第2話 ギルドとの契約

 

 

 

 夜明け前。

 家と家の隙間をうねる細い道を、人目を忍ぶように、その者は歩いていた。

 やがて街を囲む高い石壁の麓に着くと、その者は膝をたわめ――飛び上がった。


 灰色の外套をはためかせ、10m近くある壁の上にふわりと降り立ったその者は、身を屈め、壁の外へと目を向ける。

 眼下には、月明かりに照らされ青白く浮かぶ平野。その先の岩山は、影に黒く染まっている。


 この景色を見て、寒々しく感じるのは、これから会う相手がティグオルスの亡霊だからか。


 そんな意味の無い自問を頭を振って追い出し、外套を着たその者は、壁から飛び降り、何事も無く地面に着地をすると、そのまま遠くに見える岩山へと向かい走り出した。

 

 

 

 

 

 

 トルホトロの街から北西、徒歩でも一日で着く距離にある岩山、ヒレトト山。某所。


 夜に小物を狩るだけの簡単な仕事を終えた男は、その足で、岩がごろごろとそこいらに転がっているだけの、ここ、ヒレトト山の麓へ来ていた。

 まだ明方で、東の空が薄らと白んできたような時間帯に、なぜこんな場所に居るかと言えば、仕事の報酬を受け取るためである。


 仕事をすれば、報酬が発生する。当然の事だ。

 むしろ報酬が無ければ、それは仕事などでは無いと、男は思っている。

 そんな当然の事である報酬だが、しかし今回のそれは、いつもとは違っていた。


 ロウ、或いはエクス・ロウと名乗るこの男が、今の仕事を始めて三年程になる。

 この三年間、仕事を受けるのも、報酬を得るのも、全て所属している傭兵ギルドから、直接だった。

 今回もそのつもりでいたのだが、仕事を完了した報告を入れると、報酬の受け渡し方法の変更を、一方的に言い渡されたのだ。


 気慣れた白い外套に身を包み、手頃な岩の上に腰かけたロウは、今回の依頼について考えを巡らせ、首を傾げた。



 そもそも今回の依頼は、初めから妙だったのだ。

 小さな研究所の防衛戦力を削ぐだけで、報酬額は言い値で払う。

 そんな依頼を持ち掛けられ、ロウが最初に思ったのは『こんな、如何にも裏がありますと街頭で演説してる様な、怪しい依頼など誰が受けるんだ』といった、呆れだった。

 確かにロウは、かねさえ貰えればどんな仕事でもこなす。その点だけを見れば、依頼を受けない理由にはなりはしない。だがしかし、今回は、依頼主がいけない。


 ロウが普段受けるのは、依頼元がしっかりしている仕事だけだ。

 『金さえ貰えれば』の部分と矛盾している様に思えるが、そうでは無い。依頼元があやふやでは、貰える物の保証が無いからだ。


 ひるがえって今回の依頼だ。

 言い値で報酬を払うとなっているのに、依頼主は、[アルフェリア・ルクス=エストリゼリオ]となっていた。

 やたらと長いが、ロウがギルドに確認すると個人名だとの返答が来た。報酬も、記名した本人が払うとの事だった。


 傭兵を雇うという事は、決して安くは無い報酬が必要だ。依頼主の命を、傭兵の命で肩代わりする様な仕事なのだから、当然だ。

 端金で雇えるような傭兵も居なくは無いが、そんな者達は、たいてい駆け出しか能無しか、訳有り位のもので、肉壁になれば良い方である。

 そしてロウは、それなりに名の知れた傭兵だ。必然的に報酬額も高くなる。個人でどうこうできる端金では、雇えない。

 いや、大金を個人のポケットマネーで払えるような資産家も、居る。だが、そんな資産家なら、ロウも名前くらいは聞いた事がある筈だが、記憶に無かった。

 名義貸しの線も疑ったが、それは無いと、ギルドが断言した。

 となると、依頼主のアルなにがしに、報酬を支払う能力があるとは、思えなかった。


 ロウはそう言って断ったのだが、しかしギルドが食い下がった。

 曰く、傭兵ギルドが責任を持って、報酬を保証するから心配は無い、と。だから、是非ともこの依頼は受けるべきだ、と。

 こんな事は、初めての事で、ロウは戸惑った。


 ロウは、基本的に人を信じていない。

 そんな男が、人との契約で成り立つこの仕事をしていられるのは、ギルドという組織を信用しているからだ。

 そのギルドが、保証するという。是非とも受けろと言う。


 ならば、と。ロウは依頼を受ける事にした。

 やると決めてしまうと、今度は下世話な興味が湧いてきた。

 世界を股に掛ける天下の傭兵ギルドが、責任を持って保証する。それは具体的に、どの位までの報酬が、支払可能なのか。それなりのキャリアを自負するロウにも、予想がつかない。

 なのでロウは、流石にこれは無理だろうと思う額を伝えたのだ。自分の故郷の、平均的な国家予算程度の金額を。

 もちろん、値引き交渉には応じるつもりでいた。その上での、無茶な金額だ。初めに無理な要求をして、譲歩した様に見せかけてこちらの要求を飲ませる、一種の交渉術のつもりでいたのだ。

 そしてその無茶な金額は、受理されてしまったのだった。


 まさかそのままの金額が通るとは、思っていなかった。とは言え、ロウとしては、貰えるなら是非とも欲しい。金はいくら有っても困らないと、ロウはそのまま契約をした。


 だが、


(少し、吹っ掛けすぎたか?)

 

 欲望に正直過ぎたかと、ロウは今になって反省していた。後悔はしていないが。

 ロウは、もう自分を偽らずに生きると、決めているからだ。


 ただし。自分を偽らずに生きるとは言え、破滅願望がある訳ではない。むしろ、生きたいと強く思っている。

 自分を偽らないのは、そうしなければ生きる意味が無いと思っているからだが、しかし生きていなければ、偽る偽らない以前の問題な訳で。

 この矛盾にロウは、度々頭を悩ませていた。

 そして、今回も。


(どうせ依頼主が払えなくても、ギルドが払うだろうとは思っていたが。

 そうなると差額分の負担はギルドに行くだろう。

 いくら大きな組織でも、自由に使える予算には限りが有る。そんな状況で、今回の報酬額程の大金を、遊ばせているとは思えない。

 つまりは、報酬が払われない可能性もある訳か)


 今回の件の顛末の予想が、ロウの中である程度纏まった。

 しかし、まだ考えるべき事は、残っている。


(だが、必ず払うと言っておいて、今更無理でしたなんて言うかね。

 いくらデカい組織でも……いや、デカいからこそ、約束事を守らなきゃ瓦解する。シロアリに食われた建物みたいになって、足元から崩れるだろうよ。

 そうなると……)


 『もしかしたら、これを機にギルドが、自分を切り捨てるのでは』。そんな予想が朧気おぼろげながら頭を過り、身体が強ばる。


 そうなれば、世界を股に掛けるような超巨大組織を相手取っての、全面戦争だ。

 局地戦では負けずとも、いずれは確実に、ギルドの無尽蔵とも言える物量に、飲み込まれる。

 勝ち目は無い。やるだけ無駄。そんな、終わりの時を伸ばすためだけの戦争にしかならない。


(仮にギルドが敵に回ったとするなら、ここで報酬の受け渡しをするなんてのは、俺を誘き出すための罠、か。

 なるほどな。ネズミを駆除するには、巣穴から誘い出して一気に叩いた方がいいだろうよ。窮鼠の一噛みで多少暴れられても、探し出したり駆り立てる手間暇を考えりゃあ、結果的にかかる労力は少なくて済む。

 廃品処理に使う経費は、少ないほどいいってか? クソったれ……)


 内心で毒づき、ギルドによって死地キルゾーンと化しているだろうこの場から離れようと、岩から腰を浮かした、その時だ。

 背後の岩場で、カラリと小石が音を立てた。

 

 

 

 

 

 

 灰色の外套をたなびかせ、その者は野を駆けていた。

 月明かりに浮かぶ、めくれた外套から覗いた肢体は華奢だが、細くしなやかなその脚は、俊馬よりも速く地を駆ける。


 そうして、森や林を迂回しつつも、粗街から真っ直ぐ進み。

 東の空に太陽が顔を出した頃。辿りついたのは、赤茶けた岩が点在するトレトト山の麓だった。


 長い距離を駆け抜けた外套の者は、流石に息があがっていた。

 しばしその場で息を整え、次に腰に下げた水袋を煽り、喉を潤す。

 半分ほどを一気に飲み干すと、次は腰に巻いた小さなバッグから清潔な布を取り出し、汗を拭う。

 顔。首。胸元。服を捲って、腹回り。

 一通り拭い終わると布をしまい、目深に被っていた外套の頭巾を払い、その顔を顕にした。


 胸元にかかる長さの、青味がかった銀の髪。

 しっかりと見開いた瞳は、夏の空のように澄んだ蒼。

 意志の強そうな端正な顔の、若く美しい――女だ。


 銀髪の美女は、目を瞑り。両手を胸に当てて、ゆっくりと息を吸い、吐き出す。蒼銀色した、をぴこぴこ動かしながら。

 一回……二回……三回目で、ようやく目を開けた。


「……よし」 


 誰にも聴こえぬよう、口の中小さくで呟き、女は歩き出した。

 をゆらゆらと左右に揺らしつつ、いつもの癖で、足音を消しながら。

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