ビビリですが怪異退治はナイフ縛りが基本です

2-5

　袋小路から顔だけを出して、左右を確認する古谷。

　誰も居ないことを確認して、袋小路から出る。その背後にぴったりとくっつくようにして少女がついていく。

　恐る恐るといった様子で歩きながら、古谷は左ポケットからスマホを取り出す。画面を確認するが、圏外なのは変わらない。

　スマホを持ったまま、何度も背後を確認しつつ彼は歩き続ける。

「そ、そういえば名前、聞いてなかったね。呼ばなきゃいけない時のために教えてくれ、俺は古谷」

「あ、わ、私は川上です」

「よし、なにかあったら呼んでくれ。いいね？」

「はい……！」

　周囲をできうる限り確認しながら歩く古谷に、少女――川上もおっかなびっくりといった様子でついていく。

　だがそれでも落ち着いている方だ、と古谷は考える。

　状況がいいのだろう。周囲のブロック塀が肉塊に変わったりした訳でもなく、襲ってくるのもまだ一般人と違いが分かりづらい口裂け女だ。だからまだ現実味が薄いのだろう――そう彼は結論付ける。

「そういえばあいつ――口裂け女に襲われる前、なにか変わったことはなかった？」

「変わったこと……？」

　川上が小首を傾げる。

「突然気絶しちゃったとか、足元がふらついたとか、変な物を見ちゃったとか。そういうことはなかった」

「え、えぇと……」

　右手を額に当ててしばし考える川上。

　が、すぐに首を横に振る。

「と、特になにもありませんでした。普通に歩いていたらいきなり襲われて、に、逃げ、てたらあの、追い詰め、られて――！」

「あぁごめんごめん！　思い出さなくていいから！　俺が悪かった！」

　先ほどの恐怖を思い出して過呼吸を起こしかける川上に、古谷が慌てて声をかける。少女は大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。

　と、スマホをチェックした古谷が足を止め――バッと振り返った・

　川上がビクリと肩を震わせる。

「ど、どうしたんですか……」

「……ナンデモナイヨ、ウン」

　棒読みで首を振り、また歩き始める古谷。

　釈然としないながらも川上がついていく。

　そんな二人を、見つめる影が一つ……いや、二つ、三つ……

「うわ、増えてる」

　スマホの画面を――否、スマホの画面に反射する背後の光景を見ながら、古谷が小さく呟く。

「え？」

「イヤ、ナンデモナイヨ」

　不安にさせないように川上にはなにも言わないが、古谷は内心考え込んでいた。

　この時間帯なのに誰にも出会わず、スマホはなおも圏外。

　そもそも一般人の前に機動部隊が駆けつけてくるはずなのだが――

(もう俺が“入り込んだ”地点は過ぎてる……隔離された空間が拡大してるのか？　それとも黒幕を倒さないとどうしようもないタイプなのか……)

　考えながら、古谷は自然に振り向く。

　が、スマホの画面に映っていたいくつもの影は姿を見せない。

(……隙をうかがってるな。標的は……たぶん、この娘だ)

　古谷は川上の方を見る。

　川上は「なにか？」といった様子で古谷を見上げる。

(となると俺は巻き込まれたってわけだ……うわーんもう最悪だー！)

　そうしてまたスマホを鏡代わりに背後を見やる古谷。

　と、その足が止まった。

「古谷……さん？」

　今度は古谷の雰囲気が違うことを敏感に感じ取って、川上が不安そうな声を出す。

　そんな彼女に構わず、パッと振り返る古谷。

　ところが今度は、影が蠢いている。“奴ら”が姿を隠さなくなったのだ。

(まずいまずいまずい！　痺れを切らしたのか！？)

　古谷は小声で川上に話しかける。

「川上……そこの袋小路、見える」

「は、はい、見えます」

　そこは先ほどよりも高いブロック塀に囲まれた袋小路だった。抜け目ない古谷は、そこなら身体能力の高い“奴ら”でも回り込めないだろうと目測していたのだ。

　スマホを左ポケットに収める古谷。

「俺が合図したらあそこに走りこめ――振り向かずに。なにかあったら大声出して。分かった？」

「わ、わかりました」

「よし――走れ！」

　古谷が叫びながら振り返る。

　“奴ら”――口裂け女たちが手に手に鎌や包丁、斧を構えながら路地から、角から、建物の陰から飛び出してくる。

　その数、優に十数人近く。

(数が多い……！)

　指示どおり、振り向かずに袋小路へと走りこんでいく川上。

　古谷は右腰の後ろあたりのシースからカランビットを抜き放つと、少し走りこんで――思いっきり振り回した。

　口裂け女が川上に向けて投擲した鎌の刃にカランビットのブレードが命中、甲高い音を立てて弾き飛ばされていく。

(やっぱり狙いは川上か……！)

　さらに飛んでくる包丁や釜を、古谷はカランビットを振り回して撃ち落としていく。幸いにしてカランビットでは撃ち落とせない斧を振りかぶろうとする前に、川上は袋小路へと逃げ込んでいた。

　それを横目に確認したところで――古谷は横っ飛びに飛んだ。

　標的を古谷に替えて飛んできた斧が、地面に落ちて滑っていく。

　左手をついてすぐさま体勢を立て直した古谷は、口裂け女たちへと向かって走っていく。

　口裂け女たちは服の下から新たに武器を取り出して――斧なんてどこに隠すの？　と古谷はつい考える――迎え撃つ体勢に入った。

　そんなやる気満々の“彼女たち”に対して古谷は――

「ああもう勘弁してくれよぉ！」

　情けない悲鳴を上げながら飛び込んでいった。

　一人が投擲した斧を「ひぃぃっ！？」と叫びながら半身になって避け、さらに別の斧を服の下から――だからどうやって隠すんだ？――取り出される前に接近、カランビットを右斜め上から袈裟切りに振り下ろして頚動脈、鎖骨下動脈、さらに胸部から腹部にかけてバッサリと切り下ろす。

　大量の鮮血を溢れ出させながらその口裂け女は倒れ伏した。

　が、それで安心できる訳ではない。まだ口裂け女はたくさん残っている。

　背後から鎌を振り上げてくる口裂け女に対して、古谷は振り向きざまにカランビットを左斜め下から逆袈裟に切り上げる。鎌を持った右手にカランビットのブレードがヒット、鮮血が飛び散る。

　そうして戦闘能力を奪ったところで、カランビットを右から左、左から右と振り回して左右の頚動脈を切断、確実にトドメを刺す。

　さらに向かってくる別の口裂け女に対して――古谷は自ら接近。

　慌てて包丁を振り回す口裂け女に対して、左手でその右手を掴んで攻撃を封じると、アッパーのように首元にカランビットを叩き込んで致命傷を与える。

　あっという間に三人の口裂け女を倒したことで、残りの口裂け女たちに動揺が走った。彼女たちの動きが止まる。

　その隙を利用してカランビットのブレードに付着した鮮血を振り飛ばした古谷は、情けなく叫んだ。

「ああもう、次はどいつだこんちくしょう！」

　一瞬、残った口裂け女たちがたじろく。だがなんとか奮いなおして古谷へと向かって走り出した。

　しかし、もう勝敗は決まりきっていた。

　残っている口裂け女たちを、古谷が蹂躙していく。

「うぇ……」

　袋小路の角からその戦闘を見ていた川上は、覚えた吐き気をなんとか飲み込んだ。

　酸っぱい物がこみ上げてきそうになるのをなんとか我慢しながらも覗き込むのを止められないのは、たった一人で戦っている古谷が心配だからにほかならないが、その心配は無用だったのではないかと彼女は考え始めていた。

　というよりその戦闘を見ているせいで喉からなにかがせり上がりかねないでいるのだが。

「すっごい血が出てる……」

　素人丸出しの感想だが、彼女にはそうとしか言いようがなかった。

　古谷が使っているのはカランビット。その湾曲したブレード形状は、刺突よりも斬撃に向いている。自然と突き刺してから引き裂くような攻撃になり、その傷口は通常のナイフよりも大きくなりやすい。

　また川上には知る由もないが、古谷は的確に急所である動脈などを狙っている。そのため、倒れている口裂け女たちからの大量出血で、地面はもはや紅く染まっていた。