中
(承前)
長い夜が明け、祖母は白木の平棺に納められた。
親戚の大人連中が棺を持ち上げ、「孫なんだから君も担ぎなさい」と言った。
担げと言われても、私の肩に棺の底は届かない。仕方なく、両手を上に伸ばして棺に触れた。
棺は、じっとりと湿っていた。
夏場の葬儀だったのもあり、氷かドライアイスでも入れられていたのだろう。強い日差しに当てられた棺の表面に水滴が浮き、ぽたり、ぽたり、と垂れ落ちていた。
大人たちは嫌な顔こそしていたものの、決してそれを口にはしなかった。
都会で生まれ都会で育つと分かり難いかもしれないが、山間でみる夏の日差しの記憶は、独特の風合いを持つ。まるで古い映画のフィルムのように、黒い縦線のノイズが走るのだ。
太陽が近く感じられ、眩しさに目を細めるからだ。すると睫毛が視界に入って、それがノイズのようにみえる。まるで乾いた八ミリフィルムのような視界になるのだ。
私は懸命に棺を持ちあげていた。他に担いでいるのは、父や、叔父や、甥っ子や姪っ子たちだ。
祖母の遺体が収まる棺が、酷く重くなっていく。
あまりの暑さに顎から汗が滴り落ちて、焼けた白土に黒い染みを作った。
いつまでこうしているのか。そう思ったときだった。
耳穴から滑り込んでくるように、低い音が聞こえてきた。ガマガエルが唸るような声だ。皆が唱える念仏である。あまり聞きなれないリズムで、何と言っているのかよく聞き取れなかった。
不思議だったのは、子供の私でも知っていたように坊主が念仏を唱えるのではなく、棺を担ぐ大人たちが発声していたことだろうか。
ふいに、棺に変な力が加わった。棺が動こうとしている。
もちろん、棺がひとりでに動くわけがない。動かそうとしているのは大人たちだ。私は訳も分からぬまま、目一杯に両手を伸ばして、棺を支えるだけだ。
棺を担いだ大人たちは足踏みをしながら、ゆっくりと動きだした。右斜め前に向かって歩きだしている。
私たちは棺は担いだまま、家の庭で、反時計回りに回り始めた。こだまする念仏の中を歩き、一回、二回、三回と回る。
すると大人たちの足が止まり、棺の高さが少し下がった。
棺を先導していた喪主の叔父が、白い木綿の袋に手を突っ込んだ。引き抜かれた手には、子供の掌に収まるくらいの白い封筒が、たくさん握られていた。
叔父は、それを、正面に向かってばらまいた。
そのとき、私は初めて気づいた。
私と同じか、それより少し下くらいの子供たちが、家の前に集まっているのだ。
子供たちは嬉々として地面に散らばった封筒を拾い集め、ポケットにしまい込んでいく。子供たちはどこから来たのだろうか。封筒の中身はなんだろうか。
私は背筋を蟲が這い回るような怖気を感じた。
子供たちは隣組――つまり村の子供たちだ。当時の村には十数軒の家があった。
田舎の農村らしく子供の数は多く、一世帯に四~五人はいる。集まったのが半分くらいだとしても、四十人近い子供がいたわけだ。
子供たちが集めていた封筒には、小銭が入っているという。長生きをして亡くなった祖母だから、その長寿のご利益に
東京あたりで暮らしていると忘れてしまいがちだが、四十人の田舎の子供たちというのは、なかなか迫力がある。
私も一晩をかけて祖母の死を理解し始めていたから、嬉々として封筒を拾い集める子供たちは、人ではない何かのように、少なくとも同じ子供とは思えなかった。
そのせいなのか、私の記憶は少しの間、飛んでしまう。
後に続くのは夢に見る光景だ。
人一人がやっと通れるくらいの細い道を、列になって歩いていく。
先頭の一人が松明をかかげ、すぐ後ろに提灯が続く。続いて紙吹雪を入れた籐の籠、何やら文字の書かれた白地の布が列を成す。あとには墓地においてくるという水桶や黒塗りの膳がつき、最後尾が祖母の納まる棺だ。
行列が進むにつれて山道は細くなり、丸太一本の橋を渡ると、鬱蒼とした木々の影に飲み込まれていく。慣れ親しんでいた山も、すでによく知る姿ではない。
獣道としか思えない細く険しい道を、喪服に身を包んだ人々が、各々松明や提灯を手にして、山の奥深くへと歩みを進めていくのだ。
私の知っている葬儀ではなかった。
当時、私は葬儀がどういうものか、曖昧ながらも知っていた。私が通っていたカトリック系の幼稚園で同級生が亡くなり、葬儀に参列したことがあったのだ。
その子は顔には黄疸が見られ、病的にお腹が膨らんでいて、私は園内で見かける度に目で追っていた。会話を交わしたことはない。しかし、私も小児喘息などで苦しんでいたので、親近感を感じていた。
その子の葬儀は園に併設する教会で行われた。
カトリックの教会はとにかく荘厳に作られ、そこが俗世ではないことを示す。
教会は静謐に満たされ、重ねられた白い献花が、大きな遺影を囲んでいた。左右に配されたマリア像も厳かで、遺影の奥から大きなキリスト磔刑像が私を見下ろす。
その光景は、畏敬にも似た感情を私に抱かせた。
けれど、祖母の葬儀では。
山道を抜けてたどり着いた小さな墓地では。
私は、ただただ、恐ろしさだけに囚われてしまった。
夏の陽光もほとんど届かない山の片隅。墓碑銘も読めない朽ちかけた墓石が山肌に沿って並び、湿った泥と、黴と、饐えた臭いが漂っていた。
理由は、すぐに分かった。
墓地の最奥、かろうじて一筋の光が差し込む場所に、穴が掘られている。
祖母の住んでいた地域では、土葬が慣習とされていたのだ。
「他のお墓の前に立ったらダメだよ。落ちるかもしれないからね」
と、叔父が小さな声で言った。
私は身震いした。足元の土がひどく脆く、ふかふかしていたからだ。足裏を伝ってくる心許ない感触が、本当に危ないのだと教えくれる。
今なら、叔父が私にくれた忠告の意味も分かる。
なにしろ土葬だ。元々は桶棺か、あるいは立棺が使われていたはずである。
現代では桶棺も立棺も、まず見ないだろう。
桶棺は文字通り大きな桶の中に膝を丸めた形で遺体を収め、立棺は立った状態のまま棺に納めて埋葬する。当然、墓穴は横棺よりも深い。まして場所は山奥だ。獣が臭いを嗅ぎつけ掘り返さないとも限らない。
穴は、深く、深く掘られる。
つまり足元の土が柔らかいのは、埋葬された遺体が土に還り、盛り土が空間を埋めているからだ。言い換えれば、落とし穴のようになっている。穴の底には骨があるので、流れ込んだ土を踏み固めたりしない。
私くらいの子供が一人でお参りにきて、穴に落ちてしまったとしたら。
叔父の忠告は、そういう意味だったのだ。
私は身動きできなくなり、ただ茫然と、棺が穴に下ろされていくのを眺めた。
ここまで運ばれてきた松明や、旗、お膳などは、墓地に残される。これより七日が過ぎるまで、誰も墓地に近づいてはいけないのだという。
山を降りて、舗装のされた山道に出たころ、私は墓地のあった方を眺めてみた。
ただ木々が生い茂るばかりで、墓石は影も形もみえない。
その夜、私は山道に立って、山を見ていた。
母と手をつないでいたはずだ。
真っ黒にしか見えない山肌を見ながら、母がぼそりと言った。
「ほら、見える?」
しゃがみ込んだ母は、私の肩越しに腕を伸ばした。その指先を目で追うと、小さな明りが目についた。注視しないと見逃してしまうほど小さな、赤い点だ。ゆらゆらと山肌を彷徨っている。
「あれがお婆ちゃんかもね」
冗談めかした声だと、今の私なら分かっただろう。
けれど当時は、ただ怖くなった。
帰り道に叔父たちが笑いながら話しているのを、聞いていたのだ。
「ここまで一本道でしたけど、他に道があるんですか?」
「いや、ないんですよ。だからほら、家の前で回ったでしょう? あれでどっちに向かっているのか、分からなくさせるらしいんですよね」
山肌を彷徨う、そこにないはずの松明の光は、本当に祖母だったのではないか。
けれど、それは絶対にないと、母の言葉で知った。
すでに亡くなっていたから、などという理由ではない。
それは、奇妙な話だった。
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