2-3

 すぐさまオペレーターたちが慌しく動き始める。

「上空のグローバルホークからの映像――目標、見当たりません!」

「監視カメラ、同じく目標喪失! 範囲を広げます!」

「目標のスマートフォン、ロストしました!」

 慌しく報告してくるオペレーターたちとは違って、室長は落ち着いた様子で画面を見つめていた。

 画面の中、いくつも用意されたチェックリストが次々と赤字で上書きされていく。

 そのチェックリストがすべて赤字で埋まったところで、室長は声を発した。

「総員、第二種配備!」

 その言葉に、オペレーターたちの緊張がさらに増した。

「第二種配備、了解しました!」

 一人の女性オペレーターが、それを受けて眼前のキーボードを叩き始める。

「エリア内に待機する全チームに通達! 第二種配備発令! 繰り返します、第二種配備発令!」

 

 

 

 立体駐車場の一階に、黒塗りのバンが駐車されていた。運転席と助手席には作業服姿の男性が乗車しているが、スモークガラスのために後部座席を窺い知ることはできない。

 そんな車内に、スピーカー越しの力強い声が響く。

『エリア内に待機する全チームに通達! 第二種配備発令! 繰り返します、第二種配備発令!』

 無線機から響いてきたその声に、助手席の男が素早く応答する。

「第一機動部隊、第二種配備発令、了解した」

 瞬間、車内の雰囲気が変わった。

 運転席と助手席の男だけではない。後部座席に座っている四人の男たち――ウェビングが配置されたプレートキャリアに各種ポーチを取り付け、カービンライフルを携えた男たちが、一瞬で緊張状態に入った。

 そんな、街中の立体駐車場にそぐわない男たちを乗せたバンが、目立たず静かに発進する。周囲には何人かの一般人も居たが、彼らも特にバンに目を向けたりはしない。

 車内の緊張状態に反して、急発進も急制動もすることなく、ごくごく自然にバンは立体駐車場を出て街中へと出発していった。

 

 

 

 日常と非日常は、時として曲がり角一つで分かたれる。

 

 

 

 特に意識もせず、街路樹で影ができている曲がり角を古谷は曲がった。

 その瞬間、彼はゾクリとした感覚に襲われ――たりはしなかった。もちろん奇妙な声が彼の頭の中に響くこともなかったし、空から美少女が落ちてきたりすることもない。

 実際はその瞬間、離れた場所ではてんやわんやの大騒動が始まっているのだが、超人でもシックスセンス持ちでもない彼にそんなことが分かるはずもない。

 それでも、確かに彼は非日常に入り込んでいた。

 だから彼は少しばかり歩いたところで、それと出会った。

「……げ」

 ふと、彼は足を止めた。それを見たからだ。

 道路の真ん中に突っ立っている、血のように赤い服を着込み、赤い帽子を被り、赤いハイヒールを履いた女性。何よりも目を引くのは、全体的に赤い服装の中で口元を隠す純白のマスク。

 そんなあからさまに目立つ女を――

「……くわばらくわばら」

 そんなことを小さく呟きながら、古谷はできるだけ自然にスルーした。

 右腰のあたりに自然に手を置きながら、そのまま進めばぶつかりそうだったので少し大げさに進路を変える。

 彼我の距離が縮まる。

 古谷は目をそらしている。女性は古谷を見つめている。

 そして二人がすれ違おうとしたところで、

 

「私、綺麗?」

(きたーーー!)

 

 危惧していた言葉が聞こえてきて、ギチギチとさび付いた音がしそうなほどぎこちなく、古谷は女性の方を向いた。

 マスク越しのはずなのに、やけに明瞭な声。

「……えぇと」

 そう呟いて、古谷は女性の顔を恐る恐る見つめる。そこでふと彼は思った。

(アレな自撮り画像って目か口元を隠すけど、あの違いはなんなんだろう)

 明らかに現実逃避していた。

 女性を見つめる古谷。そんな彼を見つめる女性。

 不思議な光景が広がっているが、それを見咎める者は誰も居ない。

 そう、不自然なほどに。

 しばらくして、古谷はようやく答えた。

「え、えぇと……綺麗、だと思います。はい」

 その言葉に、女性は嬉しそうに目元を緩めて笑った。

「そう、そうなの……」

 そして左手でマスクを剥ぎ取り――投げ捨てた。

「これでも綺麗かぁ!」

 マスクの下から現れたのは、耳まで裂けた口。

 そして女は右手で服の下から巨大な鎌を取り出して、いきなり袈裟切りに斬りかかる。

 対して古谷は――

「ひぃぃっ!?」

 情けない悲鳴を上げながらバックステップで回避。振り回された鎌はなにもない空間を切り裂いて風切り音を立てた。

 初撃を空振りした女――口裂け女だったが、すぐに一歩踏み込み手首を返し切り上げようとして――

「っ!?」

 その右腕を、古谷が抜き放ったカランビットで右から左に切り裂かれた。女の服よりも赤い鮮血が飛び散ってアスファルトの地面を汚す。

「うぉっ!? 今回は血が出る系!?」

 明らかに場違いな古谷の言葉にキッと睨み付けながら、なんとか左手に鎌を持ち替えてなおも斬りつけようとする。

「諦めわるっ!?」

 しかし古谷は容赦なくその左腕も、手首を返すようにしてカランビットで切り裂く。

 鎌を取り落として、口裂け女はその動きをようやく止めた。

「よ、よし、動くなよ、動くなよ……あれ、今回は日本語通じてるのか? 前は韓国語しか通じなかったからな……俺韓国語とか無理だぜ……?」

 そんなことを言う古谷だったが、果たして動きが止まっているのは言葉が通じているからか、それとも傷が深かったからか。

「うぅぅ……また口裂け女かよ……ポピュラーだからって勘弁してくれよぉ……」

 泣き言を口にしながら古谷は左手でスマホを取り出して連絡しようとする。少し震えながらも慣れた手つきで画面も見ずにロックを解除してとあるアプリを起動させようとするが――

「……あれぇ?」

 反応が無かったので思わず古谷は画面に目をやる。

 その隙を口裂け女が見逃すはずがなかった。

「きぃあぁぁぁぁぁっ!」

 奇妙な叫び声を上げ、口裂け女が歯を剥き出しにして飛びかかってくる。

「ひぃぃっ!?」

 が、古谷はそれをまるで予期していたように――悲鳴からするとそうは見えないのだが――カランビットを右斜め上から左斜め下に振り下ろす。

 頚動脈を切り裂く一撃。

 口裂け女はゴボゴボと奇妙な声を上げて口から鮮血を溢れ出させながら、その場に倒れ伏した。

 

 血まみれで倒れている口裂け女。

 その死体を見下ろして動かなくなったことを確認してから、古谷はスマホを左ポケットに収め、カランビットを空いた左手に移し、尻ポケットから取り出したハンカチでブレードの血を拭っていく。

「圏外……うっそマジかよ……勘弁してくれよ……」

 その言葉どおり、スマホの電波は一本も立っていなかった。

 ハンカチを尻ポケットに、カランビットをシースに収め、彼は周囲を見回してみるが、この時間帯だというのに人っ子一人見当たらない。立っている古谷と、倒れている口裂け女以外は。

 ひとまず彼は状況を分析することにした。

「圏外だから動いてるだろうけど、隔絶された空間なら助けは来ない……結局また一人で戦うしかないのか……」

 頭を抱えてしゃがみこむ古谷。

 が、すぐに思い直したように立ち上がる。

「とりあえず、元来た道を戻ったら帰れたりするかな……」

 そうして彼は歩き出す。

 と、その耳に微かになにかが届いた。

 足を止めて、嫌々ながらといった様子で振り向く古谷。

「…………ああもう!」

 そして彼は踵を返して走り出した。

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