが……呂模さんのスマホの電話帳機能でんわちょうきのうに私のスマホの電話番号と、メールアドレスを登録とうろくして差し上げますので」

「メア……ド……」

「如何でしょうか? 呂模さん」

「どうぞどうぞどうぞ。登録して。してくれ。して下さい」

「本当に恐縮です」私は呂模からスマホを借り受けて校門の日陰におもむき、呂模のスマホを操作した後、帰路に着いた。


 やっぱり、男は単純な生き物だ。

 単純だから手玉に取りやすくてすごく助かる。


 ーまるで、犬みたいに。

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