ヴァニラ革命
椿屋 ひろみ
ヴァニラ革命
時は近未来。摩天楼の無機質なビル群の一角に誰も踏み入れない領域の研究所があった。
清潔なのに機械油臭い部屋で齢三十くらいの白衣を着た女と斜視の入った初老の男がいた。
「この子は、なんですか。」
黒縁眼鏡の味気のない女は、この微動だにしない全裸の人形の前で呆れかえっていた。
「この子とは、君もこのテラを人間として見てくれるのだね。」
男は皺を引き攣らせて子供じみた満面の笑みを見せた。
「ものの例えです。このアンドロイドは見た目は人間に見えますが、シュライデン博士が作った以上これはロボットです。」
叩きつけるように冷たく応えた女と対照に、シュライデン博士はアンドロイドの全身を節くれだった手で撫でまわしながらにやついた。
「テラはね、夢を見るんだよ。」
「…夢、ですか。」
女はさらに呆れながらため息をついた。
「たかがアンドロイドじゃないですか。態々何億もの大金をはたいて人工知能をつけて夢を見させるなんて…狂ってるわ。」
あまりに話の分からない女に博士は白髪交じりの髪を掻き毟り、苛立ちの色を見せていた。
「いくら大学の推薦で来た優秀な助手でも言っていいことと悪いことがあるよ。そもそも君、夢とはなんと心得る。」
「睡眠の時に現れる幻覚。です。」
「それを生物は人類が生まれるはるか前から行ってきた。だからロボットの想像主である人類はロボットに夢を与えることがあってもおかしくはないと思わないのかね。」
「それは博士の…」
博士は小さなお立ち台のような板をばしばしと叩いた。
「これはテラの夢を具現化する装置だ。君にはこれをじっくり観察してもらう。ロボットが夢を見るという神秘を思い知るがいい。」
二日目の昼に例の助手が研究室に現れてテラの夢を市販のレポート用紙に記録した。
「まぁ、なんてナンセンス。」
助手は椅子にもたれかかり昼寝をした。
そうとも知らず、不気味な機械音にあわせてテラは歌を唄っていた。
春の昼下がりに聴く小鳥の囀りのような声色は研究所内に木霊した。
テラは歌い続けた。
何の変化もないテラを観察する助手はとうとう憂鬱症になり、前からの精神薄弱が祟り発狂しそうになっていた。
「うるさい、うるさい、あんたのせいであたしは世界で一番無意味で暇なんだよ。」
相変わらず歌うテラにペンを投げつけた。
テラの背中に繋がれた銅線に似合わないラビットスキンでできたバニラ色の肌に殺意を覚えた。
五日目の夜、全く精を尽きた助手が大量の精神安定剤を飲んだ時に事故は起こった。
助手が幻覚を起こしてテラが世界で一番美しい女に見えたのだ。
本来の両性愛も後押しして将に彼女は地獄に落ちんとしている。
「テラ…愛しのダッチワイフ、あんたの誘惑に負けたよ。」
助手はひっつめ髪を解き、急に白衣を脱ぎ棄て、テラの乳房を掴んだ。
そして、冷たいラビットスキンの頬に生臭い息をかけた。
「かわいい…あたしのヴァニラちゃん。」
テラのブロンズの髪に頬ずりして一瞬の蜜のような快楽を体全体で味わった。
すると、笑顔をプログラミングされていないはずのテラはにんまりと笑い、機械の腕を不器用に動かし助手の腰を抱いた。
鋼鉄の腕は彼女が後に正気に戻って逃げようと足掻いても離さなかった。
深夜の静けさを引き裂く機械音が一晩中響いた。
何が起こったか、誰も知る者はいない。
ギイギイと不気味に持ち上げる腕に嘗ての温もりは消え失せていた。
六日目、博士は研究室にある書類を取りに来た。
「どうだね、何か起こったかい?」
テラの顔をみると、博士は青ざめた。
すでに助手は消え失せていたのだ。
「はかせ…はかせ…」
テラは助手の声で歌を唄い始めた。
「ええい、黙れ。裏切り者め。」
博士は怒りに任せて銅線をすべて引きちぎった。
火花を飛ばして部屋中の電気が一瞬にして消えて闇に包まれた。
「しまった…私のくだらない怒りのために。」
我に返ったが遅く、テラはそのまま動かなくなり、こと切れた。
大事な研究材料を鉄の塊にしてしまった底知れぬ恐怖に駆られ、全身に冷や汗を垂らし暗闇の中、研究室を後にした。
八日目の朝、意を決めたシュライデン博士は恐る恐る研究所のドアを開けた。
そこには人間の形を失った物体が微かに息をしていた。
玉虫色の肌に恍惚として虚ろな目の八本の肢を持った異形が実験台に座り込んでいた。
助手のものであっただろう柔らかい腹にはち切れんばかりの蜜の羊水に浮かぶ灰色の胎児を孕ませていた。
これを見た博士は金切り声をあげて踊りだした。
「これぞ、愛の形だ。唄え、叫べ、人類は愛も夢をも生み出せるのだ。」
馬鹿騒ぎする博士を見ていた、助手の胸に顔が埋まっているテラはにんまりと笑った。
真っ赤な唇を滑らかに動かし、助手の声でこう呟いた。
「私は、夢なんて見ないわ。」
ヴァニラ革命 椿屋 ひろみ @tubakiya-h1rom1
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