2-4
路地にある袋小路に、彼女は追い詰められていた。
「いや……助けて……」
高校生くらいの年恰好、茶髪で耳を隠した少女は、ブランド物のバッグが擦り付けられて傷だらけになるのも構わず、コンクリート塀に体を押し付けていた。
彼女の逃げ道を塞ぐように袋小路の入り口に立っているのは、赤い服に赤い帽子、そしてこれまた赤いハイヒールを履いた口裂け女。少し離れた場所で死体となっている口裂け女とは顔立ちが違っている。
おまけに武器も違っていた。その手に握られているのは、どこの家庭にもあるような一般的な包丁。
ただご家庭のそれと違うのは、赤茶色に錆びているところ。
その口裂け女が、お決まりの台詞を吐く。
「これでも、綺麗……?」
口角を文字どおり耳まで吊り上げての言葉に、少女は泣きながら震えていた。
そんな彼女に向けて、口裂け女が包丁を振り上げて――
その首元に、カランビットが滑り込んだ。
ハッと振り返ろうとするよりも早く、口裂け女の首に引っかけるようにしてカランビットを滑り込ませた古谷は、足元を刈るようにして口裂け女の体を回転させた。
そのまま頭から地面に叩きつけられる口裂け女。衝撃で目を回している。
だが古谷の行動はそれで終わりではない。
手早く口裂け女が握っている包丁の柄にカランビットを引っかけて手をこじ開けるようにして奪い取り、さらに自らの左手に握った包丁の柄をダメ押しとばかりに口裂け女の額に叩きつける。
柄を叩きつけられてさらに地面で頭を打った口裂け女は、あっさりと気絶した。
「うぅ……き、気絶耐性とかなくてよかったぁ……身体能力はどうだろ……」
「え……えぇ……」
目の前で起きた一連の出来事にどう反応すればいいか分からない少女に、古谷は声をかける。
「だ、大丈夫? 怪我は無い?」
「だ、だいじょぶです……ありがとうございます……」
「そりゃよかった……」
心の底から安堵した様子の古谷。
「俺は……うん、一応悪い人じゃないから安心してね。もう大丈夫だからね」
「は、はい…………!?」
突然、少女の顔が驚愕に凍りついた。
それは先ほどまで倒れていたはずの口裂け女が、まるで跳びはねるように起き上がって、懐に隠し持っていた包丁を取り出し古谷に襲い掛かったから――ではない。
口裂け女が起き上がる直前に振り向いた古谷が、左手に持っていた包丁を投げつけてけん制し、動きが止まったところに一歩踏み込んで女の頚動脈と鎖骨下動脈を右から左へとカランビットで切り裂いたからだ。
あまりの光景に、少女は声を出すことも忘れていた。
一方口裂け女も隙を突いたと思ったところへの素早い反撃に驚愕していたが、首元から溢れる鮮血が大量すぎてすぐにその意識もなくなり、白目を剥いて膝から崩れ落ちてしまう。
「うっわあんだけやって全然気絶してくれないとか、身体能力も高いのかよぉ……ほんとに勘弁してくれぇ……」
古谷の方はもはや泣き出しそうな表情をしながらも、既にハンカチでカランビットのブレードに付いた血を拭っている。二人とは違ってどこまでも落ち着いていた。
逆にその冷静さが、少女の不安を煽る。
「な、なんなの……いったいなんなの……これ……!」
「……あれ? 最近の娘って口裂け女も知らないの? 国民的都市伝説だよね?」
慣れているが故についズレたことを言ってしまう古谷。
「そうじゃなくて、え、口裂け女? 都市伝説? なんなのそれ、どういうことよ……」
また泣き出しそうになりながら、少女は尻餅をついてしまう。
無理もないだろう、いきなり非日常的存在に襲われたかと思えば、助けてくれた青年も訳の分からないことを言っているのだ。泣き喚いたとしても責められる謂れはない。
「あぁ、その……ごめん」
少女をパニックに陥らせている元凶の片割れである古谷は、少しあわあわとした後、少女に手を差し出した。
涙が零れ落ちそうな目でその手を見つめる少女。
そんな彼女の目を見て、少し情けない顔になりながらも真剣な声音を古谷は出す。
「大丈夫。俺についてくれば、君を絶対ここから助け出してやる」
が、すぐに自信なさげな声に変わった。
「……いや、絶対って言ったら無理かなぁ……? ぶっちゃけ君とおんなじような状況だし、なにひとつ理解できてないし……」
聞きようによっては無責任な言葉だったが、不思議と反発を抱けない本音。
古谷が差し出した手と自らの手を、少女は交互に見やる。
そして、おずおずといった様子で古谷の手を掴む。
優しく力を込めて、古谷は少女を立ち上がらせた。
「それじゃあ早速で悪いけど、一つだけ確認させて。武器になりそうなもの、持ってる? その鞄の中、なにか入ってたりしない?」
唐突な質問に少女は目を丸くしながらも、バッグの中を探り始める。が、すぐに落胆の声を出した。
「え、えっと……も、持ってない……です……」
「そっかぁ……」
心底残念そうな声を出す古谷。しかし少女が聞いていることを思い出して、すぐに無理やりひねりだしたような元気な声を出す。
「だいじょぶだいじょぶ、期待してなかったから安心して。それじゃスマホは? 持ってるよね? 電波は?」
「あ、け、警察……!」
そこでようやく真っ当な手段に思い至ったのか、少女はバッグの中を探り、スマホを探り当てて笑顔になった。が、ロック画面を解除したところでその笑顔が曇る。
「……嘘、なんで、なんで圏外なの……?」
「あぁ、やっぱり……」
動揺する少女とは対照的に、予測できていたことなのでちょっと残念そうな声を出す程度の古谷。
「ごめんね、スマホはしまっておいたほうがいいと思うよ。これからだいぶ走ることになるかもしれないし」
「は、走るって、どこへ?」
「とりあえず、他の人が居るところまでかな。そこまで行けばたぶん安全なはず」
(……“どこまで行けば”安全か、それが分からないんだけどね)
これ以上少女を不安がらせないために、それは口にしない古谷。
「それじゃあ、これから大事なことを言うからちゃんと聞いてね」
「は、はい……?」
どこか生返事だったが、それでも聞いてくれていることを確認して古谷は口調を改める。
少女の顔の前に手をかざして、人差し指を立てる。
「ひとつ、俺から離れないで」
次に中指を立てる。
「ふたつ、なにかあったら大声を出して。どんな小さな異変でもいいから」
そして、薬指を立てる。
「みっつ、なにがあっても――諦めないで」
そして、パッと手を開いて笑みを浮かべる。
「分かった?」
「は、はい……!」
「よし――それじゃ、行こうか」
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