(承前)

 

 少しばかり端折った夢の話を、母は黙って聞いていた。いつもは饒舌な母が相槌も打たず、また話の腰を折るようなことも言わなかったのが不思議だった。

 母はマグカップをテーブルに置くと、ぼそりと言った。


「……お婆ちゃんは火葬だから、それはお婆ちゃんの葬式じゃないと思うよ」


 冷めきったコーヒーは、酷く苦く感じた。

 夢に出てくる野辺送りの光景も、いまは鮮明に思いだせる。それは私の記憶とも符合している。そんなことがあるのかと思う。

 ある。

 記憶はねつ造されるものだ。

 

 私は、きっと都合のいいように記憶を捻じ曲げたのだろう。昔からホラー映画を好んで見ていた。特にB級とか言われるものや、ビデオ映画OVだ。

 粒子の荒いノイズまじりの映像も、記憶のはずなのに私の顔がでてくるのも、趣味に合わせてねつ造された結果なのだろう。

 夢が記憶に基づくのなら、何度も同じ夢を見る理由もなんとなく想像できる。


 私の場合は、おそらく罪悪感だろう。祖母の死後は、三回忌を最後に、一度も墓参りに行っていない。あまりに遠く、薄気味悪く、機会があっても避けてきたのだ。

 恐怖や嫌悪を伴う記憶は抑圧される。野辺送りの記憶に連なる祖母の記憶も思いだせなくなっているのだろう。

 そう納得しかけていた私に、母は訝しげな顔をみせた。


「土葬だったのはお爺ちゃんで……生まれてたっけ?」


 その質問は、私に茫漠とした不安をもたらした。

 過去、私は家系図の中で、気味の悪い思いをしていたからだ。父方の家系に私と同姓同名の人物がおり、二十三歳で亡くなっていることに気付いたのである。

 父は笑っていたものの、私の心中は穏やかではなかった。なにしろ幼少期に喘息を患い、同級生が亡くなってから長い間、自分が死ぬ夢をよくみていたのだ。


 私が気にしているのを察したのか、父方の祖母が家系図を遡って調べてくれた。幸い父方の家系は古く、寺の檀家になっているのもあって、かなり詳細に調べることができたという。

 遥か昔に亡くなったその人は、聡明で、美人薄命を地でいく人だったそうだ。

 性別が違うから大丈夫だよ、と祖母が太鼓判を押してくれた。


 が、併せて「あなたはお爺ちゃんの生まれ変わりなんだから」とも。

 祖父は私の生まれるちょうど二カ月前に亡くなっていて、父も、母も、そして父方の祖母までもが、「お前は爺さんそっくりだ」と、私に言い続けてきたのだ。

 

 もちろん偶然だとは思う。

 祖父は酒が飲めなかったそうだが、私は酒がない世界など考えらない。祖父は厳格な人だったというが、私は自他ともに認めるいいかげんな男だ。

 しかし。

 あまりに家系にまつわる変な話が多すぎる。


 不安を抱えたまま別れるのも癪で、私は「あの日の夜に一緒に火の玉を見たよね」と母に尋ねた。

 母は、いよいよ気味悪そうに、かぶりを振った。


「見たことはあるけど、一緒じゃなかったし、母さんが子供の頃の話だもん」


 私は思わず反論したくなった。しかし、記憶はねつ造されるものだ。

 確実なのは記憶ではなく記録である。役所に提出されている書類もあるだろう。

 そう考えて、私は祖父母の没年を聞いた。


「位牌の裏を見てみれば?」


 回答は、ごくシンプルなものだった。

 全国的には珍しいらしいが、両親の生まれた土地では、遺族全員に位牌が配られるのだ。そして位牌の裏には、かならず没年が書かれている。

 

 さっそく確認すると、祖父が亡くなったとき、私はまだ生まれてすらいなかった。

 つまり、私が繰り返し見る夢も、野辺送りの光景も、生まれる前の出来事だったのである。居心地の悪さを感じた私は、記憶の全てを確認していった。

 母は話を聞きつつ、時おり「そうそう、よく憶えてるね」と相槌を打っていた。その度に、私はまだ生まれてない、と訂正する必要があった。


 また不思議なことに、「これは憶えてる?」と聞かれた話を思いだせた。

 もちろん分かっている。

 過去の記憶は、尋ねられた刹那の間に、ねつ造される。

 実際に心理学の領域では、脳は記憶を再生しているわけではなく、蓄積された情報を元に映像などを構成し、として示しているだけだ、という見方もある。


 私たちが映像を思いだそうとしたとき、その都度、新しく映像が作られて再生される、という考え方だ。

 つまり情報が増えれば増えるほど、脳が映像を作りやすくなる。


 それに母の記憶も怪しいものだ。

 四歳の私が祖母の車椅子を押して山野を駆け回るなど、できるはずがない。たしかに体は大きい方だった。けれど体は弱く臆病で、そんな危ないことをするとは思えない。しかも、祖母の家は上り坂の途中に建っている。山道に出てしまえば、子供の力では車椅子を支えられやしないだろう。


 位牌から分かったことは、もうひとつあった。

 祖母も祖父も、亡くなったのは初春だったらしい。

 記憶に色濃く残る暑さは、ねつ造された肌感覚だったということになる。

 私の姉も暑い日だったと言っているが、姉弟そろって、同じように記憶をねつ造しているのかもしれない。


 姉は火の玉なんて見なかったと言った。こちらについては一緒に見ていたわけではないので、保留してもいいだろう。

 また姉は野辺送りの光景を答えられなかった。私と姉との年の差は三歳で、祖父は姉が二歳の頃に亡くなっている。さすがに二歳の頃に見た光景を覚えていないというのは、当然かもしれないが。


 言い換えれば、私が見る野辺送りの夢と記憶だけが、異質なのだ。

 母も年老いたが、さすがに自分の母親の葬儀が火葬か土葬だったのかを間違えるはずもない。この点については、葬儀に参加した父も同意していた。

 ここで問題になるのが、野辺送りの儀式だ。

 火葬にしたのなら、野辺送りは、火葬場までの車列での移動となるはずなのだ。


 祖母の遺体は荼毘に付した後、骨壺に収まる。それを山の墓地まで運ぶ際、改めて野辺送りをする意味などないのである。また庭で行われた棺を回す儀式――左回り三転の儀も、火葬場を介したのちに墓地に赴くのなら、必要ないはずだ。

 私の夢にまで出てくる野辺送りの儀は、どこで作られた記憶なのだろうか。

 なぜ祖母にまつわる記憶は、映画の空撮のように、俯瞰の映像もあるのだろうか。


 私は、母の実家で行われた野辺送りについて、調べる必要があるかもしれない。

 残念ながら祖母の葬儀で喪主を務めた叔父はすでに鬼籍に入り、当時の事実を尋ねられない。また、いま母方の実家で暮らし墓守を務めている叔父も、今年に入って体調を崩してしまったという。

 さらには、村に残る世帯は、たった三世帯になってしまったらしい。


 そういった状況もあって、墓を村の寺に移すという話もでている。

 いま私は、何度も、何度も、繰り返し、同じ夢を見る。

 それは、睫毛がかかったようなノイズ混じりの、野辺送りの光景だ。

 少しだけ変化もあった。松明も提灯も火を灯すようになっていた。それは山中に埋葬に行くなら、ありえないはずだ。

 

 私の頭にこびりついた野辺送りを調べるなら、まだ母方の実家が形を留めていて墓も残っている、いまが最後になるかもしれない。

 人間の記憶はねつ造されるものだ。しかし、元となる事実は必ずある。実家には写真もあるかもしれない。新たな事実を知れば記憶も修正される。

 そして記憶が修正されれば、繰り返される夢も、終わってくれるかもしれない。


 私は、野辺送りの夢を、もう見たくない。

 いま私が願ってやまないのは、祖父の葬儀の写真が記憶と合致することだ。それならば、何かの機会に写真を目にして、記憶をねつ造したと理解できる。

 逆説的に、もし私の記憶している野辺送りが、祖母の葬儀で行われたのなら――。


 そのときは、私以外の家族全員が、同じ記憶のねつ造をしたことになる。

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野辺送り λμ @ramdomyu

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