【お題:純白と花束】

  陽の当たらないセドルの街で今まさにそれは行われようとしていた。

 街の中央広場に座する白石の祭壇は汚れ一つなく、淡く光ってあたりを照らしている。その上には一人の老いた女が横たえられていた。黒いものが一切ない白髪、街の周辺で養殖されている巨大蝶の幼虫が作る繭から縫製された真っ白なローブを身に纏っている。幾多の皺が刻まれた肌は脂気がなく石のよう、瞼は固く閉じられている。そう、彼女の双眸は二度と開くことがない。

 色とりどりの衣装を身に纏い中央広場に集うのは皆、セドルの街の人々だ。生まれた時に黒を纏い、両親から相応しく思う色を与えられて育ってきた老若男女。最も鮮やかであるのは齢30を越したぐらいの者達だ。体をぴっちりと覆っている堅い綿ベストの色は黒であるが、なめらかな絹で出来た柔らかなズボンやふわふわのスカート、しっとり馴染むシャツは、誰ひとりとして同じ色ではなかった。総勢1000人程だろうか、祭壇の光を受けて、薄暗く、くすみ、鮮やかに、ぼんやりと、色彩がさらさら音を立てて踊る。沢山の呼吸が風の囁きと交わって、溶けた。

 影の街の住人の服は、生まれた時は黒、与えられた色と黒を混ぜて日々を過ごし、30の歳になって1年だけ原色になり、やがて黒が白に変わり、老いるにつれて色を失っていく。純白となる前に、半ばで命を終える者が殆ど。

 だけれども。

「この方なら……」

 誰かが声なく呟いた。

 身に纏うものが純白となるまで生きた者には、ひとつの儀式が捧げられる。それが太古から続く慣習であり、絶対の掟であった。いるのであれば伴侶が、子が、いなくてもその者に最も近しい色の誰かが、代々伝わる聖句と、太陽花と呼ばれる小さな花を束にして捧げるのだ。その花が太陽に似ているかどうかなど、ここに住む人々にはわからない。しかし、その白さが影の町で太陽となった。

 ひとりの男が前に進み出た。横たわる女と同じくらい老いて、今にも折れそうなその体は純白のローブに包まれていた。その腕には服よりも白い、86本の太陽花の花束。

 彼は祭壇の上に眠る老女の亡骸へと歩み寄り、胸の上で組んだ腕の中に太陽花の花束を抱かせた。動かない口元が微笑んでいるかのように思えたのは、一瞬のこと。


 汝 影を抱いて生まれ

 鮮やかなる時に我と結ばれ

 共に光への生を歩みて

 今や太陽の御元に辿り着かん


 老いた女の夫だ、その見た目に反して、彼は朗々と聖句を口にする。その声は中央広場から飛び立ち、影を作る山々に木霊して、消えた。


 汝 今や生まれ変わりし時

 地の底より生まれし陽の化身を捧げん

 暁の名を持つ者よ

 古き骸を脱ぎ捨て

 いざ翼を抱いて世界の果てへ


 聖句の響きが消えた頃。人々の耳に、羽ばたきの音が聞こえた。見上げた先には輝く純白の馬、巨大な翼は光鱗を散らし、ふるわれる。天馬、ペガサスという呟きが響く中、祭壇前に真っ直ぐ降り立った。

 呼吸の音さえ消えた中、天馬は悠々と蹄の音を響かせて祭壇に近付き、石のように硬い老女の額にそっと鼻面を押し当てた。

 刹那、眩い光が弾け、突風とともに散り、人々はあまりの眩しさに目をやられ蹲る。沢山のスカートがぶわりと舞い上がり、長い髪がはためく。捧げられた太陽花の花弁が、舞い、散った。

 風が止むと同時に光も収束した。尚も淡く光り続ける祭壇の上、老女は忽然と姿を消し、その代わりに小さな生き物がふるふると震えていた。

 白い花びらが降り注ぐ中で純白の鬣がさらりと揺れ、緩慢に翼が伸び、縮み、街の人々が見守る中でふらふらと立ち上がり、崩れた。もう一度立ち上がり、崩れた。数度繰り返した。四つ足の蹄は立ち上がろうとして祭壇を蹴って、コツコツという音が何度も響き渡る。

 ようやく立ち上がった仔馬に、天馬が鼻を寄せる。瞬間、光と風が溢れて、2頭はセドルの街の上空へあっという間に舞い上がった。そのまま連れ立って、2つの寄り添う光はぐんぐんと遠くなっていく。

 まだ花弁が全てついている太陽花が1本、老いた男の目の前に、すっと落ちてきた。

 それを両手で受け止めた彼は、ぽそりと呟いた。

「……暫く後に私も行くよ、セーメローノ。次は何処かの空の下で」



『別離は未だ空の彼方』

年代不詳/バルキーズ大陸某所、セドルの街にて

2014.10.26



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

FANTALZIER PICTRE 久遠マリ @barkies

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ