トカレフ、声優、モモンガ、デコトラ 2

 『未亡人の女組長』という端麗なる肩書きを、藤木は無意識に美化していたのだ。

「なにその顔。もしかして、薬師丸ひろ子みたいなの想像してた?」

安楽椅子にワイシャツを纏った女が腰掛けていた。

藤木は閉口した。下呂組組長、下呂げろたからと名乗った女は、ちょうど藤木の持つトカレフの銃身と同じくらいの太さの人差し指を彼へ突き出した。

着ぐるみのような女だった。シルエットはほぼミシュランのタイヤ男に等しい。

「とんでもないだろ。アメコミの悪役みたいだろ」

隣の武に肘でつつかれ、耳打ちされる。藤木は黙って頷いた。

壱与子は完全に萎縮し、二人の背中に隠れて俯いている。

「武ゥ。わざわざガキとババァを盾にしなくたって、いきなり撃ちゃしないんだからさぁ……これだから御厨の人間は」

いくら弱小組織とはいえ、ヤクザの事務所というからには厳かな雰囲気を醸しているのだと思っていた。藤木は誤ってポルノ雑誌を手にとってしまった幼児のように、目をしばたたかせながら周囲を探る。

力士のような巨女。室内の至る所に散らばっているアダルトビデオのパッケージ。そして、隅のデスクに腰を下ろして、絶え間なくアコースティックギターを鳴らしながら歌い続けている若い女……


 「ももんがーっ、ももんがーっ、おー、ももんがーっ」


ギターも歌唱も悲惨極まりなかった。それでもそのホットパンツを穿いた彼女は、歌い終わるとまた同じ曲を、はじめからやり直す。それを取り憑かれたように終始続けていた。藤木はすでに五回分聞いた。

「そういうんじゃない。こいつは俺の姉貴なんだけど……あの家に置いとくわけにもいかないから……あ、あとこいつは……」

武は藤木に指を向けたのち、言葉に詰まった。

「犬飼組若頭、藤木鉄平です」

「バカ!」

頓狂な藤木の言葉を受け、武は彼の頭を強めに殴る。

「盃交わしたじゃないですか」

「お前なぁ……この後に及んでそんな悪ふざけに走るやつだとは思わなかったぞ」

「あはは」

ウェルズの透明人間みたいに顔に包帯を巻いた武が、本当に滑稽だった。


 藤木鉄平?

女がギターを弾くのを止めた。ピックを親指で真上に飛ばしつつ、彼へ近寄った。

「君、野球部?」

「そうですけど……」

彼女はずいと顔を寄せて、藤木の顔をじろじろと眺めた。

半開きの口元が目線に入り、息を呑んだ。強烈なほどに尖った八重歯がちらついている。白く光っているが、肉食獣のような歯並びである。彼女はふと、高校の名前を口にした。唐突に自身の通う校名を言い当てられ、藤木は眉をひそめた。

「あんたんとこと当たった高校で、あたしの弟が投げてんのよ。覚えてる? アンダースローの東海林しょうじ

「あー……」

世間の狭さに幻滅する。

「あたし試合ずっと見てたの。いやー、敵ながら歯痒かったね、十対ゼロ!」

「やめてくださいよ……ホントに落ち込んでるんです」

おそらく今後、テレビの野球中継でスリーバント失敗の場面を見るたびにいたたまれない気持ちになってしまうだろう。彼女の揶揄に鼻白む。

「彼女は一体?」

武が口を開いた。

「彼女はね……バイトかな」

「はぁ」

武は気の抜けた返事をする。ヤクザのバイト。何を考えているのか。

組長くみちょーがね。御厨組の人間を一人殺すたびに三十万円くれんの」

「ふぅん。随分羽振りがいいんだな」

「ウチ、十数人しかいないけど金持ちだからァ。コレ売り捌いてボロ儲け」

下呂は椅子に座りながら足元にあるDVDのパッケージを蹴飛ばした。傍に滑ってきたそれを藤木は手に取った。

「ゲッ」

パッケージを飾っていたのは、あきらかに十歳前後の女児だった。全裸で赤いランドセルを背負って、口に白濁の入ったコンドームを咥えている。上目遣いでカメラを見ていた。

「なーに、それ……」

壱与子がそれを興味深そうに覗き込んだ。直後、軽蔑の視線を藤木へ向けた。

「藤木くん、最低」

「なんで俺なんですか!」


 「テッテテー、児童ポルノー!」

東海林はドラえもんの声真似をした。藤木は彼女たちを睨んだ。ドン引きである。

「やっぱり、ヤクザって最底辺クズっすね……」

「だろ?」

「マジまんじ。ヤバ谷園だよね。メルカリで売る?」

「やりたい放題だな」

東海林は『悪夢の遠足』なるタイトルのビデオをこれ見よがしに武へ押しつけた。



 深夜三時。

下呂組事務所の裏庭が激しく発光する。藤木はイルミネーションでも装飾してあるのかと思ったが、違うようだ。エンジン音が響く。

デコトラである。

「組長、準備オッケーでーす」

運転席から東海林が手を振った。彼女は大型免許を持っているらしい。

「藤木、考え直せよ。一生野球のできない体になっちまうぞ。つーか死ぬから、マジで」

「どの道もう一生やりませんよ」

トカレフを持ち、背中に背負ったバットケースに日本刀を収納した。武とともに、デコトラの派手派手しい装飾のほどこされた荷台に乗り込む。中では下呂組の舎弟たちが、サウナのように身を寄せ合っていた。

 ドンッ、と激しい振動を感じる。地震か? 藤木は目を見張ると、下呂が荷台へ飛び乗ってきたのだと分かった。彼女はそのまま、荷台の戸を内側から閉めた。

「美歩ちゃん、いいよ」

「ういーっす」


 トラックは動き出した。案外揺れないものだ。藤木は誤射しないように気を払いつつ、トカレフを取り出して眺める。俺も、壱与子も、武も、そしてこの銃も……そうと決めたら融通を利かせられない、惨めな存在だ。高倉健みたいな不器用とも違う。人はそれを馬鹿バカと呼ぶ。

荷台は小さな部屋のようなものだった。ライトがついていて、組員たちは各々、マンガを読んだりストローでコカインを吸引したり、キスに興じたりしている者もいる。

そのうちの一人に声をかけられ、銃の扱いのレクチャーを受けていると、荷台が激しく振動した。体が揺さぶられる。計画通り、東海林の運転するトラックが御厨組長宅の門をぶち破ったのだ。


 下呂が荷台の戸を蹴り開けた。舎弟たちはぞろぞろとそこから飛び降りる。

さぁ、プレイボールだ。

藤木は枯山水の下に降り立って、トカレフを構えた。




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