応報
いのうえ
第1話
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災は直接被災していないおれの心にも大きな傷を残した。
被害の及ばない遠い土地でテレビを見ていた小学生のおれは、恐怖と悲しみに襲われていた。
死者行方不明者の数は、30人くらいだと勝手に予想していたのだが、報道では6000人を超えたとの事だ。
6000人!
余りの数に恐れ慄いたおれは、一緒にテレビを見ていた父親に、興奮して
「神戸の人に、支援物資を送ろう!!」
と叫んだ。
「大した事はない」
なんと父親はニヤニヤしながらおれの提案を突っぱねた。
「それより、届けられた支援にアレが嫌だコレが嫌だと贅沢言ってるんだ、ふざけるな」
父親のニヤニヤは止まっていない。
おれはこの時、生まれて初めて父親を軽蔑した。
人間、自分には関係の無い事だとこんなにも卑しくなれるのか。
ろくな死に方はしないぞ。幼いながらもおれは思った。
ところでおれは岩手県の沿岸部出身だ。
阪神・淡路大震災から16年後の3月11日、まだ記憶にも新しいあの東日本大震災が起きた。
東京に住んでいて、丁度脚を骨折し身動きが取れなかったおれに代わって同じく東京に住んでいた兄が夜行バスを使い岩手へと向かった。
被害は甚大で、父親が経営していた築約100年の料亭も津波で流されてしまっているとの事だった。
おれがようやく故郷に向かったのは震災発生から4ヶ月後の事だった。
想像していたよりも、いや、テレビで見るよりも悲惨な事になっていた。
周りは瓦礫だらけ、乗り捨てられた車が主あるじに捨てられてそのまま放置されている。
早速おれは流されてしまったという料亭の跡地を見に行く。
愕然とした。
よく、テレビで被災地の様子を流す時に、周りは全壊して平地となっているのにポツポツと1軒2軒の建物だけが残されている光景を見た事があるだろう。
うちの料亭の場合は、その真逆だった。
周りの建物、それがどんなにボロい木造の建物でも一応は形を残しているというのに、うちの料亭だけが跡形も無く流されていた。
まるで、巨大な手でうちの建物だけを掬すくったかのように。
近所にできた高い建物の上に避難した為、幸い従業員さんも含め皆命だけは助かったが。
16年前に神戸の人達を笑っていた父親は仕事のほぼ全てを失った。
後日談だが。
東日本大震災のあの日に、バラエティー番組のロケをしていた最中被災したお笑い芸人さんは、当時のブログにこう綴っている。
(全国から助けがぞくぞくと届けられています。遠い所から来てくれた消防車を見て、とても心強い気持ちになれました)
その消防車は神戸ナンバーだったという。
応報 いのうえ @773
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます