姫、進撃す2

 兄の生存もさることながら、何よりの朗報は、消息不明だったロベルティート・ダリアレオンがダリアスライスに保護されているという情報だった。


「経緯は不明だが、とにもかくにも、殿下はご存命におわす。

 我らにとって、これほどの喜びがまたとあろうか」


 オタールス弟は色めき立って仲間に語り、周囲をどよめかせた。


「ようご無事にあらせられた」

「して、殿下の御帰還はいつ頃になろうか」


 一人が、最も重大な関心事を口にした。

 城内の高位貴族専用談話室に集った全員が、弟を注目している。

 しかし当人は顔を曇らせた。


「残念ながら、そこまでは分からん。

 おれが聞いた話は、殿下ご息災にあらせられ、事のついでに兄も存命という事だけだ。


 ダリアスライスの意向も絡んでくるゆえ、今日明日の話にはなるまい。

 むしろ、長丁場になると覚悟すべきであろう」


「そうか……やむを得んな」

「すると、ダリアスライスより、何らかの取引を持ち掛けられる可能性があると」


「そう見るべきだな。

 此度こたび、おれに接触があった点からして、先方はすでに動いていると考えられる」


「確かに。

 先方の了解なしに、殿下が使者をおつかわしあそばせるはずはない」

「問題の彼らは、おぬしに何も伝言してこなんだのか」


 他の一人の問いに、オタールス弟は頷いた。


「ああ、今のところはな。

 取引なり交渉なりに先立って、まずはご生存を通達するという考えと思われる」


「いきなり交渉を持ち掛けてこなかったのは、先方なりに我らへ敬意を払っている表れと見るべきだな。

 先方の現在の立ち位置は、我が方に恫喝をしかけることすら可能だ」


「うむ。

 少なくとも、一方的に利用をもくろんでいる可能性は低いだろう」


 彼らは口々に意見を述べ、互いに首肯し合った。

 現時点では、ダリアスライスが何を考えているのか、予測するのは困難だった。

 だが、ロベルティートの身柄を楯に、何事かを要求するつもりもなさそうだと見て取れる。

 今はそれで満足しておくのが妥当というところだろう。


「ともかくも、連絡の手段は確保できた。

 あとは、シルマイト殿下に漏れぬようくれぐれも頼む」


 オタールス弟は、そうしめくくった。



 表向きロベルティートは行方不明、その状況に変わりはなかった。

 シルマイトは、憎い実兄の消息を掴むべく、水面下で必死の捜索を続けていたが、むろん顔には出さない。


 彼も彼で、結婚と立太子礼に多くの時間と労力を割かねばならず、多忙を極めていた。

 妻に迎えるミルティーネ姫とも、最低限の交流はしなくてはならない。


「姫におかれては、ご機嫌はいかがかな」


 未婚の身では、まだ同じ生活空間で過ごすわけにいかず、第五王子は面倒な城内のしきたりに従っていた。


 午後の茶会を開き、丁重にミルティーネを招待して、まずはもてなす。

 彼女も機嫌よく招待に応じていた。


「ええ、大変よろしうございます。殿下」

「それは重畳ちょうじょう


「身に余るおもてなしの数々に感じ入っておりますわ。

 病に臥せったりしなければ、姉が殿下に今の御厚遇を頂戴する運びだったはず。

 それを思うと、妹の身がかたじけないと痛感します」


「何の、お気に病まれることはない。

 姉君の事は、残念至極に思っております。

 一日も早い御快癒ごかいゆを、わたしもユピテア大神へ祈願いたしましょう」

「恐れ入り奉ります」


 表面的にはごく和やかに、しかし皮を一枚めくれば腹の探り合い。

 王子と姫の、互いの本音を見定めようとする、ある種の舌戦が繰り広げられていた。

 シルマイトは内心で


(まぁまぁ、常識的だな。

 宮廷の社交辞令には十分慣れている女だ。


 その分、油断禁物か。

 到着からこの四日間ばかり、茶会に呼び出しては会話しているが、なかなかどうして。

 容易に内心を見せようとはせんな)


 やや面倒を感じていた。

 ミルティーネは予想を大きく上回って、礼儀礼節を遵守し、品の良い微笑を崩さず、見事に「姫」を演じ続けている。


 篭絡ろうらくされてなるものかと、固く心に誓っているのだろうか。

 もっとも、彼女の態度から


(ふん。

 姉の病というのは、おおかた上面を取り繕う、口実にすぎんのだろうよ。


 本当のところは、姉より賢い妹を我が宮廷に送り込んで、おれの支配を逃れるとでもいったあたりに相違ない。


 小賢しいサナーギュアめが。

 そうそう簡単に、この俺を出し抜けるとは思うなよ)


 婚儀寸前で妻が入れ替わった内実を、ある程度は看破する王子だった。

 彼には、女性を手中に収めて思うがままに操る手腕について、一定の自信がある。


 気の毒なレイゼネアの侍女がそうだったように。

 少しくらい抵抗されたところで、何ほどの事があるか。


 彼は、腹の中で将来の妻を見下し、嘲笑っている。

 一方のミルティーネ姫も、王子の傲慢を見抜いていた。


(知れば知るほど、嫌な男だこと。

 口もとで薄笑いばかり浮かべ、いかにも紳士ぶって。


 目が白状しているわ、自分は紳士ではないとね。

 ひと言で表して、下種ね)


 当人にはとても聞かせられない、手厳しい評価を下している。

 姫にしては、相手をののしる語彙が豊富なものだった。


 実際、ミルティーネは読書を愛している。

 周囲に叱られつつも、庶民が娯楽として目を通すような、市井の読売にまで手を出すほどだ。


 そのおかげと言うべきか、深窓の姫には無縁であるべき言葉や知識にも恵まれている。

 生来の勝気と知性が、彼女を強くしていた。


 将来の夫たるエテュイエンヌの第五王子、彼に権力を握らせてはならぬ。

 ひいては、故国サナーギュアの命運を自由にさせるような事があっては、絶対にならぬと。


(何でも思うがままになると、思い込みたければそうすればいい。

 そうなるとは限らないわ、後で嫌というほど知ればいい)

 


 ミルティーネ姫の進撃が始まった。

 彼女の付き添いとして派遣されている使節団の上層部は、姫を補佐する役割を仰せつかっており、その宮廷の意向は、楽団にも言い含められている。


 一般の演奏者までは周知されておらずとも、指揮者には話が通っていた。

 結果として、姫と指揮者は「王子のもてなしへの返礼」と銘打った演奏会開催を、詳しく話し合う場が設けられ、二人は一室を提供されるに至った。姫が茶会の席を辞した後だった。


「姫。

 御下命を承った件ですが、特にご指名に与りましたアーティア・マアト・ラナールに独演会をさせる。こちらでお間違いございますまいか」


「ええ。

 話によれば、彼は王后陛下のお気に入りだそうね。

 最近は、レイゼネア姫にもご注目されているとも聞いたわ。

 ゆえにかの者と、つながりを持っておきたいの」


「かしこまりましてございます」


「わたくし、レイゼネア姫ともつながりたいわ。

 時折、お姿を拝見するのだけど、どうにも直視しがたいのよ」


「さよう仰せあそばされますのは」


「あの方、王家の正当なお血筋にあらせられる姫君でしょう。

 だけども、そうは見えない。


 わたくしが、サナーギュア宮廷で見かけた王家や貴族の姫達とは、あまりにも毛色が異なる。

 あれほど暗い面持ちをあそばして、心ここにあらずといったご様子も見受けられるわ。

 わたくし、あのような近寄りがたい姫を今まで、見た事がないの」


 姫のことばを聞き終えた指揮者は、大きく同意した。


「仰せの通りと愚考いたしまする。

 レイゼネア姫はご不例著しい、以前より耳にしておりましたが、あのご様子。

 お体ではなく、何かお心に重大な御病おんやまいを養われておわすのかと」


「そもじも、そう思うの。

 わたくしもよ。


 あの方の、何も見えていないかのような虚ろなお目を、拝見するたびにね。

 怖いとさえ思うわ」


 彼ら主従には、レイゼネアの身に起きたおぞましい事件を知る術はない。

 しかし、不審を覚えるには十分な、少女の態度を何度も目撃している。


 何が起きたのか、真実にたどり着くことは不可能にしても、宮廷内でその「何か」が発生したのは確かで、たとえ一部分にすぎなくとも、謎ときをおろそかにするべきではないと、二人はそれぞれの思考から結論を導き出している。


「万が一、レイゼネア姫の気鬱が、シルマイト殿下と関わっているのなら、知らぬで済まされる事ではないわ」


「まことに、仰せの通り。

 我ら臣下一同、姫の御身につつがなくを願っております。


 遠からず夫君におなりあそばす王子が、実は妹君を害し給うているとなれば、我らは到底、看過いたしかねまする」


「そうね」


 レイゼネアの現在が、明日のミルティーネの姿だとは、誰にも断言できない。

 王子の妹にまつわる「何か」は、嫁ぐ身としては無関心ではいられないのだった。


「その辺を解明するためにも、レイゼネア姫や王后陛下と縁を結ぶべきだと思う。

 急に動いては、あの狷介けんかいな王子をどう刺激するか、見当がつかないわ。

 徐々に、だけどもあとう限り速やかに、周囲を固めましょう」


「御意」


 二人の打ち合わせは、サナーギュア勢における、シルマイト包囲作戦の始まりでもあった。

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ガロア剣聖伝 北見りゅう @ryu_denshodo02

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