野辺送り
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前
最近になって、奇妙な夢を見るようになった。
田舎の山奥に向かって、人一人分ほどの細い山道を、列になって歩く夢だ。先頭の誰かは火のついていない松明をかかげ、後ろに提灯、白い布のたなびく旗のようなものと続く。私は列の最後尾にいる。
いったい何の夢かと疑問を抱くと、カメラがパンするかのように映像が滑り、白い棺が目に入る。大抵は、そこで目が覚めるのだ。
初めてその夢を見たときは、昔見た映画の記憶が蘇ったのかと思った。しかし映画の記憶にしては、ヒリつくような暑さや、湿った土の臭いや、喧しく鳴く蝉の声なども感じ、妙に生々しい。しかも、何度も同じ夢を見るのだ。
これは話のタネになるかと思い、私は久方ぶりにあった母に夢の話をした。
すると母は、
「ああ、それ、お葬式の夢よね」
と、懐かしそうに言った。
途端、私は祖母の存在を思いだした。
そうか、あれは祖母の葬式の記憶だったのか、と。
母方の祖母が亡くなったのは、私が五歳になる少し前のことだ。
当時としては中々の高齢で、大往生といってもよかった。
祖母は、私が物心ついた頃には、すでに車椅子で生活していた。母の弁によれば、私は車椅子を押して走り回って、祖母を驚かせようとしていたらしい。
いくら子供とはいえ、そんな遊びをしていたら覚えていそうなものなのだが、残念ながら、祖母の乗る車椅子を押した記憶など、まるっきり残っていない。
代わりに覚えているのは、安っぽいプラスチックの吸飲みである。薄黄色の飲み薬が入っていたはずだ。吸飲みはまるで急須のような形をしていて、私はお茶が入っているのだとばかり思っていた。
だからというわけでもないが、祖母の口に吸飲みを運んだ記憶は、はっきり残っている。当時の私からすれば、透明の急須から直接お茶を飲むのは、なんとも不思議な光景に思えたことだろう。
いま私が思いだせる祖母の姿は、山に囲まれた家の庭で車椅子に座り、眼下に広がる田畑をぼんやりと眺め、その口に吸飲みの先を咥えている。
ただ、その記憶も怪しいもので、主観的な画としてではなく、どこか三人称的というか、少年時代の私の顔も一緒に思いだされてしまう。
つまりは、都合よく改変された、あるいは美化された記憶なのだろう。
母に聞いて知ったのだが、当時の祖母は常に車椅子に座っていたわけではなく、手が不自由だったわけでもなかったらしいのだから。
もちろん、孫の私に薬を飲ませてもらいたかった、と考えることもできる。しかし母が言うには祖母は気性の激しい人で、そんなことを求めるかは怪しい。
もっとも、母は母で二人の兄と三人の姉を持ち、生れたときにはすでに年老いていた祖母に好意的な印象はもっていないらしい。つまり気性の激しい人という評も、私の記憶と同じくらいには疑わしいのだ。
母の祖母への評価が正しいのかどうかは、いまとなっては分からない。
私にとっては、その程度の、朧げな記憶の中にしか祖母はいない。顔も声も思いだせず、なにか機会を設けておかねば、存在すら二度と思いだせなくなるに違いない。
しかし、そんな私でも、村で行われた葬儀だけは忘れられなかったらしい。
それは何度も何度も思い起こされる、どこか体の芯が冷えるような思い出だ。
祖母の死の報せは
告げ人というのは、村八分でいうところの、残りの二分に含まれる役割を指す。つまり葬式と火事の場合、当事者と村の住民全員に報せに行く役だ。
祖母の暮らしていた村で村八分扱いがあったわけではないが、隣組とでも言うべき村の伝統が残っていたのだ。
父にとって義母の訃報は複雑だっただろうと思う。当時の父は働き盛りで、昼夜を問わず忙しくしていた。いくら悼む気持ちがあったとしても、週に一度しかない休日を車の運転と義母の葬儀に費やすのは、辛かったはずだ。
それは事情を知らない私にとっても同じで、悲喜こもごもの突然の帰省となった。
なにしろ祖母の家は、遠かった。
住んでいたS県から祖母の家まで、最高に上手くいっても車で三時間半。そこからさらに山道を進んで、いくつか山を越えなくてはいけない。全体としては五時間近いロングドライブとなるのだ。
子供にとって、身動きできない長距離移動ほど辛い時間はない。
できることなら電車で行きたかったのだろうが、祖母の家近くまで伸びる路線はなかった。駅から遠距離なのでタクシーも使えず、バスは数時間に一本しかなく、バス停から歩けば一時間はかかる。子供を連れていたら、それ以上だろう。
だから幼い私は、代わり映えしない車外の光景に、黙って耐えるしかなかった。
けれど、退屈を食べ続ける価値があったのも事実だ。
祖母の死を、いまひとつ理解できていなかったのもある。しかし、それ以上に、山間の集落然とした村は、何度行っても飽きない、異質な世界だったのだ。
絵本の中でしか見たことのない藁ぶきの屋根に、軒先から吊るされた干し柿。くねくねと折れまがる細い道は青々とした田んぼと畑に挟まれ、その先に背の低い草むらが続き、徐々に森へと移り変わって、次第に山へと連なっていく。
勇気をだして家のすぐ脇にある小さな崖を下れば沢筋になっていて、沢蟹の歩く小川の上を、
あの美しい世界に、また滞在できるなんて。
私は退屈に苦しみながらも、一方で、とても期待していた。少し年上の田舎の親戚に混じって遊べるのかと、胸を躍らせてもいた。
しかし高まる期待は、すぐに霧散してしまった。
私は山道に並ぶ車列を見て、何かが違うと悟った。
これまで車が並んでいることはなかった。庭に一台の軽トラックが止まっているか、それに加えて、先に来ていた叔母一家の車があるくらいだったのだ。
その日は、見慣れない車も含め、細い道に数台が列を成していた。
特別な祖母の家で、また別の特別な何かが、始まっていた。
いつもは明るく笑って歓迎してくれる叔父一家も、その日はまったく笑顔をみせてはくれなかった。
家に入ると、叔父二人が、難しい顔をして、じっと座っていた。
私一人だけが、なにが起きているのか、ちゃんと理解できないでいたのだ。
私は両親と共に、奥の部屋へと通された。
祖母が、真っ白い布団の上に横たえられていた。薄暗い部屋は冷え冷えとしていて、薄暗い蛍光灯の光が畳の目にすら影を刻んでいる。青白くなった祖母の頬には霜が降り、幽かな光を返していた。
祖母は、染みひとつない白装束を着せられていた。頭には三角の布も巻いている。普段なら「うらめしや」なんていうコミカルな震え声を想像して、子供の私は笑い転げていただろう。
その日は、とても笑えやしなかった。
別段、死体が損壊していたというわけではない。祖母は穏やかな最後を迎えたらしく、顔も綺麗なものだ。ただ、白装束も含めて、祖母を取り巻くすべてが、異様な迫力をもっていた。
その内のひとつが、抜き身の、白鞘の、長脇差だ。
祖母の胸元に置かれた長脇差が、粘りつくような光を返していたのだ。
「婆ちゃんを悪いもんから守ってくれるんだよ」
と、喪主を務めていた警察官の叔父が、優しい声で教えてくれた。
しかし、私の目には、とてもそんな代物には思えなかった。ゆるゆると波打つ刃紋に、光を吸い込む真鍮色のハバキ。なぜか汗が頬を伝った。
その後、二階に通された私は、翌朝までずっと、祖母と胸元に置かれた長脇差だけを思い返していた。思い浮かべる度に、唾を飲んでしまう。動悸が強くなり、喉が渇いて、なかなか寝付けない。
どうしても、想像せずにいられなかったのだ。
眠っていた祖母が突然に起きだし、長脇差の柄を引っ掴むのではないかと。
いま考えると下らない想像だと思う。けれど、私の中の祖母は、すぐ下の部屋で長脇差を握りしめていた。
いつ眠りに落ちたのか、思いだすことはできない。
思いだせるのは、震えるほどの寒さと、階下から聞こえてきた物音だけだ。
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