第7話「超同人物語」

 一


「凄い人ですねー」


 才子が、ずらりと並んだ人の列を見て言った。

 即売会場である灰色の建物をぐるっと取り巻いている人の列……たしかに多い。ぼくたちも列の中にいるからますま す多く見えるってのもあるかもしれない。


「……どうしてみんな太ってるですか?」

「…オタクだから」


 ぼくは少しためらって答えた。


「……どうしてみんなチェックのシャツ着てるですか?」

「……オタクだから」


 そう言われて初めて自分の格好が気になった。

 うわ。ぼくもチェックのシャツだよ。でも風呂入ってるから最低限の線だけはクリアしてるのだと思いたい。これがボーダーラインってのも凄い話だけど。


「格好っていうなら君もすごいじゃないか」 


 才子は不思議そうに目をパチクリ。お下げを振って自分の格好を見る。


「『動きやすい格好がいい』っていうからジーパンにしたですよ?」 


 才子はジーパン姿の上に白衣を羽織っている。まわりの人たちがじろじろ見ている。本人は全く気にしてないみたいだ。


「いや、白衣の方なんだけど」

「白衣はマッドサイエンティストの戦闘服であり正装ですよ」

「わかったよ……」

「それにしても凄いひとですー」

「でも才子、本場のコミケはもっとずっと大きいんだよ。ここはせいぜい一万人、でも向こうは四十万人!」

「こわいです!」

「なんでこわいの?」

「だって多久沢さん」


 才子は隣にいる小太りの男性を片手で示して、あきらかにおびえた様子で言った。


「あの大きなバックパックにはさらってきた幼女がはいってるんですよね? そんな人が四十万人も……」

「さらってないよ!」


 ぼくが反射的に叫んだ。ぎょっとしてこっちの見たとなりの小太りさんに、両手をあわせてペコペコ頭をさげた。


「どうして君はそんなに偏見あるんだ!」

「だってみんな、普通じゃないです……みんなアニメの女の子が描いてある袋もって……」

「みんなじゃないだろ! 半分くらいだよ。それにあれはアニメじゃなくてゲームのキャラも混ざってる」

「はいはい。とにかく多久沢さんの仲間みたいのがたくさんいるんだなってことだけはわかったです」

「いや、ぼくはまともじゃないかも知れないけど……でも、オタクの人が全部変なわけじゃなくて、普通に三次元の女の子とつきあってる人もいるし、結婚して る人だっているんだ」

「そう聞いてましたけど、現物を見ちゃうと信じられないです」


 丸眼鏡の向こうの大きな眼を不信感で一杯にしている才子。


「……ほんとだって!」


 とぼくが言った時、会話が聞こえて来た。

 姿は見えないけど声はする。何列か離れたところの声だ。


「お前最近彼女できたんだって?」

「いや、まあ、そうなんですけどね」

「この裏切りもの! ずっとぼくは二次元でいきますって言ってたじゃねえか!」

「いや、それがその……こないだ彼女とデートしたときに、そのなんていうか、ちょっと抱き合ったりしてキスっぽい雰囲気になりましてね」

「『キスっぽい』ってなんだか知らんが……とにかくむかつくぜ!」

「でもですよ先輩。その時ついうっかり、『三次元の女……! 三次元の女……ハァハァ!』っていっちゃって、一瞬にしてフラれました」

「なんでそんなことを?」

「か、体が勝手に……やっぱりぼくは一生二次元なんですよー!」

「男だ! お前こそ男だ! カンと書いてオトコと読むアレだ!」


 悪い意味でゾクゾクした。恐かったけど才子の顔を見た。

 才子は、叩きつぶしたあとのゴキブリを見るみたいな顔をしていた。


「……いや、あのね才子」

「多久沢さんもああなるですね?」

「いや、でもね?」

「……」


 眼鏡の向こうに、『じとー。』としか表現できない冷たい目。


「いいです、まあ人それぞれですし……」


 その、微妙に優しいようで投げてる発言がなお痛い。


「ま、まあその……今日はほら、目的が違うからね、ね」

「……そうでしたね……」


 才子は白い目のままうなずく。


 『どうせオタクをやめられないならいっそ頂点をきわめてみたら?』


   ぼくが半分冗談でいったこの台詞を才子はけっこうまじめに受け取って、「じゃあ頂点を学んでみるです」ってなことになって、ぼくたちはここに来ているのだ。


「やっぱりあれですか、ここで売ってる本というのは、多久沢さんがたくさん集めてるような感じの、えっちでよくない本ですか」

「露骨すぎるけど……まあその、大半は。そうすると売り上げも伸びるし」

「……」


 才子は無言だ。なにやってんのかなと思って見ると、メモを取っている。


「『オタクはえっちでよくない漫画がだいすき』……と」

「まじめにオタのこと勉強してるんだ……」

「当たり前です。才子は生物系マッドサイエンティストですからね、ヘンテコな生き物には興味あるです」

「ヘンテコな生き物……」


 脱力感を覚えた。でも、まあいい。あ、列が動き出した。


「才子、行くよ」

「みんな整然と並んで、割り込みもせずに進んで行くですね……ええと……『オタクはデリカシーがないくせに礼儀正しい』と……」

「なにメモしてんだよ!」


 二


「はう……!」


 会場内。

 倉庫のように高い天井。

 ズラリと並ぶ長机。

 人、人。なぜか平均体重が妙に重い、美少女キャラ絵つき手提げ袋を巨大ナップザックを装備した男たち。

 眼鏡着用率妙に高し、レンズの向こうの目はギラギラしてるか瞳孔開いちゃってるかの二択しかない。

 彼らが机の前を通るたびに、売り子はイラストボードやノボリの向こうから熱い視線を送る。

 何人かがフラフラ吸い寄せられて財布を開く。ありがとうございますという声。

 後ろから人波が押しよせてくるので立ち止まって見ることができない。ぼくと才子もズルズル流されていった。

 ぼくたちの隣を、なぜかコスプレ姿の人が通り過ぎた。ここはコスプレして良いとこじゃないんだけどな……

 ってツッコむのはそこじゃない。

 その人は白を基調にした魔法少女のコスチュームに身を包んでいた。髪もそれっぽく結っていた。アニメではなくゲームのキャラだ。なんて作品の誰かは見れば判るんだけど認めたくない信じたくない。

 だって、とっても太って二の腕がブクブクっとしてて、それでヒゲの剃り跡が青黒くて……そうだよ、男なんだよ! 汝のあるべき姿にもどれー!

 才子がまたうめいた。


「すごい人……!」


 ぼくは力なく「う、うんそうだね」とうなずく以外何もできなかった。

 気をとりなおしてカタログを広げた。


「よし、こっちだ」

「どこ行くですか?」

「まずはおじさんのとこだ」


 おじさんはアニメ系のライターで、商業誌でも書いてるけど同人誌も出してる。すぐにおじさんのスペースは見つかった。メイド本だしてるサークルと巫女 サークルの間に挟まれて、一か所だけ看板もない地味なスペースがあった。テーブルの上には同人誌が少しだけ積んであって、とても太った人が店番をしてい る。


「こんにちわ」

「おお! 優一くんか」

「ひさしぶりです」


 おじさんは微笑んだ。太ってるからほっぺたやアゴの肉が変な感じに歪む。でも愛嬌があって、不快な印象はない。小さい頃から見なれてるってだけかもしれないけど。


「オタ修行は積んだかい?」


 おじさんが微笑んだまま問いかけてくる。


「けっこう追い付いたと思うよ」

「言うじゃないか。じゃあ問題。これは何ていうアニメの主題歌?」


 おじさんは一枚のCDを出した。

 タイトルは「DON.T LOOK BACK」。

 おじさんの年齢からして、決まっている。

 ぼくは胸を張って、ほとんど反射的に答えた。


「『ボーグマン』でしょ?」


 おじさんの顔から笑みが消えた。


「……残念。『ガルキーバ』だ」

「ああ! そっちか! くそう!」

「まだまだだね。オタ道は深いよ」

「うう……」


 うめくぼくを、才子が後ろからつついた。


「なに不思議バトルしてるですか!」

「……この子は?」


 才子の方を見て、おじさんが不思議そうな顔をする。


「はう。友達です」

「……きみ、どこかで会ったことなかったっけ?」

「はう……ないですよ!」


 確かに会ってる。過去の世界で。


「気のせいか……まあ確かに年齢が……ああすまん優一くん、今日は買いに来てくれたのか?」


 おじさんがそう言って同人誌を差し出す。薄くて中とじのコピー本だ。一応美少女イラストが表紙だけど中身は大部分評論。あと知り合いのセミプロ漫画家に 描いてもらったイラスト数枚。ぶっちゃけ売れそうにない本だ。


「うん。買うよ。ああそれとね、才子」

「はう」


 ぼくがうながすと、才子が神妙な顔つきでおじさんに言った。


「教えてほしいことがあるです。オタの神髄というか、頂点が知りたいです」

「む……なかなか凄いことを言うね」


 おじさんの顔から瞬時に笑みが消えた。


「君はオタになりたいの? オタはどっちかっていうと、『なってしまう』ものだと思うけどな」

「そうじゃないです。多久沢さんをオタの頂点にするです」

「へえ。僕も優一くんにはもっと極めて欲しいな」 


 おじさんはたるんだ頬を微笑ませた。隣のスペースでメイドさん巫女さんの同人誌売ってる人たちも興味深そうにこっちを見た。

 

「しかし何だって急に?」


 才子は指を一本立てて言った。


「オタの頂点になれば、腐っても大人気作家、才能がある人ということで女の子にもモテモテですよ!」


 いや、やっぱりそれは無理があるだろ……と才子にツッコミを入れようとした。

 だがそれより早く、メイド同人誌売ってる人が椅子を勢い良く立ち上がった。叫んだ。


「邪道だっ!!!」


 巫女同人誌の人も、机を拳で叩いて絶叫。


「そんなオタ道は間違ってる!!」

「……え? はう……」


 あまりの剣幕に才子はたじろいだらしい。一歩後ずさる。

 メイド同人誌の人が、机の上のメイド人形を握りしめ、才子に突き付ける。


「……オタ道は、女がどうしたとかそんな不純な動機でやっていいもんじゃないんだ」


 巫女同人誌の人は深くうなずいて、


「そうそう。三次元の女を求める時点でオタ失格!」


 彼等の目をぼくは見た。

 とても澄んでいた。


「……え? それマジですか? 本気で言ってるですか?」

「当然だ」「無論でござる」

「はう……彼女とか欲しくないですか? 漫画とかゲームの女の子だけでいいですか?」

「くどい!」


 巫女同人誌の人が鋭い眼光を浴びせて来た。


「俺は二十九歳だが三次元の女などには一切関わったことがないぞ! それで幸福だ!」


 メイド同人誌の方は、メイド人形を顔の前にかざし、微笑んだ。


「僕なんかもう三十一だけどずっと二次元ハアハアだよ? まあ属性は変わったけどね」

「……え? あ?」


 才子は明らかにうろたえていた。

 キモイ、とすら言えないようだった。まっったく理解不可能な考えに出会ったら人間そうなるのかもしれない。


「きみも早く、三次元への執着を捨てて一人前のオタにならないと駄目だよ?」

「うんうん、彼の言う通り。こんなメイドさんは現実にはいないからね。メイドの格好をした肉の塊がいるだけだ」

「いや……あの……」


 ぼくはまた二人の目を見た。

 神の声でも聴こえていそうなほどにきらきら光っていた。


「で、でも……」


 ぼくは何か言おうとした。とたんに二人が、奇妙なくらい明るい声でさえぎった。


「でもじゃないよ」

「君はまだ悟りが足りないだけなんだ。『その時』が来てないだけなんだよ」

「そうそう。二次元美少女に比べれば三次元なんて。だってこの娘たちは永遠だ! 永遠に赤と白の無垢なる恍惚が!」

「こっちの世界に来れば、女の子にモテないからどうだなんて気にしなくなるよ! ずっと僕におつかえしてくれるんだ!」

「なに、『こっちの世界』に来る方法は簡単さ。股間のベヘリットを握りしめて、『捧げる……!』と誓いの呪文を叫べばいい。そうすれば魔の存在と契約して、二次元だけで満足できる体になるんだ」

 

 どこの邪教の儀式ですかそれは。

 そんなこと満面の笑顔を浮かべて言われても。

 ぼくも才子といっしょに後ずさろうとした。逃げようとした。だができなかった。

 魅力を感じてるのか、ぼくは……そんな!

 でも、もしほんとにアニメだけで満足できるようになれたら……他人が何と言ってもぼくがそれで幸せなら……それはそれで……


「お、おじさん、ぼくはどうすれば……」


 ぼくの口から出た声はけっこう切羽詰まっていた。おじさんは一瞬だけ驚いたが、すぐにその顔を緊張させた。目を細め、首とつながってしまっているアゴに 手を当てて、落ち着いた調子で言った。


「……君の好きにすればいい。『オタクだからこう生きなければいけない』って決まりはない」

「え。でも。……さ、才子!」


 ぼくは才子に向き直った。呆然としていた才子が我に返ってぼくを見た。


「……それで本当に多久沢さんがいいって言うんなら、止める気はないです」


 才子も真剣な目をしていた。

 ぼくは深呼吸をした。よどんだ空気が肺になだれこんできた。


「……いや、ぼくは決めたんです」

「何を?」

「アニメも漫画も好きだけど……それだけではちょっと……実物も好きです」


 二人の目つきが変わった。冷たい、どこか見下すような光を投げ付けてくる。


「人類の最終進化を拒否するのか?」

「純粋二次元こそ真のオタ道だ!」


 ぼくは二人を交互に見て、ゆっくり首を振る。


「いえ、でも決めたんです」


 苦々しい顔つきになって二人は沈黙した。

 おじさんがにっこり笑って、


「決めたんなら話は早い。だが難しいよ、オタ界での成功をモテに結び付けるのは」

「でも売れっ子になれば」

「売れっ子同人作家って、たいていエロ漫画だよ? 女の子のファンがつくかな? まあ、頂点まで行けば不可能じゃないか。でも君、漫画とか描けないよね」

「うん、かけない」

「じゃあダメじゃないか。それを練習して今から上手くなる手間を考えたらオタ界とは別のところで頑張った方が良いんじゃないか」


 おじさんは言う。普通なら、その通りだとぼくは思う。 

 でもここにはマッドサイエンティストがいるんだ。純粋培養ドリル付きの奴が。ついてないか。


「ふふーん。才子にそんな常識は通用しないですよ!」


 才子は自信満々、白衣の『異次元ポケット』から薬瓶を取り出す。青い液体が入っていた。


「多久沢さん、これちょっとなめるです」

「う、うん」


 ぼくは瓶を手に取り、指先でちょっとだけなめた。

 すうっと、頭の中身を冷たい風が吹き抜けた。


「さあ、絵を描くです」

「うん。じゃあメイドさんを」


 とたんにメイド好きさんがその目に不穏な光を宿らせた。


「何だと? 半端なものでは許さないぞ」


 ぼくはメモ用紙にサラサラとペンを走らせた。

 でもぼくに絵なんて……描けたー!!

 メモ用紙にボールペンで、それも三十秒ぐらいで描いただけのに……紙の中のメイドさんはかわいらしく微笑んでいた。まるで萌え系漫画を十年描いてる大ベ テランが描いたように……


「見せてみろ……ううう!」


 メイド好きさんはぼくの絵を見るなり悶絶した。


「うますぎるうう!」

「ふん、何を大げさな……って、ああ!?」


 巫女同人誌の人もぼくの絵を見た瞬間、泣きながら机に突っ伏した。


「同人やって十五年の俺より上手いィィィ!」

「これでわかったですね? この薬は絵が上手くなる薬『オエカキスラスーラ』です。ひとなめしただけでこの威力! これさえあればオタのハートをつかむこと なんて簡単で……」


 才子は言い終えることができなかった。


「よこせえええ!」

「俺にもおおお!」


 メイド好きと巫女好きが、机を蹴って飛びかかって来た。


「あぶない!」


 ぼくはとっさに才子の肩をつかんで倒そうとする。才子は倒れた。瓶が床に転がる。割れはしなかったらしい。


「おれのだ!」

「嫌だ渡せねえ! 究極の巫女を!」

「ちがうおれのだ! 絵の上手くなる薬ー!」


 二人は床の上でもつれあい、瓶を取り合っている。メイド好きさんが巫女好きさんに容赦のない頭突きを食らわせて瓶を奪取。仁王立ちになって『オエカキス ラスーラ』の瓶を高く掲げ、


「俺は王になる! 萌王にー!」

 萌王ってなんだ。電撃?

「させるかー!」

「おれにもよこせー!」


 そうわめいてタックルして来たのは、巫女好きさんだけではなかった。

 たくさんのオタたちが来た。押し寄せて来た。


「ハアッハア」

「ボ、ボ、ボキも欲しいんだな」

「その薬さえあればー!」


 その数何百人。

 ぼくと才子が机の下に隠れた格好のまま、顔を見合わせた。


「ど、どうする……?」

「はう……」

「大変なことになったなあ」


 おじさんもモゾモゾと机の下を這って接近してきた。


「まずはこれを!」


 才子が水鉄砲みたいな物を出した。

 机を倒し同人誌を吹き飛ばしてもみ合っているオタ集団に向けて引き金を引く。透明な液が発射された。


「おれのだ!」「ハアハア」「爆萌えを我が手にー!」


 ぜんぜん効いてないぞ。


「鎮圧銃が効かないです! まさか萌えを求める心がこんなに強いとは……!」


 おじさんがしみじみと言う。


「薬を飲むだけで超美少女が描けるなら、死んでも欲しがるさ」

「その情熱を他のことに使えばいいと思うです」


 才子がどこか恐れるように言った。

 なんか君に言われるのは納得できないなー。


「じゃあ次はこの脳細胞デンジャラス銃で!」


 才子がポケットから次の道具を出した。


「名前からしてダメ! ダメ、ゼッタイ」

「え? 脳の微妙な部分に気まずい刺激を与えるだけの銃ですよ?」

「とにかくダメー!」


 と、その時。


「ぬおおお!」


 野太い男の声がどこからか響いてきた。


「ぐわ!」「うお!」


 悲鳴がそれに重なる。


「うおおお!」


 同じ蛮声。悲鳴。机の下からだからよく見えないけど、圧倒的な力を持った何者かが、オタ集団を強行突破しているらしい。


「負けるなあ! 萌えの力を見せてやるんだ!」


 オタたちも負けずに叫び返した。だが蛮声男はちっともひるまない。こう怒鳴った。


「イワンめ。教育してやる! 俺の××を××ろ!」


 たいへん下品な台詞のため修正させていただきました。


「ぐああ!」


 悲鳴一発。柔らかい物が落ちるドサドサという音。あっさりオタたちはなぎ倒されたらしい。


「思い知ったか。これでもくらえ! フンガー!」


 また低い叫び。今度は女の声がそれに続いた。


「兄さん、ドイツ軍人は『フンガー』とは言わないと思いますよ?」


 野太い声の主はこう叫び返した。


「デア・フンガーリッヒ!」

「いや、そういう事じゃなくって……全くもう兄さんは……」

「やはりフンガーで正しいはずだ。『フランケンシュタインの怪物』が『フンガーフンガー』を口癖にしているのだから、フンガーがドイツ語であることは言語 学的に証明されている」

「間違いです!」

「むう……まあいい、あらかた片付いたようだな」

「ええ。しょせん女の絵なんかにうつつを抜かす連中はこの程度ですね」


 ちょっとまて何だそれは聞き捨てならないぞ。っていうか誰だあんたたち。

 ぼくは机の下から出た。

 とんでもない光景があった。

 何百人もいたはずの狂暴化オタたちはみんな倒れている。そして折り重なったオタの輪の、その中心には二人の人間がいた。

 一人は、真っ黒い軍服姿。たしかナチスの軍服だ。背が高く、そして筋肉ムキムキ。とどめに割れアゴ。

 もう一人はセーラー服の美少女だった。ショートカットで、挑戦するようなきつい目つき。


「誰だ!」


 ぼくの叫びに筋肉ナチス野郎が答えた。


「俺の名は軍御田独人(ぐんおた どくひと)! 貴様ら軟弱オタどもを叩き潰す鋼の伝道士だ! つまり独逸語で言うと……アイゼルン……いやアイゼルネ ス……ええい! 細かいことは気にするな!」


 セーラー美少女もついで答える。


「わたしは軍御田和美(ぐんおた かずみ)。独人の妹です。わたしたちは、あなたたち間違ったオタの目を覚まさせるために行動する者です」

「ぼくたちの何が間違ってるっていうんだ? やっぱり、現実の女の子から逃げてるとかそういうことを言うのか?」


 ぼくの問いに、軍御田独人と名乗った軍服マッチョはふんぞり返りながら答えた。


「いや、それはどうでもよい。自分の趣味を追求するのは正しいことだ。色恋に縁がなかろうと知ったことではない。……だが!! なぜこんな趣味なのだ!  なぜ小さい女の絵なのだ! 世の中にはもっと美しく気高いものがあるだろうが!」

「な……なんだよ!」 


 軍服マッチョとセーラー美少女が声をそろえて叫んだ。


「兵器だ!」

「兵器です!」

「……兵器だって? 戦車とか?」

「うむそうだ。重厚で男らしいティーガーの砲塔形状を愛し、甲高い54口径88ミリの砲声に血をたぎらせる!」

「そうです、百式司偵の曲線美を愛し、島風の高速性に頬を染め、九六艦戦の究極的な運動性を想って……おそらく堀越さんにとって零戦は妥協の産物、九六艦 戦こそ会心作だったのでは……」


 両手を合わせて語り続ける彼女に軍服マッチョが口をはさんだ。


「和美よ、また日本軍の話か」

「兄さんこそドイツ軍ばかりですね。日本軍の方が美しいのに」

「なんだと? ティーガーやパンターのようなたくましい戦車を日本が作れるとでもいうのか? ドイツの戦車に勝てるのか。なーにがチハタンだ」

「一号戦車が相手なら勝てるでしょう。おそらく二号でも勝てます」

「情けない自慢だな! 飛行機にしたところで、ドイツの方が遥かに設計思想が先進的で、しかも機体の発展性がある。零戦とBf109を比較すればすべては 明らかだ」

「まともに空母ひとつ作れなかったくせに」

「そ、それは条約の規制がいろいろあったのだ! 先手を打って言っておくがビスマルク級戦艦の設計が古いのもベルサイユ条約のせいであって決してドイツの 技官が無能だからではない。ドイツ軍は世界一だ」

「でも日本より早く負けましたよ」


 不機嫌そうな表情で妹がつっこむ。


「そ……それは……高度な戦略的政治的な問題があって……まあそもそも地政学的に……くそ、もしイギリスが大陸と地続きでソ連が暖かければ戦争に勝ってい たのに。歴史の大いなるイフだな」

「そんなのイフじゃありませんよ眼を覚ましてください」

「だいたいだな、日本の零戦や酸素魚雷が優秀だといっても、しょせん現物を手に入れてリバースエンジニアリングを行えば全て解明できる程度のものに過ぎん のだ。開発者まで連れて行く必要があったのはドイツの兵器だけなのだ、これこそドイツの偉大なる科学力……」


 つばを飛ばし拳をふるって熱弁を振るう独人に、ぼくは声をかけた。


「あのーもしもし」

「ドイツの……おおそうだ! ケンカしてる場合ではない!」


 独人はグローブのような手をバチンと打ち合わせた。


「目的を忘れてましたね。ともかく我々は真の美であるミリタリーを追求します。目をさましなさい、女の絵で喜んでいる場合ではないはずです」


 そう言う軍御田和美の手には、いつのまにやら「オエカキスラスーラ」の瓶が。

 ぼくは反射的に叫ぶ。


「馬鹿にするな! 萌えは大切だ!」

「美しい兵器の絵を見ればその考えも変わりますよ」


 そう言って瓶のふたを開ける。あおろうとした瞬間、ぼくは一気に駆け寄ってその手首をつかんだ。


「あなたも邪魔をするのですか」

「日本軍だかなんだか知らないけど、この人たちを助けろ! 謝るんだ!」


 ゴロゴロ転がってるオタたちを指差しながらぼくは叫んだ。才子とおじさんが介抱してまわってるけど、みんななかなか目をさまさない。才子は変な薬を投与 して治そうと試みてるみたいだ。

 軍御田和美は腕組みをした。冷たい目でぼくたち全員を見る。


「……嫌です」

「俺も断る。そんな軟弱者どもに配慮することはない」


 そうか。それならぼくの考えは決まった。


「才子!」


 振り向いて叫ぶ。


「言われるまでもないです!」


 才子が例の水鉄砲を発射。

 しかし独人は、頭からその水を浴びたのになんともない。丸太のような腕を組んで、ただ笑っている。

 次の瞬間、独人の顔が変形した。目の辺りがパカンと横に開いて、レンズみたいなものが突き出す。


「ゲルマンビィィィィム!」

 

 レンズから光線がほとばしった。

 才子の手から水鉄砲が飛んだ。


「今度は銃だけではすまさんぞ」

「その体は……!?」

「これか。このあいだ街を歩いているとだな、眼鏡をかけた白衣の女が『兄さんいい体してるわね、サイボーグになってみない?』と声をかけてきて改造手術を 施してくれた」

「その人知ってる……」

「お姉ちゃんなにやってるですか……」


 彩恵さんが改造したんなら手強いぞ。


「やはりドイツの軍人たるもの、一度はサイボーグになってみないとな」


 この人のドイツは何か間違ってる。


「多久沢さん、これを!」


 才子がカプセルを手渡してくれた。僕は一気に飲み下す。全身に痛み。体が真っ黒い水虫装甲に包まれた。


「むう……お前も改造を!?」


 ぼくは強化された力で、妹の方から瓶を奪い取った。

 そして腰を落として、独人の攻撃に備える。


「頑張るです多久沢さん! パワー三倍痒さ十倍に改良したです!」


 せめて逆にできなかったのか。


「なぜ歯向かう」


 ぼくはとっさに答えた。


「……ぼくは戦車とか、軍艦とか、詳しくないけど。……でもこれだけは言える! 自分の趣味を押し付けるのは正しいオタの姿じゃないんだ! 別にアニメ絵 でハアハアしたっていいじゃないか!」

「か……かっこいいような……悪いような……」

「才子は隠れてて!」

「断じて認めるわけにはいかんな、そんな考えは! ゲルマンンンンンンッビィィィィムッ!」


 独人は顔のレンズから光線を発射。

 よけたら、倒れてる人たちに当たる。

 両腕を交差させてビームを受け止めた。痛い、メチャクチャ痛い。アニメとかだとニヤッと笑って止めるのに。

 ぼくは勢い良くかけよって、独人の腕をつかんだ。機械の体だから殴ったら爆発するかもしれない。押さえこむしかない。つかんだままひねり上げる。ありったけの筋力を振り絞った。


「……むう……力で負けている……!?」


 うめく独人。よし、これなら勝てそう。


「あたっ!」


 女の声が、鋭い叫びが耳に飛び込んだ。脇腹に痛みが炸裂。体が浮いた。すっ飛ぶ。机を倒してぼくはころがっった。手が、足が冷たくなる。力が抜けて、立 てない。


「おお! ありがとう和美!」

「油断しすぎですよ、兄さん」


 妹の方が、どっかでみたような拳法の構えをとって立っていた。


「そ……その技は……」

「執事聖拳の一つです。体の『気』の流れを乱しました。あなたはもう動くことができません」

「執事聖拳!? な……なんで……」

「兄が機械の体になった以上、私も変な拳法のひとつくらい身に付けなければ、と思ったのです」


 思うなよ。


「そんな時、不思議な技を使う紳士に出会ったのです。豪炎寺セバスチャンという方です。私はすぐさま弟子入りを願ったのです」


 奇人変人どうし、引かれあうのか。

 精いっぱいの力を振り絞ってぼくは叫ぶ。


「才子! みんなを逃がして!」

「その必要はない!」


 元気な声がかえってきた。

 首だけを動かして、ぼくは見あげた。

 シャツはやぶれ鼻血を流した……メイド同人誌の人が立っていた。


「……俺も戦う!」


 巫女同人誌の人も体を起こした。目をらんらんと輝かせ、独人をにらんで叫ぶ。


「……萌えを馬鹿にする奴は許さん!」

「ぼくも!」「おれもだ!」


 次々に、倒れていたオタたちが起き上がってくる。大部分は太ってるか痩せてるかの男性だけど、中には女の人もいた。


「おれたちにもその薬を!」

「おれにも!」


 全員がぼくと才子を真剣にみつめ、そう言ってきた。


「これ……カビですよ? 全身が水虫菌でかゆくなるですよ?」 

「かゆいのが怖くてオタクができるか!」

「そうだ! おれなんかコミケ前はコピー本づくりで一週間くらい風呂入らなくても平気だし! いつものことさ!」


 ちょっとまて周りの人たちは平気じゃないぞ。


「はう……でもあの人たち強いですよ。変な拳法使うし」

「変な拳法が恐くてオタがやってられるか。俺なんて民明書房ぜんぶ読んでるんんだぞ!」

「じゃあこれを飲むです!」


 才子がポケットからたくさんの薬瓶を出す。オタたちは争うようにしてそれを取り、飲んだ。


「何人かかってこようと無駄だ!」

「兄さん、兄さんは敵を侮る悪い癖があります。まるでクルスク戦で重防御の陣地に突っ込んで大被害を受けたドイツ軍のように……」

「何を言うか! あの戦いでのドイツ軍は油断などしていない! 敵をあなどるというのは、台湾沖でちょっと艦隊を攻撃しただけなのに空母十隻以上沈めたと思い込んだ日本海軍のT攻撃部隊が……」

「そういうことを言いますか! あれは源田閣下が……」

 

 兄妹が、軍オタ特有の内輪もめを始めた。

 その隙に、薬を飲んで変身したオタたちが、雪崩となって突撃していった。


「ゲルマンッッッッッビィィィィィムッ!」


 目から出た光線をまともに受けて何人かがふっ飛ぶ。


「執事聖拳奥義!」


 押し寄せるオタ群の前で、和美が拳を振るう。

 次から次へと、オタたちが倒れていった。

 ダメなのか?

 萌えオタは、軍オタには勝てないのか?

 いや、まだ手はある。

 手足は動かせない。だけど口なら。

 ぼくは絶叫した。


「開場でーす!」 


 その途端、倒れていたオタ全員の目が輝き、立ち上がる!

 そう。即売会に通っている人間なら遺伝子に刻み付けられてる、あのプログラムが発動したのだ。

 オタたちは一瞬にして四列で並んだ。独人たちに向かって突進を開始した。さっきを遥かに超える勢いで!

 ぼくはさらに叫んだ。


「走らないで下さい! 走らないで下さい!」


 連中の目が光った。突進の勢いが増した。

 こう言われると走ってしまう、それがぼくたちなんだよ!!!


「な、なにっ!?」


 独人はビームを放つが、効かない。興奮状態で痛覚がマヒしてるのだ。


「執事聖拳奥義っ!」


 次々に倒れる。だが一瞬で隊列を組みなおして突っ込んで行く。


「こ、これはどういうことだ、和美!」

「信じられません、執事聖拳が効かないなんて……ぐは!」


 独人と和美は、オタ数百人に飲み込まれた。


「ゲルマングレートハリケーン!」


 独人が両腕を広げて高速回転。


「兄さん、それ全然ドイツ語じゃありませんよ」

「英語とドイツ語をまぜるのはよくあることだ! ほら、あるだろうツインリンクもてぎとか!」


 オタたちがまとめて吹き飛んだ。

 強い。あの数でもだめなのか?

 その時、一人のオタがぼくの前に立った。

 顔は真っ黒い装甲で包まれているから誰だか判らない。


「……もう、ダメか」


 ぼくは思わずうめいていた。

 しかしそのオタは力強く断言する。


「何いってるんだ! その薬さえあれば!」


 喋ったのでやっとわかった。

 あのメイド同人誌の人だ。

 彼はぼくが握りしめていた『オエカキスラスーラ』の薬瓶を取って、そのまま一気にあおる。近くの机からスケッチブックとマジックを取り、サラサラと描い た。


「……見ろ! これが究極のメイドだああ! あまりの凄さにヴィクトリア女王が化けて出るぜ!」


 ぼくの位置からはどんな絵なのか見えなかった。だが独人の反応はよく見えた。


「くっ……!」


 独人は回転を止め、両腕をだらんとたらして、一歩後ずさった。目に見えない力に押されるように。


「どうしたんですか兄さん! まさかあんな絵一枚に心を奪われるとは……」

「そんな馬鹿な事があるかっ」


 怒鳴り返す独人。しかしその目はしっかりと、メイド好きさんの掲げたスケッチブックに向いている。


「私ひとりでも! ドイツが降伏してもまだ三か月は戦えます!」


 なんかビームとか出しそうな構えを取る和美。


「女向けだって描けるぞ!」


 一瞬、一瞬だけ、和美は動きを止めた。


「今ですよ!」


 才子の叫び。ぼくは再び声を張り上げた。


「開場ー! 走らないで下さい走らないでください!」


 オタ集団の目が光った。四列で並んで突っ込む。


「ド、ド、ドイツの軍事力は世界一ィィィ! ドイツ語で言うとヴェルト・アイーン!」

「兄さんそれ説得力ないですー! っていうかドイツ語間違ってます!」


 オタ津波は二人を呑み込み、薙ぎ倒し、机を破壊して同人誌をまき散らしながら、会場の壁まで突き進んでいった。


 三


 才子がポケットから出した「超強力ツタ・だんぜん捕縛くん一号」でぐるぐる巻きにされて、軍オタ兄妹はうなだれていた。

 ブツブツと文句を言っている。


「……兄さんがあんな絵なんかで動揺するから……」

「そういうお前もたじろいでいたぞ」

「ほんとの軍隊なら鉄拳制裁ですよ、精神注入棒ですよ」

「まて、たしか東条英機は鉄拳制裁を禁じていた気がする」

「あんな丸ハゲ上等兵の言うことは知りませんよ。日本海軍と陸軍は全然関係ない別の軍隊なんです。『帝国海軍はまず帝国陸軍を撃滅し、その余力をもって米英に相対す』という名言もあります」

「名言なのか? 皮肉じゃないか? これだから日本軍びいきは……」

「ドイツなんて軍隊が四つもあって全部喧嘩してたでしょうが!」

「くっ……」


 ぼくは声をかけた。もう体も動くようになって、変身も解いている。


「きみたち」


 二人は黙って、むすっとした顔になった。


「……馬鹿にして悪かったと思っている」

「ああいった絵も悪くはないですね」


 反省してくれるなら、まあいいいか。


「萌え絵の勝利を祝って乾杯だ!」

「おう!」


 服ボロボロでもたれあって立っているオタたちが歓声をあげた。

 よかったよかった。

 ……なにか忘れている気がする。


 四


 数分後、ようやく駆け付けた警官隊は、全裸になってヒイヒイ言いながら体をかきむしるオタ数千人の姿を見て仰天した。


「やっぱりかー! やっぱりこの落ちかー!」


 ボリボリボリボリ。


「はうー! どうせこんなことになるとおもっていたですー!」

「才子ー! 助けてくれー才子ー!」

「はうー!」

「恥ずかしがってないでー!」

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