第8話「史上最萌の決戦」

 一


「さあ、いくですよー。はりきってゴーですよー」


 才子が元気な声をあげる。


「さーむーいー!」


 ぼくはガタガタ震えながら叫んだ。


「特に今日は寒いよ! パンツ一丁じゃ耐えられないよ!」


 ぼくは砂浜に、水泳パンツはいてるだけの姿で立っていた。

 こないだの事件で、オタのイメージは最悪になった。そりゃそうだろう、「即売会の会場を埋め尽くし、白目向いて悶絶する無数のオタ(全裸)」が全国に放 映されたんだから。

 才子はすぐに「じゃあ正反対の路線を狙いましょう。健全でさわやかなスポーツマンに!」と言い出した。それはわかる、わかるんだけど……


「もうすこしあったかくなってからにしようよ!」

「辛いのに我慢して頑張る姿がハートをゲットするですよ!」


 才子はそう言うが、才子自身はダウンジャケットとか着てる。納得いかない。


「じゃあマリンスポーツじゃなくて他のにするとか……」

「でも才子、もう準備しちゃったです」


 ぼくたちのすぐ横に、サーフボードやジェットスキーが置いてある。


「ぼくどれもできないんだけどなあ」

「頑張って覚える姿がハートをゲットするですよ?」

「わかったよ……でも、せめてもう少し、寒さどうにかならないのかな」

「ではこれを使うです」


 才子はポケットからチューブを出した。


「この激烈塗り薬『アチャチャ01』を体に塗りたくると、ワサビの百倍という強烈な刺激で、寒さなんて感じなくなります!」

「痛かったら意味ないだろ!」

「痛みに耐えて頑張る姿がハートをゲット……!」

「本気か? 本気で、それでモテると思う? 正直なところをきかせて」

「ええと……面白いじゃないですかー!」

「変わってる! 目的変わってる!」

「あ、それよりあれは何ですか?」

「ごまかすなー!」


 ぼくは叫んだ。同時に、才子が指差した方を見る。


「……なんだろ」


 瓶だった。白い瓶が砂の上に転がってる。

 手に取ってみる。金属でもガラスでもプラスチックでもない不思議な触感だ。表面にびっしり文字が書いてある。見たこともない文字だ。


「ボトルメールだと思うです」

「それにしては少し変だよ」


 ぼくは瓶のフタを開けようとした。

 かなり固い。でもなんとか回って……

 ぽむ! ぷしゅー!

 軽い爆発音、煙が噴き出す。

 瓶を放り出して何歩か逃げた。

 煙が晴れたとき、そこには女の子がいた。

 十二歳くらいか。髪の色ピンク、頭の左右に巨大なリボン。フリフリだらけの服。しましまのニーソックス。先端にハートのついたステッキをもっている。


「ま、魔法少女!?」


 思わず声を出した。だって他にいいようがない姿だから。

 ピンク髪の魔法少女は目をパチクリさせ、そして……ぼくにとびついてきた。


「うわーい! 出られた! 出られた! 出られたーっ!」

「うわっ」


 魔法少女の体は、才子ほどじゃなくても小さくて軽かった。よろけそうになったけど立て直す。


「き、きみは……!?」

「あ、申しおくれましたっ」


 魔法少女はぼくから離れ、ぺこりと頭を下げた。彼女の声は柔らかくて、少し舌足らずな喋り方だった。


「あたし、魔法少女アステルパームといいますわ! ありがとうございます! あなたが出してくださったんですね!」

「……どういうこと?」


 アステルパームは悲しげに、


「……あたし、悪い魔法使いによってあの中に封印されていたのですわ……」

「そうだったのか。それは大変だったね」


 才子が後ろからどついてきた。


「ちょっと多久沢さんっ!」

「なに?」

「なんであっさり信じるですか! 魔法少女とか封印とか、そんなことが現実にあると思ってるんですか?」

「え? それ君が言うの?」

「才子のはちゃんとした科学ですよ! 魔法なんかと一緒にしないで欲しいです」

「ぼくの目には同じように見えるけど」


 そこに魔法少女が口を挟んできた。


「あら、魔法は実在しますわ」

「じゃあ使ってみるといいです!」


 才子がなぜか敵意をあらわに言う。魔法少女はにっこり微笑んで、ハートのステッキを軽やかに振る。


「パールルパスパル、小さくなあれ!」


 そしてステッキを才子に向け……

 才子の体が見る見る縮んでいく。三十センチくらいになった。


「は、はうー! こんなことが……」

「おわかりいただけましたか?」

「はうっ、きっと科学的に説明できるはずです、魔法とかいって思考停止するのはいけないですっ」

「才子の薬も同じように見えるけどなあ」

「何をいうですかっ!」

「うふふ、強情なひとですわー。はいっ、元にもどしますねっ。パールルパスパル、もとにもどれーっ!」


 ステッキをフリフリ、すると才子は音もなく大きくなっていく。


「はう……」


 才子は自分の手を見つめ、ほっぺたをつねった。そしてさも悲しげに、


「負けたです……才子、ここまでうまく大きさ変える薬作れないです……」

「うふふっ、精進してくださいねっ。ところでお兄さん!」

「え? ぼく?」

「はいっ。ほんとに感謝してますっ。瓶の中にずっと閉じ込められたままって辛かったんですよっ」

「うんうん」


 置いてあったバッグからタオルを出してはおりながら、ぼくは相づちを打った。


「だから、恩返しをしたいです」

「お、恩返し!?」

「えっちなことではありませんわよ?」

「……そんな事思ってないよ!」

「顔に書いてありますわ」

「え? そんなにモロバレ?」

「まあ、それはともかく……恩返しの定番、『どんな願いでも一つだけ叶えてあげます』ですわ」

「おおお!」


 ぼくは一歩詰め寄った。


「といっても限度はあります。『願い事を百個にしろ』とか『全知全能の力を与えろ』とか『ドラえもんを出せ』とかそういうのはダメです」

「うん。わかってる」


 もちろん、ぼくの願いは決まっていた。拳をかかげて叫ぶ。


「モテモテに! 生身の女の子にモテモテ!」

「……あ。あまりにストレートでちょっと引いてしまいましたわ……まあわかりました。願いかなえてあげますわっ」

「うわあ、本当に? なんか願い事が勘違いされて叶うとか、いやなオチがあったりしない?」

「……妙に疑り深いかたですわね」

「身近に変な発明とかする人がいるとね、ちょっとね」

「どういう意味ですか! 説明するです! 才子の発明はちゃんと成功してるです!」

「『成功』の定義は人によって違うしねー」

「いつからそういうイヤミな人になったですか! もう協力してあげないですよ!」

「いいよ。だって魔法でモテモテになれるんだから!」

「さあ、いきますわ!」

「おねがいしまーす!」


 背筋をピンと伸ばして、魔法少女の前に立つ。


「パールルパスパル、モテモテセカイ、発生ーっ!!」


 ぼくの目の前に、魔法のステッキが突き付けられた。

 ピンク色の閃光が爆発した。


 二


 ぼくは眼を開けた。天井が眼に入った。


「……あれ?」


 木の天井。ぼくの家の天井とは少し違う。アニメキャラのポスター貼ってないし……

 手足を動かしてみる。首をめぐらす。ベッドと掛け布団の感触。ぼくはいつの間に寝たんだ。

 っていうかここはどこなんだ!

 掛け布団をのけて起き上がった。部屋の中も、ぼくの部屋と似てるんだけど違う。ゲーム機の種類が少ない。パソコンがない。萌え系のポスターが一枚もなく なってる。

 と、そのときドアが空いた。

 紺色のブレザーを着た女の子が入って来た。活発そうな美人で、ポニーテールがよく似合っている。室内とみまわしてぼくと眼をあわせ、「あ、ゆーいちおき てた」と言う。


「……誰?」

「はあ? ゆーいち、寝ぼけてるの?」


 ……そういわれてやっと思い出した。

 ああそうか、この人はぼくの幼なじみで、となりにすんでる女の子じゃないか。最近妙に怒ったりすねたりして、昔みたいに毎日一緒に遊んだりするような気楽な関係じゃなくなったけど、でもこうして起こしにきてくれるんだ。


「いや、だいじょぶ。思い出した」

「……それならいいけど……」


 じゃあ、いままでのは夢か。そうだよな、アニメのキャラばかり詳しくて現実の女の子には全然縁がなくて、いる女といえばトンデモ発明するマッドサイエン ティストで……うん、そんな嫌なことが現実であるはずがない。しかしそれにしては妙に鮮明だ。


「ちょっと待ってて。すぐ着替える」

「もう。ゆーいちの『ちょっと』は長いのよねー」


 そういいつつ彼女はドアを開けて去って行った。ぼくはすぐに制服に着替え、階段を下りていった。……この家は一戸建てらしい。まったく見覚えがない。

 台所にいた母さんは、やたら若々しい美人で、三つ編みで、ほんわかした喋り方だった。一言で説明すると、謎のジャムを作りそうなお母さんだ。


「あらー、優一おはよう。意外と早かったわねー。母さんびっくりしちゃったわー」


 ……こ、この人はぼくの知ってる母さんじゃない……いや、でもたしかにこの母さんと一緒にすごした十五年間の記憶があって……あれ? もう、夢の中の記 憶があまりに強烈すぎて……

 ぼくはテーブルに向かい、パンと目玉焼きを急いで平らげた。幼なじみの彼女がぼくの前に座ってコーヒーを飲んでいた。彼女は話しかけてきた。

 しかしぼくは、ある一つのことが気になって会話に集中できない。

 この人の名前って何だっけ?

 十年以上一緒にいる幼なじみの名前を知らないなんてそんなことがあり得るだろうか?


「あのさー、もうすぐ誕生日だけど……」

「うん」

「きいてる?」

「うん」

「眼がうつろだよ?」

「うん」

「って、生返事じゃない。なにか悩み事でもあるの?」

「いや別に」


 訊けばすむ話かもしれない。でも、訊いたら恐ろしいことが起こりそうで……訊くことができない。


「むー。愛想悪いなあ。ほら、もうすぐゆーいちの誕生日じゃない」

「うん、そうだね」

「今年はデレデレしないでね」

「……え?」


 どうも話が理解できない。


「ほら、ゆーいちってモテモテだからさ、いつも誕生日とかバレンタインのときはクラス中の女にチヤホヤされちゃってさ」


 なんだって? ちやほや? ぼくが?


「……ぼくが学校でモテてるって?

「うん。どうしたの?」

「そんな馬鹿な……」

「えー、それ厭味よ。男子はみんなうらやましがってるじゃない」

「……そ、そうなの?」

「……ゆーいちにはあたしがいるじゃないの、もー」

「……はい!?」


 毎日起こしにきてくれる幼なじみがいて、学校ではモテまくりで……なんだこれ? なんだこの三流ギャルゲー時空は?

 ぼくは頭を振った。……いや、思い出した。たしかに記憶がある。ぼくはずっと前からモテモテだったんだ。

 具体的にどうモテていたのか思い出そうとすると霞がかかったように判らなくなるのがちょっと気になるけど……


「あらー、あんまりゆっくりしてる時間ないわよー」


 相変わらず、非現実的なまでにおっとりした口調で母さんが言った。


「う、うん」


 ぼくは慌ててコーヒーを流し込む。上着をはおってカバンを持つ。


「いってきまーす」


 ドアを開けた。

 門から出る。

 ……そこでぼくは立ち止まった。立ち止まらずにはいられなかった。

 なにこれ?

 門の外には、道があった。その道は10メートルおきくらいにクネクネと曲がりくねっていた。そして曲り角の向こうで人影がチラチラ動いてる。女の子の頭 だ。女の子が曲り角の向こうに隠れて、こっちをうかがってる。その次の曲り角も、そのまた次の曲り角も……

 曲がりくねった道と、角ごとに待ち構えている女の子。それ以外何一つなかった。他の家なんて一軒もない。空を見上げると、クレヨンで塗りこめたような 嘘っぽい青一色。


「……なんだこりゃ!?」

「え? だから曲り角よ?」

「だからなんでたくさん……あの女の子たちは?」

「曲り角でぶつかってくるために決まってるじゃない?」

「なんで? なんでぶつかってくるの?」

「ゆーいちのカノジョになるためでしょ?」

「……ずっと昔から、そうなの?」

「うん、前からそうだったじゃない。登校の時に曲り角でぶつかったらカノジョになる、それは世の中の決まりでしょ?」

「……そ、そう。ずっと昔からそうだったんだ……」


 ぼくは、弱々しくそう言った。そして高さの全然感じられない青空をあおいで、力一杯叫んだ。


「そんなわけあるかーい!!!」


 その瞬間、世界が消えた。目の前が真っ白くなった。


 三


 ぼくは眼を開いた。本物の空があった。体がブルッと震えた。メチャクチャ寒い。体の下に砂の感覚。

 跳ね起きた。


「……え?」


 ステッキを向けたままの魔法少女アステルパームが、大きな眼をますます大きく見開いた。


「……眼をさました? うそ……」

「ぼくに何をした? 今の夢は何?」


 才子も大声で、


「言うです! 何したですか!」


 魔法少女アステルパームの丸っこくて愛嬌のある顔が、一変した。

 いや顔が変わったんじゃない。とても冷たい、人を見下すような笑みを浮かべたんだ。


「……ちょっと夢を見てもらっただけですわ。幸せな夢をね」

「願いを叶えるってのは嘘だったですね!」

「夢の中で叶いましたわ。あなたは夢を見続けて、その代償にあたしは力をもらう。そのはずだったのに……」

「力ってどういうことですか!」


 才子の問いに答えず、アステルパームはステッキを振るった。


「力がもらえないなら、用はないですわ! パールルパスパル、翼よ!」


 フリフリドレスの背中がパッと花開いた。真っ白い翼が展開する。アステルパームは勢い良く飛び上がった。


「待つです!!」


 才子はとっさに注射器を投げ付けた。だが届かない。

 アステルパームは何十メートルかの高さまで上昇すると、そこで止まってぼくたちを見下ろした。


「名を名乗っておきますわ。あたしは魔王アステルパーム!」

「ちょ、ちょっと待つですよ! 魔王ってどういうことですか!」

 アステルパームはもう答えなかった。どんどん高度を上げて飛び去っていく。

「……多久沢さん……」

 才子は、ぼくにタオルをかけてくれた。

 でも体の震えが止まらない。それは寒さのせいじゃなかった。

「……魔王? ぼくは魔王の封印を解いてしまったのか?」


 四


「まずお姉ちゃんに相談するです」

「うん」


 才子は携帯を取り出してピポパと叩く。

 画面から立体映像が飛び出した。大きさは手のひらに乗るくらい。白衣を着てスパナを握ってる女性。彩恵さんだ。


「……あら、どうしたの才子」

「封印がとけちゃったです」

「ふ……」


 彩恵さんが絶句した。スパナを落っことした。


「ふ……封印? だって才子……どういうことよ?」


 どうしてここまで驚くんだろう? 「封印」に何か心当たりでもあるんだろうか?


「最初から順を追って話すです。まず多久沢さんが瓶を拾ったです。すると魔法少女が入っていて実は魔王だったです」

「……よくわかんないけど」


 ちょっと落ち着きを取り戻して彩恵さんは言う。


「とにかく、危機なのね?」

「らしいです」


 その時、ぼくの携帯が鳴り出した。


「はう、意外と普通の着メロですね。アニメの歌しか興味ないんだと思ってたです」

「いや、普通の歌に聞こえるアニソンなんだよ……」


 ぼくは携帯に出た。すると、おじさんの声が耳に飛び込んでくる。


「優一くん!」

「あ、おじさん。こないだは大変でしたねー」

「それどころじゃない!」

「……え?」

「僕はもうダメかもしれない。でも君は自分を見失わないでくれ。自分の好きなものを最後まで愛しつづけてくれ」


 とても切実そうな声色だった。これから死ぬ人みたいだ。


「え? どうしたの? なにがあったのおじさん?」

「……それだけだ!」


 切れた。


「……なんだってんだ!?」


 ぼくは首をかしげる。


 五

 

 その日を境に、オタク仲間たちと一切連絡が取れなくなった。


 六


「なんだこりゃ……」


 ぼくはアキハバラの街を歩きながら、ほとんどうめくように言った。


「全滅ですね……」


 街には人影がなかった。

 今日は日曜だ。普通なら、チェックのシャツ着てエロゲーキャラのイラストつき袋持った小太り軍団(根拠のある偏見)が道路を練り歩き、同人誌の店に出た り入ったりしてるはずなのに……街を埋め尽くしてるはずなのに……


「一人もいない……」


 秋葉原のオタク、全滅。

 ぼくは近くの同人ショップに入ってみた。


「いらっしゃいませー!」


 店長が飛んできた。


「どうしたの、今日はいったい?」


 すると店長は泣きそうになって、


「こっちが訊きたいですよ……もう三日前からずっとこうで……」

「お客さん全滅?」

「ええ」


 ぼくは店内を見回す。なるほど、普段は歩いて回るのも大変なくらい混み合ってるのに……ぼくたち以外誰もいない。マイナー声優の明るい歌がむなしく響い ている。


「最初の一日で半分くらい、その次でまた半分、土日になったら回復すると信じていたのですが実際にはこのありさま……」 

「……この店にはお世話になってるからなあ……あんまり持ち合わせがないけど、少し買うよ」

「ああ! ありがとうございますううう!」

「いや、何も土下座しなくても!」

「いえ、あなた様は救い主ですううう!」


 どうしよう。一番安いのを一冊だけ買おうと思ってたけど、ここまでされたらたくさん買わないわけにいかない。

 ……あれ?


「そういえば、店員さんがいないけど。ああ、お客さんいないなら必要ないってこと?」

「いえ。実は店員も、突然出勤しなくなったんです。まったくもう踏んだり蹴ったりで……」


 ……どういうことだろう?

 店員と客が同時にいなくなった……

 ああそうそう、買わなきゃ。


「これと、これと、これと、これ。下さい。このポーズがグッと来るんですよ! こっちなんて縞パンの盛り上がった部分が、全裸より断然エロい!」

「お目が高い! 三千八百円になります!」

「才子、お待たせ」


 店の外で待っていた才子に声をかける。


「……」


 才子の眼がとても冷たかった。


「……なに?」


 そこでぼくは、自分が買った物が何なのか気付いた。

 表紙は、アニメ絵の女の子たちが裸にされたり、しばられちゃってたり、もっと先のことも……もちろん中身もそんなので……


「……いや、これはその」


 アキハバラは周りが全部こんな感じだから自分が何やってるか気付かないんだよー!


「よく女の前でそんな本買えるですね……」

「いや、だからほら……」

「早くしまってくださいです!」


 お下げを大きく振って、歩き出す。


「う、うん」


 慌てて同人誌をカバンにしまって追いかける。


「店員の人も来なくなったって」

「……つまり、オタ全滅ということですか。これはやはり、あの魔王アステルパームの仕業ですよ」

「でも、オタばかり狙って何のつもりなんだろう? 何が目的なんだろう?」

「それは判らないですよ……お姉ちゃんも父さんも知らないって言ってたですし……」

「そうなんだよなあ……」


 あのあと、才子たちの家族に「魔王アステルパーム」について調べてもらった。だがそんなものは聞いたこともない、記録にも残ってないというのだ。


「どうすればいいですか……」

「もう、あとは自宅に行ってみるしかないね」


 七


「おじゃまします」


 そう言ってぼくは頭を下げた。

 おばさんは暗い表情で、ほとんど心ここにあらずという感じで、小さく頭をさげた。


「……はじめまして。お邪魔するです」


 才子がおじぎする。

 ここは、ぼくのオタともだちの家。

 といってもクラスメートじゃなくて、ネット上で知り合った友達で、即売会やoff会では会うけど、家まで来たことは過去一度しかない。

 だから怪訝そうな顔をされることは覚悟してたけど……

 この暗さはなんだろう。


「お友達がきてくれたわよ!」


 おばさんが彼の部屋に入って呼ぶ。

 しかし、反応はない。

 しばらくしておばさんはますます悲しそうに出て来た。


「どうしたんですか?」

「ごめんね……いまちょっと会えないみたいなの……」

「どうしたんですか? 病気ですか?」

「病気……なのかしらね……」


 そういうことか。

 ぼくはおばさんの横をすり抜け、部屋に入った。

 そこには、パジャマ姿の彼がいた。

 しきっぱなしの布団の上に転がって、寝ている。そして何か寝言を言っている。

 近寄って、耳を傾けた。


「……かえってきてくれたんだね……かえってきてくれたんだね……」


 幸せそうだった。彼の顔を見た。涙が頬を伝っていた。


「……ずっとこうなんです」


 はいってきたおばさんが言う。


「眼を覚まさなくて……夢ばかり見て……たまに眼をさましてもすぐ戻ってしまうんです……! このまま死んでしまうのかと……病院しかないのかしら……で もこんな病気聞いたことなくて……」

「いや、病院では治せないでしょう」


 ぼくは言った。

 声に、自分でも意識せずに恐怖がこもっていた。そして怒りもこもっていた。


「みんな、アステルパームが夢を見せてるですね……」


 そして魔力の供給源にされている。オタの妄想力は人より強いからうってつけなのかもしれない。


「ああ。治せるかな?」

「頑張ってみるです」


 才子がポケットからたくさんの薬を出す。

 すると目の前の空間がぽん! と爆発。

 ピンク髪にフリフリドレスの女の子が出現。


「そうはさせませんわー」

「この人たちを元に戻せ!」

「いやですわ」

「才子!」


 ぼくがそう言うのと同時に、才子はポケットから水鉄砲を取り出す。やっぱりそのへんが適当な武器だよな。変身して殴ったら殺してしまうし……


「パールルパスパル、けんか、だめー!」


 ステッキを一振り。すると才子の水鉄砲がでかいキュウリになった。


「はうっ」


 もう一丁出す。それもアステルパームに向けた瞬間ダイコンに。注射器を取りだす。それは特大の青虫に!


「はうー!」


 青虫を放り出す。


「あ、あなた……あなたね! あなたがやったのね……!」


 おばさんが叫ぶ。ようやく「魔法少女が魔法で息子を眠らせている」という異常な状況を認識したらしい。いや、かなり適応が早い方かも。


「あーもー。うるっさいなあ。パールルパスパル、デンデンムシになーれ!」


 ぽん! おばさんが消えた。いや、畳の上には一匹のデンデンムシが。


「なにが目的だ!」

「魔王の目的といえば世界征服にきまってますわ! もう魔力は十分だし……よし! 一気にいっちゃいましょー! パールルパスパル、世界征服せんげーん!」


 ステッキを振り回す。

 部屋の片隅にあったテレビが、触れてもいないのに画像を映し出す。アステルパームの姿を。そして底抜けに明るい叫び。


「世界中のみなさんこんにちわー! 魔法少女あたらめ魔王アステルパームちゃんですよー! 元気してましたかー! それはさておきあたしは大宣言しちゃい ます! 

 世界征服せんげんー!

 これから世界中のみなさんはアステルパームちゃんの奴隷ですよー! 逆らう奴は顔に応じてデンデンムシ・ミミズ・ウシガエル・ヒシバッタなどに変えちゃ うですよー! みんなあたしのことを祝福しちゃいなさい!」


 才子の携帯が鳴った。パカッと開くと、彩恵さんの立体映像が飛び出した。


「才子! 大変なことになったわ! 魔王アステルパームが……!」

「いま目の前にいるです!」

「えっ!」

「早く応援に! 才子だけじゃ勝てないです!」

「判ったわ!」


 電話が切れる。

 アステルパームは無邪気に笑って、


「応援なんて何人呼んだって無駄ですわー」


 テレビの中のアステルパームも元気に喋り続けていた。


「はーい、今ニュースがはいりましたー。アメリカさんが戦闘機を出撃させちゃいましたー。

 もー困ったちゃんですわー。ケンカはめーなのっていってるのがわかんないのかしらー。

 そんなわけで、パールルパスパル、ケンカ、だめー! 

 はーい、アメリカさんの飛行機は全部おっきなイカさんになりましたー!

 おいしそうですね! これでもうケンカはできないですねー! アステルパームちゃん偉い! ノーベル平和賞! 

 ってなわけで逆らうおバカさんには容赦しませんわ! ただちに各国はあたしに無条件降伏して、『アステルパームえらい』というテーマで反省文を提出する こと! 原稿用紙で2枚以上5枚まで! あとノーベル平和賞ください! 

 えー、以上のことが四十八時間以内になされない場合、悲しいけどこれ戦争だから、力づくで征服しゃうぞー!」


 もう十分に力づくだ。


「みんなの応援、まってますっ。魔王アステルパームちゃんでしたっ」


 テレビのスイッチが切れる。


「いまのは……」

「えへへー。世界中のあらゆるテレビで流してるんですー。これでみんなが降伏してくれればいいけど。してくれなかったら……えへへ、それはそれで楽しみ!  また大暴れしてスッキリ!」


 とんでもない奴だ。

 でも不思議だ。封印される前のアステルパームもこんなことをやってたなら、どうして記録に残ってないんだろう。

 その時、壁が爆発。

 部屋の壁を突き破って現れたのは、黒光りする流線型の車。マッドカーだ。

 ドアが斜め上に開き、身長二メートルでアンテナみたいなヒゲを生やした男が飛び出してくる。才子の親父・松戸博士だ。彩恵さんも続いて降りてくる。


「才子! 応援に来たぞ!」

「は、早かったです!」

「フフフ、ワガハイを誰だと思っている。世界最高の宇宙船技術で改良された『マッドカー・アルティメットカスタム』は地上でマッハ七の速度を出すこ とが可能であり、『曲がれない』という欠点に対しては立ちふさがる全てのものを分子レベルで粉砕……」

「解説はいいから、やっつけるです!」


 才子の言葉に親父はちょっと不機嫌そうに眉間をしかめ、


「むっ、そうだったな」

「何人来たってムダですわ! このアステルパームちゃんに勝てるわけないですわ!」

「ほほう、大した大言壮語だ! だがワガハイに勝てるかな! こんなこともあろうかと思って無敵の宇宙戦艦を建造しておいたのだー!」


 それは絶対、違う目的だと思う。


「いでよ!」


 謎のコントローラを取り出し、ボタンを押す。

 轟音が壁の外から聞こえてくる。どんどん近付いてくる。

 窓から見ると、宇宙戦艦が浮いていた。

 普通の戦艦みたいな形で、艦首には謎の巨大ビーム砲が!

 非常に見覚えのあるデザインだ。


「あ、あの形は!」

「これぞ天才・松戸博士が世界に誇る渾身の力作、宇宙戦艦アローターゲットであーる!」

「アローターゲット! つまり日本語に訳すと!」

「決して訳してはならん! 訴えられる!」

「だったらそんな名前つけるなよ!」

「天才は著作権などという不粋なものは意に介さない、と言いたいところだが微妙に気にする! イッツ・タイトロープダンサーッ! それはともかく、ゆけアローターゲット! 主砲斉発!」

「ちょ、ちょっと! 才子たちまでふっ飛んでしまうですよ!」

「心配するな才子。アローターゲットの火器管制システムは、地球から冥王星のミジンコを狙い撃つことも可能な超精密射撃能力をそなえているのだ! 見たか 知ったか、このオーバースペック!」 


 アステルパームはちっとも怖がらず驚かず、魔法のステッキを窓に向けた。


「パールルパスパル、でっかいでっかいエビフライに、なーれっ!!」


 ステッキから虹色のビームがほとばしり、窓に吸い込まれる。宇宙戦艦アローターゲットに飛んでいく。

 魔法の力だ、アローターゲットは巨大エビフライに……ならなかった。

 艦全体がピカッと光って、魔法の光を弾き返した!


「え……!?」

「ふっふっふ。しょせん魔法など過去の物、科学には太刀打ちできんと思い知るがいい!」


 どうして効かないんだ?

 あ、よく見ると艦の表面にお経みたいなものがびっしり書いてある。あの呪文で魔力を跳ね返してるのか。

 しかし、アステルパームがひるんでいたのは一瞬だった。すぐに微笑んで、


「パールルパスパル、おっきいスプレー!」


 ステッキを一振り。

 アローターゲットのすぐ側に、たぶん百メートルくらいあるだろうスプレーが出現。


「むっ、いかん!」


 親父がコントローラを操作するが、遅かった。

 スプレーが真っ赤な塗料を噴射。アローターゲット全体を塗装して、呪文の文章を覆い隠した。


「もういっかーい。パールルパスパル、でっっかいでっかいエビフライに、なーれっ!」


 再び飛んでいく虹色の光。

 アローターゲットはカラリと揚げ上がったばかりのエビフライになった。落下する。

 轟音。地響き。


「なんということだ……アローターゲットが一瞬で……」

「父さん、呪文で防御するというのは魔法ですから、マッドサイエンティストとして邪道なのでは?」

「違う、あれは魔法ではない。霊子力防御スクリーンだ!」

「一緒よ!」

「断じて違う! そもそも霊子力とは!」


 ぼくは怒鳴った。


「そんなことでもめてる場合かー!」

「そ、そうだったわね……」

「もうおしまいですのー? 口ほどにもないですわー。前の連中のほうがずっと手強かったですわー。うふふー」

「私がやるわ!」


 彩恵さんがアステルパームの前に立ちはだかった。


「クルクルさん、やりなさい!」


 彩恵さんが着てる白衣のポケットから、タキシードに蝶マスクという姿の男性型ロボットが「うにゅーっ」と現れた。催眠術ロボ・クルクルさんだ。

 クルクルさんは白手袋に包まれた手でアステルパームを指差す。指をグルグルまわす。


「催眠強度百二十パーセント! あなたは魔法が使えない、使えない、魔法が使えない……!!」


 しかしアステルパームは平然としている。


「むー。それだけー? つまんなーい。パールルパスパル、おともだちー!」


 ステッキを一振り。するとクルクルさんが指をピタリと止める。

 ……クルクルさんの眼がハート形になってるー!

 アステルパームがニコニコしながら言う。


「お友達のクルクルさん、お願いです! そこの眼鏡お姉ちゃんをお猿さんにしてください!」

「ク、クルクルさん! 私の命令に従いなさい!」


 彩恵さんがあわてて命令するが、クルクルさんの眼はハートマークのまま。指を彩恵さんに向ける。


「あなたは猿になる。あなたは猿になる。あなたは猿! お尻は真っ赤っか!」

「ウッキー!」

「はうー! お姉ちゃんがーっ! また壊れたーっ!」


 またとか言うな。


「かくなる上は!」

「何か手があるの?」


 松戸博士は超偉そうに腕組みして叫んだ。


「逃げる!」


 八


「……どうしたものか……」


 親父が腕組みして呟く。

 ここは才子たちの家の、居間。

 みんなで椅子に座って顔をつきあわせているが、アステルパームを倒す良い手は見つからない。


「そもそも、どうして催眠術が効かなかったんだろう?」

「それはワガハイも気になる。そのあたりに敵の弱点が隠されている可能性もある」

「あの催眠術って、人間以外にも効くはずだよね?」


 ぼくは才子に質問したつもりだったが、答えたのは彩恵さんだった。


「ウキッ。ウキウキッ」

「彩恵はこう言っている。『人間、犬、猫、猿、馬などのほ乳類には間違いなく効く』」

「お父さん、よくお猿さんの言葉わかるですね」

「ワガハイとて、伊達に銀河系中を探検してるわけではない」


 よくわからない理屈だ。


「しかし、ほ乳類ということは……?」

「はう! そう言えば、最初に拾ったあの瓶! あれを調べてみるです!」

「おお、そうか!」


 さっそく、アステルパームの封印されていた瓶を検査した。

 検査機器を近付ける。ノートパソコンの画面に、物質組成などが表示される。


「なにっ」

「はう、この数字確かですか?」

「間違いない。するとアステルパームの正体は……記録に残っていないのも当然だな」

「でも、正体がわかっても倒す方法がみつかったわけじゃない……」


 ぼくはうめくように言った。

 このままだと世界はアステルパームに征服される。みんな奴隷にされるんだ。こんなことならずっと、アステルパームの夢をみたままでいるべきだったのか?

 少なくとも夢の中では幸せだ。

 ……待てよ?


「……才子。テレパシーの薬はないか?」


 九


 ぼくは才子の家の屋根に立って、夜空を見上げている。

 テレビのニュースによると、日本政府はアステルパームに降伏することを決めたらしい。

 でも、降伏したからって無事で済む保証はどこにもない。


「多久沢さん」


 背後で才子の声。


「なに?」


 振り返ることなくぼくは答えた。


「その薬はやばすぎるです……とても精神が耐えられないですよ?」

「でも、他に方法が思い付かないよ」


 ぼくは自分が握っている薬ビンを見つめた。

 超強力総合精神感応薬「デンパビリビリV」の試作品。

 テレパシーを使えるようになる薬だ。

 ふたを開け一気にあおった。眼をつぶる。

 すると真っ暗な視界の中に、化学方程式がいっぱい現れた。才子の頭の中だ。

 ぼくは精神を集中する。もっと遠く、もっと広く、テレパシーを届かせる。

 日本全国に散らばるオタたちに。

 アステルパームの魔力源になっている人たちに。

 ぼくの精神を接続する。

 頭が砕けそうな衝撃。

 猛烈な幸福感をともなって、たくさんの単語が頭のなかに押し寄せてきた。


 メイド巫女メイド巫女妹看護婦女医体操服剣道着ウエイトレス看護婦メイド妹妹妹男言葉ボク少女メイドポニー妹眼鏡眼鏡ツインテール妹妹幼馴染メイド男言 葉クール系チャイナプリンセス眼鏡ショートカット青髪病弱系お嬢様メイド妹眼鏡姉母みつあみニーソ

 

 単語の次には映像がやってきた。

 妹に怒られたりメイドさんに世話を焼いてもらったりポニーテールのボク少女に叱ってもらったりする光景が、次から次へと現れた。

 体を包んでいる、とろけるような快感、それがますます強くなっていった。

 流されてはいけない。

 ぼくは声を張り上げた。


「……みんな! きいてくれ! みんなはいま、夢の中にいるんだ!! 

 それは現実じゃないんだ! 現実の世界では恐ろしいことが起こっている! 魔王アステルパームとかいう奴が世界征服しようとしてるんだ! 嘘じゃない本 当だ! そのアステルパームの魔力は君たちが与えてるんだ! 頼む、眼をさましてくれ!」


 圧倒的な萌えイメージの洪水に向かってぼくは叫んだ。その声は小さくてすぐにかき消されてしまった。

 ……ダメか?


「……なんだよ、うるさいな」


 声が返ってきた!


「きいてくれ! いま君たちが見ているのは夢で……」

「知ってるよ」

「え?」

「これが夢だなんて判ってる。現実にあるわけないだろう」

「俺も判ってる」

「ぼくも気付いてる」

「ぼくもだ」


 次々に声が。


「……それなら眼をさましてくれ。君たちがこうやって眠って夢をみて、その妄想エネルギーを吸収したアステルパームが世界を征服して……」

「だから何?」


 返ってきた声はひどく冷たかった。


「……何って、君たちが眼をさましてくれないと世界が……」

「知ったことじゃないよ」

「うん、ぼくも」

「だって現実の世界に戻って、それで何があるの? 夢の中のほうがずっと幸せだよ」

「そうだよな。現実の世界でアニメ声のメイドさんとラブラブできるか!? もう現実の世界なんかには何の未練もない。むこうの世界がどうなろうと知ったこ とか」

「そうそう。だってこっちにいればずっと幸せでいられるのに」


 ぼくは愕然とした。

 無理か? 無理なのか?

 そうかもしれない。ぼくだって夢の中は幸せだった。ずっとあそこにいたいと思っていたかもしれない。

 いや、違う、ちがうぞ!


「……みんなは間違ってる」


 ぼくは言い切った。


「なに? どこか間違ってる?」

「萌えを否定するのか? 我々オタが夢見た世界にケチをつける気か……?」

「違う! 夢の中は素晴らしい! ぼくだって、たとえ夢のなかでも幸せになりたいさ!

 でも、本当にそれだけでいいのか。

 だってメイドだって妹だって、そりゃ最初は幸せかもしれないけどずっとは続かないだろ! ぼくはどんなアニメみても、どんなキャラを好きになってもその 楽しさは永遠には続かないぞ。みんなもそうじゃないのか。そして次の作品が楽しみになるんだ。それがまだ発売されなくて待ってる時間の楽しみ、それも幸せ なんじゃないのか!?」


 一瞬、沈黙があった。声が消え、萌えイメージの奔流も消えた。

 しばらくして、ためらいがちの声。


「……完全に満たされてしまった萌えは、もう幸せではない……そういうことか!?」


 ぼくは力の限り叫ぶ。


「そうだよ! その通りだ!」


 ざわざわ、またざわざわと、声が生まれた。


「……そうかもしれない」「うん」「あと何分で仕事が終わって帰りにアニメショップ寄るぞとか、楽しいもんな」「また発売延期すんのかよって思いながら雑 誌の特集読んで想像する楽しみもあるぞ」「夢の中にはその楽しさがない」


 ぼくはまた叫んだ。


「さあ、還るよ!」


 世界が、力強い声に満たされた。


「おう!」「眼を覚まそう」「よし!」


 そして、閃光が視界を包む。


 十

 

 どさっ。

 ぼくは尻餅をついた。屋根の上に転がった。


「多久沢さんっ!」


 才子がしゃがみこんで心配げに声をかけてくる。眼鏡の奥にある瞳を、ぼくはじっと見た。いつもの、どこかイタズラっぽい感じは全くなくなってる。真剣そ のものだ。


「大丈夫だよ、才子」


 そう言って起き上がった。体中が鉛のように重い。顔も服の中も汗びっしょりだ。


「うまくいったんですか?」

「うん、これで大丈夫だ」


 その時、目の前にポンと爆発。

 アステルパームが出現した。


「いったい何をしたんですっ!」


 切迫しきった声を上げるアステルパーム。彼女は疲れ果て、立ってるのもやっとという感じだ。


「みんなには眼をさましてもらった。君の魔力はもうないよ!」

「やっぱり……そんなことで勝ったと思ったら大間違いですよ!」

「でも、もうほとんど魔法使えないよね!」

「……うっ……」


 アステルパームは魔法のステッキを天に向けた。


「みんなー! もう一度アステルパームちゃんに力を貸してー! もっと楽しい夢を見させてあげちゃいますわー!」


 ぼくの心にオタたちの声が飛び込んで来た。まだ薬の効果は切れてないのだ。


「……ど、どうする?」

「……いや、やっぱりダメだろう?」


 アステルパームは眼に涙を浮かべ、小さな手を祈るように合わせた。


「……おねがい……たよれるのは、あなただけなの……」


 とたんに頭の中で萌えテレパシーが爆発した。


「萌え!」「たまらん!」「あんなかわいい子にお願いされちゃったら……」「やる! おれは力を貸すぞ!」「アステルパームちゃーん! ぼくもー!」


 アステルパームは泣きながら微笑んだ。


「ありがとう……みんなならきっと、助けてくれるって信じてた……(うるうる)」

「うおお! 今のでますます萌えー!」


 ダメか? いや、まだいける! 

 ぼくは声を上げた。


「だまされちゃダメだ!! 才子、変身解除を!」

「わかったです!」


 才子の手がひらめいた。白衣のポケットから水鉄砲を取り出して、撃つ。

 薬がアステルパームにかかった。


「ふんだ、なにを……こ、この薬はー!」

「それは強制変身解除薬『バケカワハガレールGX』ですよ!」


 アステルパームの体が変化していく。

 粘土をこね回すように変形していく。ピンクの髪が肌に吸収され、肌の色がかわり、眼や口の形が、骨格それ自体が大きく歪む。


「や、やめてー!」


 アステルパームは必死になって、両手で顔を隠した。だがその手さえも緑色で……


「さあ! みんな見るんだ! これが魔法少女アステルパームの、本当の姿だ!」


 ぼくはアステルパームをじっとにらんで、見たまんまの映像をテレパシーで送ってやった。


「……こ、これがアステルパームちゃん!?」

「と、トカゲじゃないか!」

「いや、恐竜だ!」


 そうだ。変身が解けたアステルパームは、恐竜人間だった。

 全身が緑色のウロコに覆われ、突き出した口には牙が並んでいた。でも服だけはピンクのフリフリドレスのまま。


「あ……ちがうの! これは違うのよ!」


 その声も今まで通りのロリ声だ。

 アステルパームが封印されていた瓶を年代測定したら、なんと六千五百万年前のものだった。そう、アステルパームはそのくらい長い間封印されていたんだ。 記録に残ってないのも当然だ。きっと恐竜が進化した知的生物なんだろう。


「さあみんな、これでもアステルパームの言うことをきくかっ?」


 一瞬で、悲鳴がかえってきた。


「うわー! おれたちはあんなのに萌えてたのかーっ!」

「いやじゃーっ!」


 アステルパームはそれでも魔法のステッキをこちらに向けた。


「パールルパスパル、子ブタさんになれー!」


 ぽしゅん。

 ステッキから煙が出ただけ。


「そ、そんなあー!」

「さあ、覚悟するんだ! 才子!」

「はう!」


 才子が素早く投げた注射器がアステルパームの首筋に突き刺さる。そしてポケットから出した封印の瓶を向ける。


「えーい、封印されるですー!」


 瓶が光った。アステルパームの体が、シュルシュルと小さくなって吸い寄せられてゆく。


「油断さえ、油断さえしなければ……たすけてえ、いやあああっ!」


 最後までアニメ声で叫びつつ、アステルパームは瓶に消えた。 

 こうして、人類は救われた。


 十一


 がらがらっ。

 ぼくは教室に入った。

 今までお喋りしてた女子たちがシーンと静まり返る。

 そして、便器でものぞきこむような目つきでぼくの方をチラチラみる。


「や、やあ、おはよう」


 ぼくが一人の女子に声をかけると、その女子は二、三歩後ずさって、


「近寄らないで! やめてよ!」

「そこまで嫌わなくても……」

「だって、あんなこと考えてるなんて!」


 他の女子たちも声をそろえる。


「ほんとほんと、やらしーよねー。限度があるってもんよ」

「……口きいたら、よごれるわよ(ボソボソっと)」


 あああ!

 まだ試作段階だった超強力テレパシー薬のせいで、ぼくは考えてること垂れ流し状態になってしまった。能力をコントロールできないんだ。

 で、学校のこととか、読んだ漫画のこととか考えてるうちは別にいいんだけど……その……あまり他人には知られたくないこととかも考えちゃうわけで……とくに、ある種のゲームや漫画、同人誌について考えたりすると……考えるなって言われれば言われるほど、ね。

 男なんだから仕方ないって思うんだけど……だめかな……


「ダメです!」


 女子が叫んで、手で「シッシッ」という仕草をする。うわあ、この考えも伝わってた!


「才子! 助けてくれ才子! この薬なんとかならないの!」


 ぼくはテレパシーで才子に呼びかけた。

 答えは無慈悲だった。


「まだどうにもならないです!」

「そんなあ!!」

「そうだ! この薬を試すです! これを打つと脳の一部が破壊されてすべての性欲が一生なくなるんですよー! さあ!」

「やめてーっ!!!」

 

 おわり。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天才! 松戸才子まーち ますだじゅん @pennamec001

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ