2-2

 同時刻、某所。

「目標、移動を開始しました」

 いくつものモニターが並んだオペレーションルームで、オペレーターの女性がそう声を発する。その音声は、ヘッドセットを通して他の要員の耳に送られる。

「了解。スマートフォンの位置情報システム、正常に作動中」

 茶髪の男性オペレーターがキーボードを叩く。簡略化された地図の上で、点滅する光点が移動していた。

「了解。現在、周辺に異常なし。監視を続けます」

 派手なピアスを耳からぶら下げた女性が、グローバルホークから送られてくる映像とは別の映像を確認しながらそう答える。それは街にいくつも設置されている監視カメラからの映像だった。

 中には傍受されるはずのない映像も混じっている。もちろん、違法だ。

 モニタールームの中央、一段高くなった場所で、ピシッと決めたスーツに眼鏡の男が、椅子に座って机の上のモニターを眺めていた。

 その画面の中では、こちらを――空を見上げている古谷が静止画の状態で切り取られている。

「まるでこちらが見えてるみたいですね」

 そのモニターを横から覗き込むようにして、オペレーターの女性が小さく感想を漏らした。どこか不気味そうで、どこか不安そうなその声に、眼鏡の男は小さく鼻で笑った。

「彼のことだ。こちらが見えていても不思議ではない」

 悪い冗談でも聞いたかのように、オペレーターは眼鏡の男の顔を見る。

 その顔はどこまでも冷静だった。

 それでもオペレーターは念のために尋ねる。

「……室長、冗談ですよね?」

 室長と呼ばれた男は、先ほどよりも大きめに鼻で笑った。

「我々の仕事も冗談みたいなものだろう?」

「まぁそうですけれど」

 どこか自虐めいた室長の言葉に、オペレーターは同意する。そして、自分の持ち場へと戻っていった。

 残された室長は、小さくため息を吐いて画面を切り替える。

 映し出されたのは、古谷のパーソナルデータだった。

 どこまでも詳細に記された、ともすれば本人ですら知らないような事項が載っているそのデータだったが、しかし身長、体重、生い立ち――その他諸々のほとんどが『平凡』の一言で片付けられる。そこだけを見れば『一般人』という言葉がよく似合う青年に過ぎなかった。

 そんな彼の、ただ一つ平凡ではない記載事項。

 赤字で記された最重要事項。

 

『対象はこの世のものとは思えない怪奇現象に多々遭遇している。』

 

 たったの一文だったが、その一文に込められた重みを、室長は確かにその両肩に感じ取っていた。

 その一文があるが故に、こうして古谷というたった一人の男のために数十人を下らない要員が裏で動き、極秘裏に導入されたグローバルホークが空を飛び、秘匿された部隊が街のあちこちで待機している。

 それらを統括しているのが、ただ『室長』とだけ呼ばれるこの男だった。

(最初は私も、悪い冗談としか思えなかったのだがな)

 言葉にするにはあまりにも無責任すぎるその思考に、室長は小さくため息を吐いた。

(ホラーゲームのような展開によく巻き込まれる男――そんなもの、悪い冗談以外の何物でもない……はずだった)

 しばし目を閉じて、室長は過去を振り返る。

 当時の上司からの異常すぎる通達。

謎の部署への配置転換。

 そして、古谷という男との出会い。

(私がこうしてこの場所に座っていられるのも――生きていられるのも、彼のおかげかだからな)

 そうやって少しばかりの感傷に浸っていた室長だったが、すぐに気を取り直す。

 この部署は高給に似合わぬほどには暇だ。とはいえ気を緩めていていいということでもない。時として文字通り『世界の命運』がこのオペレータールームに託されることもあるのだ。

 そうして古谷のパーソナルデータ画面を閉じた室長は、現在の彼の様子を確認しようとしてグローバールホークからの映像に目を向ける。

 そこには、そんなことを室長が考えているなどとは思いもしないであろう気楽さで歩いている古谷の姿があった。

 見た目もどこまでも普通だった。室長でさえも、情報として知っていなければ彼が武器を携帯しているとは見破れない。

 実際のところ、武器を携帯する人間というのは他人に見破られやすい。どうしても身につけた武器に意識が向いてしまい、丸腰の人間ならしないような動きをしてしまうからだ。歩き方が変わったり、無意識に手が動いたり、服に不自然な皺が寄ったり――訓練された人間はそういった所作から武器の存在を見破る。

 だが画面の中の古谷にそういった不自然さは無い。

 それほど彼は「武器を持ち歩くこと」に慣れているのだ。

(それはきっと、不幸なことなのだろう)

 そうやって同情されているとは露知らず、歩き続ける古谷は路地の角を曲がって木陰に入り、一瞬グローバルホークの視界から外れた。だがその程度でオペレーターたちが慌てることはない。すぐに走査範囲を切り替え、街中の監視カメラの映像を傍受するなどして監視を途切れさせないようにする。

 そう、途切れないはずだった。

「目標、喪失!」

 女性オペレーターから発せられたその一言で、オペレータールームに緊張が走った。

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