4.『火矢』

「―—結論からいえば、彼らに文芸への関心なんて微塵もありはしない。彼らにしてみれば、書いたものに文芸があるというだろう。しかし、実態は文芸のまねごとの域を出ない、彼らの目でのみ適っていると判断されているのに過ぎない。独りよがりで、陰気な……文芸部の発刊誌『火矢』をめくってみれば分かる。退屈を覚えないページを見つけることはできない。芥川『侏儒の言葉』の「批評学」に登場させたメフィストフェレスが説く“半肯定法”を使うとすれば、なるほどそれらしく書いてはいる。が、畢竟それだけだ、ということです」

 退室した彼が座っていた椅子を折りたたむ相田の頭に巡っていたのは、一息にまくし立てる寺井の言葉だった。

「風紀委員会が使用している部活動の監視ツールではこのことを看破しえないため、“健全”との判断が下るのも無理からない話です。しかし、そのツール自体に欠陥とまではいわずとも、限界があることは使用者のあなた方も認めないわけではないでしょう。限界のないものなどないのですから。文芸部の現状ひとつとっても、彼らの惰性が糺せない、見せかけの健全が遂行されているか否かを判定するツール、つまり、建前のデキを判断するだけのツールになってしまってはいないでしょうか」――

「なんだか、いけすかないな」

 松村が質疑の記録をまとめながら、誰にともなくこぼした。

「部活の申請をしておいて、自分たちのことをいうより、他の部活に対する否定的な意見ばかりならべて、あまつさえ面前と風紀のやり方にまで猜疑心をあらわす。――あいつ、本当に部を発足する気があると思います?」

「部を発足するつもりがないなら目的は?」

 チェックシートに指を当てて、きょうの仕事を確認しながら、八重野が興味なさそうに合いの手をいれる。

「この状況を楽しんでいるだけの中二病」

「――かもね、ひょっとすると。でも、リスクが大きいと思うのが普通だろ。一応俺たちは一般生徒じゃないんだから、進路に響く可能性くらい考慮する。ことによっては退学処分もありうると分かってて、そんなことするかな。言ってしまえば、たかが一高校の部活動云々なわけだ」

「そこまで考えていない馬鹿か、そんなことどうでもいいとでも思っている馬鹿か」

 相田は口を結んで聞いている。視線は中空で浮動し、緩慢な動作である。八重野から視線を移した松村が、ため息まじりに「委員長」と声をかけた。はっと焦点を取り戻した相田が松村を見ると、呆れた顔をして言葉をついだ。

「なにを考え込んでいるか知りませんが、ありゃ考えるまでもないですからね。間違いなく有害ですよ。」

 相づちを打ちかねて、顎を引くような曖昧な頷きをした。

「委員長の悪い癖です。俺たちは与えられたマニュアル通り、機械的に物事を処理するのが最善です。一々の事態に考察を加えていけば、次から次にくる事態のほうに追い付かれて、処理はむしろ杜撰になっていくんですから、首を突っ込みすぎるのは誰のためにもなりませんよ」

「……もし」

 と相田は覇気のない声をこぼした。

「マニュアルが、事態を適切に判断するには、不充分なツールだったら?」

「それはそれ。適不適は教師が考えることです」

 今度は頷きもせず、口をつぐんだ相田の沈黙に、

「これか」

 と國脇が声を発した。

「「批評学」、彼が言っていた芥川の作品の断章。――大学の教師になりすまして、メフィストフェレスが生徒に半肯定論法という批評法を教える話。……ただ、その十八項目後に「広告」「追加広告」「再追加広告」と三つ項目があって、これは批評家を馬鹿にしたのであって、文中にある批評対象をけなしたのではないとある。つまり、この論法自体が批評家のする無益な批評の戯画化みたいなもんらしい」

 説明を聞いていた松村が肩をゆすって笑った。

「つめが甘いな寺井。悪魔に吹き込まれた論法で相手を貶したって、自分の良識が疑われるだけだ」

「委員長、今回の件は彼の自己顕示欲か、徒に学内を攪乱する愉快犯じゃないか、と私も思っています。松村くんの言うように、深入りせず、適切に処理するのが、妥当かと思いますけど」

 八重野の言葉を聞いていないわけではなさそうだったが、依然として相田は物思いに沈んだ表情でくうを見ている。彼女がそこからなにか言葉を見つけるかとしばし待っていた松村だったが、しびれを切らして肩でため息を吐いた。

「終わり終わり、帰るか八重野、國脇さん」

 相田のことが気がかりではあったが、

「さきに上がりますね、委員長」

 とかばんを肩に掛ける松村に八重野も國脇も従うことにした。

「あまり相手の流れに乗せられないようにお願いします」

「――うん、わかってる。おつかれさま」


「珍しい、風紀会長だ」

 利用者のみえない図書室で、退屈そうに受付に座る山本朝雄がひらいた本のページから顔をあげ、入り口に現れた相田の顔を見て言った。

「視察? 真面目にやってるよ、見ての通り流行ってはいないけど」

 冗談ぽく言う山本にかぶりを振って、

「そうじゃなくて」

 と相田は彼のほうへ歩み寄った。

「文芸部の部誌ってあるよね」

「ああ、あるよ。ほら、入口に」

 そう言って少し前のめりに指さした。

「なんで部誌?」

「うん、ちょっと」

 と言ったきり言葉を切って、その棚を振り返った。棚は三段組のポケット形式で、それぞれの表紙が見える。その面積のほとんどは一般雑誌が占めているが、右端に校内発行の通信や冊子などのコーナーが設置されている。棚のある入口のほうに戻っていく相田の背に、

「そこ、よく冊子の入れ換えがあるんだけどさ、手間なわりに、人は一瞥もしないんだよ」

 と山本は笑った。

「まれに手に取って立ち読みする人がいるけどね、変わった人だなと思って見ちゃうよね、手間かけてる甲斐を感じるよりも早くさ」

 話を聞くともなく聞き、『火矢』を手に取った。ひらくと目次には物語設定的な長いタイトルが並ぶ。各作品とも分量は少なそうだ。

「山本くんも読んだことある?」

 視線はぱらぱらとめくるページに落としたまま尋ねる。

「最初の頃はざっと読んでたかな。今はあんまり」

「そう」

 おおよそファンタジー小説が多いようだ。斜め読みした限りでは、寺井が唾をとばして軽蔑する理由は分からなかった。

「どうです」

 山本が尋ねたが、こう濁した。

「私、物語はあまり読まないから」

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