第3話 女神のお願い

 

 

 

 背後で鳴った小石の音を、ロウは意図的に無視して立ち上がると、そのまま歩き出す。

 しかし、二歩目を踏み出そうとした所で、声が掛かった。


〔お待ち下さい 我が主マスター


 それは世界中に届く【世界の声ワールドヴォイス】と呼ばれる神秘に似た、けれどエクス・ロウにだけ、その内側から囁かれる【運命の女神モイラ】の声だった。


 ロウは、足を止めて、大きく嘆息した。おのが身の内に住まう女神が声を掛けた理由が、至極下らないと解っているからだ。

 それはロウが女神モイラの思考を、直接読めるという事では無い。同じ事をされれば、次に彼女が何を言い出すかなど、誰にでも簡単に予測できる程度の事なのだ。


 エクス・ロウと言う男には、余り他人には知られていない能力を持っている。機能と言いかえてもいいかも知れない。

 それは、細かく分類すれば20を越える数が有るとされる人の感覚器官以外に、明らかにそれらとは違う感覚器官が備わっているという事だ。

 第六感と言ってしまえば、曖昧で胡乱うろんな響きだが、エクス・ロウのそれは、【運命の女神モイラ】に補強され、確固たる効験こうげんを現すものである。

 具体的には、視覚や聴覚、臭覚に味覚などに頼らずとも、一定の範囲内のそれらの『情報』を収得でき、それを頭の中で映像や文字として処理ができる。

 ロウはこれを、【神秘器官ディエティ センス】と呼んでいる。


 そんな【神秘器官ディエティ センス】であるが、使用方法は、基本的にはロウが情報を受け取る側であり、その情報は渡す側の女神モイラの匙加減でどうにでも変化する。

 但し、彼女は普段、ロウが求める情報を集める事以外には、余計な干渉はしない。緊急時などに、独自の判断でそれが必要と判断した場合を除いて。


 そんな控え目な神格をしている彼女が、今日は――正確にはこの場所に来てから、少しおかしかった。

 日頃からロウの【神秘器官ディエティ センス】には、自身に悪意や害意などを持つ敵性勢力の有無に加え、危険な場所や価値のある物などの、有用な情報が選別されて、3Dマップの形で送られて来る。

 感覚としては、頭の中にカーナビがあるような状態に似てはいるが、地形や建造物以外もナビゲートが可能な、完全なる上位互換だ。

 人が体を動かせば疲れるのが当たり前のように、この【神秘器官ディエティ センス】を使うのも無対価では無い。むしろ、生身の視覚や聴覚などを使うよりも、何倍も対価が必要だ。

 人の耳目より余程高性能な為、費用対効果としてみれば効率的ではあっても、要求されるコストの絶対値が高いのだ。

 そう言った意味でも、女神モイラは渡す情報を絞っているのだが、しかしこの場所に来てからは、それ以外の、ロウは興味も価値も無いと思う情報が、送られてきていたのだ。


 初めは控え目だった。


 【神秘器官ディエティ センス】に表示される脳内マップの、岩場にぽつぽつと在る小さな緑地の内の一箇所に、緑の光点が打たれ、そこに紐付けてた画像には、狐のような大きな耳と顔と尻尾の、猫のようなしなやかな体付きをした動物が写っており、それに加えて[種族:キツネネコ(幼生体)]との文字が表示されていた。


 この事にロウは気が付いていたが、看過した。

 無害を示す緑の光点であったし、折り悪くこの時のロウは、傭兵ギルドの対応の事が頭を占めていて、狐なのか猫なのか分からない動物の子供に目を向ける余裕が無かった。今日でなければ、一言くらい言及していただろう。


 そうして、女神モイラのさり気ない(つもりの)アピールは、不発に終わったのだが、彼女のさり気ない(つもりの)アピールは、これで終わりでは無かった。


1分後に、表示される情報が追加された。赤字で『NEW』と点滅させる小技を加えて。


[種族:キツネネコ(幼生体)]

・小食だが虫や草など何でも食べる雑食。NEW

・つまり、好き嫌いの無いイイ子。NEW


 ピコピコ点滅する赤字に気付いたロウ。普段のなら、『おい、私見が混じってるぞ』とでもツッコミを入れるところだが、ギルドの事でナーバスになっていたこの時のロウは、これも看過した。


 さらに5分後。


[種族:キツネネコ(幼生体)]

・荒地に住み、小食だが虫やネズミや草など何でも食べる雑食。

・つまり、好き嫌いの無いイイ子。

・警戒心が強く、大きな耳で遠くの音も聞き分ける。NEW

・つまり、早期警戒に大活躍。NEW

 

 自身の存在意義の一端に一石を投じる覚悟で臨んだ女神モイラのさり気ない(つもりの)アピールは、この時も看過された。

 今日のロウは手強いと思いながら、彼女は次の手に出た。


[種族:キツネネコ(幼生体)]

・荒地に住み、小食だが虫やネズミや草など何でも食べる雑食。

・つまり、好き嫌いの無いイイ子。

・警戒心が強く、大きな耳で遠くの音も聞き分ける。

・キュンと鳴く。NEW

・つまり、とてもかわいい。NEW


 今度の追加情報は、完全に女神モイラの私見であった。

 ギルドに対する考察が佳境に入っていたロウは、当然のようにこれを看過し、立ち去ろうとした。



 そうしてついに、女神モイラは直接的な行動に出た。近くの小石を動かして、注意を引こうとしたのだ。

 しかしロウは、これも知らん振りをして、やり過ごそうとするので、女神モイラじかに声を掛けたのである。


 こんな経緯なのだ。彼女が何を言い出すかなど、火を見るより明らかだろう。


 果たして、女神モイラがそれを言葉にした。


〔あのキツネネコの幼生体を、保護しましょう〕


 それを聞いたロウは、思わず天を仰いだ。こうなった彼女は、梃子でも動かないと知っているからだ。

 以前に一度だけ、似たような事があり、断り切れずに願いを叶えた。その直後に酷い目にはあったが、結果としては、良かったのだろうとロウは思っている。


 なのでロウは、今回もそう悪い事では無いのだろと、願いを聞き入れる事にした。抵抗を諦めたとも言うが。


(場所もすぐ近くだし、チャッチャと済ませた方が建設的だ……)


 深く息を吐き出しながら視線を戻すと、願いを叶える前に、ロウは一つだけ気になる事を問うことにした。その返答次第では、事の質が変わってくる。


「なぁ、なんで確保じゃなくて、保護なんだ?」


 【神秘器官ディエティ センス】内の脳内マップの光点が示す草むらに向かいながら問うと、女神モイラの答えはある意味では当然のものだった。


〔彼女は、怪我をしています。なので、身柄を保護し、傷の手当をします〕


「……なるほど、了解だ」


 言葉自体は、正しい事を言っていた。なので、簡素に納得の言葉を返したロウだったが、その内心ではいぶかしんでいた。


(彼女、ねぇ。ホントに画像みたいな動物なのか?)


 そうこうしている間に、件の草地へと辿りついた。

 脳内マップを頼りに、膝下ほどの長さの草を掻き分けて進むと、確かにそこには、手のリサイズの狐のような猫のような小さな動物が、赤黒い血に塗れて横たわっていた。

 ただし、赤茶色だった画像のそれとは違い、首から胸にかけてのたてがみが朱色で、その他は真っ白な体毛をしている。文字通り、毛色が違う。


「……おい、色が全然違うじゃねぇか」


〔すみません、ご主人様マスター。現場との遣り取りで、手違いがあったようです〕


 疑念の籠ったロウの呟きに、女神モイラはそう嘯いて、脳内マップの情報を更新した。


[種族:ホムラキツネネコ(幼生体)]

・荒地に住み、小食だが虫やネズミや草など何でも食べる雑食。

・つまり、好き嫌いの無いイイ子。

・警戒心が強く、大きな耳で遠くの音も聞き分ける。

・キュンと鳴く。

・つまり、とてもかわいい。

・キツネネコの原種とされている。生息数が少なく、幻の獣と呼ばれるとても珍しい種。

 神の使いとも言われ、信仰の対象とする地域もある。

 トルホトロ地方のヒレトト山が岩山であるのは、この種が全てを焼き尽くしたからと言われているが、この種にそこまでの力は無い。植物を全て焼いて、禿山に申程度である。

 成体でも猫ほどの大きさで、その点だけはキツネネコと変わらない。NEW

・結論、紅白で縁起がよくて、かわいいイイ子。NEW



「おい。現場もなにも、一から十まで全部お前で、遣り取りなんてそもそも無いだろ……。

 てか、ぜんぜん別物じゃねぇーかっ。なんだよこのトンデモ生物は!

 それと結論だかな、結局はお前の私見だろ!」


 一頻ひとしきりツッコミを入れ終わり、大きく息をするロウ。

 そんな彼へと、女神モイラは、


〔でも、かわいいでしょ?〕


 と、至って真面目に同意を求めるのだった。

 

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Soldier of Fortune ―その者、狼につき― 禾常 @FOX-29

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