【お題:水面に映す】


 つんつんと指で突く、街の一角にある石造りの泉。その中で揺らめく灯りは光魔石が中に入った小さなファイアンス製のランプ。

「……はぁ」

 私がもっと綺麗だったらいいのに、と彼女は溜め息をひとつ、泉の中へ落とした。もっとこう、目がくりっと大きくて、もう少しばかり顔の真ん中に寄っていて、鼻の幅は控えめで、唇は厚くて、眉は細くて、丸顔なら。きっと皆が振り返る美人。そうでなくても特に取り柄がなくて趣味の多いだけの唯の娘……思い付くのは絵、歌、文章、剣技、弓、舞踊、演説、料理、そして水の術、何でもそつなくこなすが特に何に秀でているわけでもない。

 秀でているわけではないが、大陸中部の魔法学院に通っている時は学問が最高に楽しかった。あと、幼馴染や友人達とわいわい騒いだ学園生活も。つまらないことで馬鹿みたいに大声を上げて、沢山、沢山笑ったものだ。

 彼女は夢の入口に立ったばかり、これで前に進んではいけるが、目標はまだまだ遠い。それに向けて頑張るつもりではいるがしかし、泉に映る自身の顔は何だか沈んでいた。そんな中に上から降ってくる声がひとつ。

「何しけた面してるんだよ、ケイトリン」

 見上げれば、窓の縁に器用に寝そべって自身を見下ろしているのは、にやっと不敵な笑みを浮かべた幼馴染の男。襟元に刺繍のあるチュニックの前の紐を全部解いて胸元を開けて着崩し、麻のズボンと竜皮をなめして作られたブーツはゆるゆるだ。何とも若者らしい格好である。そしてそれが似合うほどの体格と顔の良さったら。

「……またそんなだらしないなりして、人混みの中で誰かにうっかり引っ張られたらあっという間に剥かれるわよ、イェネオス」

「そんな所、俺が寄りつくとでも思ってるのか? ねえだろ」

「知ってるけどさ」

 着るものをちゃあんと着たらもっと格好いいのだ、この男は。こ憎たらしいその顔に指先で氷でも精製して飛ばしてやろうかと一瞬考えたが、やめた。イェネオスの職業は役者だ、顔に傷でもつこうものならシルディアナじゅうの女が黙っていないだろう。

「折角の休みなんだからゆるい格好でにやにやさせてくれよ、役者なんてやってたらお前の面白い顔なんて全然見られねえんだし」

「私より綺麗な人なんて一杯いるでしょ、そっち見てる方がよっぽど面白いんじゃないの?」

「いいや、やだね。あいつら、みーんな流行りの化粧に流行りの服で同じ顔して寄ってくるから怖い! 今の共演者は本物の美人だけど、逆に寄って来なさ過ぎて、誰にも媚びてなくて、そっけなくて接し辛い!」

 だからお前見ると逆に安心するんだよ、なんて彼は言った。馬鹿じゃないのか。現在、彼が舞台で共演しているのは黒髪に鳶色の目の、絶世の美女だ。リリ・レフィエールという名のその女は20歳ぐらいだろうか、大陸法が正式に定めている国際都市守護隊員であり、歌手としても名高く、何より竜の血を引く継承者だ。いや、だからどうした。その人が無愛想だろうがどうだろうが自分には関係ない。

 世界が違いすぎる。

「あんたの安心の為に生きてるんじゃないわよ、こっちは」

「はは、知ってる。見つかったのか、働き口は?」

「すぐそこの、南街区の大通り。酒場の皿洗いと給仕、修行したら料理もさせて貰えるかもね」

 そんなに自分のことを気にせずとも、彼の役者としての華やかな人生と自身の地味ではあるだろうが夢を追う人生が関わることなんてあまりないかもしれないのに。ケイトリンはそんなことを思いながらそっけなく言い放った。

「お、いいじゃん。職によってはもう会えねえかなあって思って今日挨拶しとこうかとか思ってたんだけど、そこ行けば何時でもお前に会えるよな」

「……あんたが来たら取り巻きも大量に来て逆に会うどころじゃないと思うわよ」

「あ、そうか?」

 彼女はまた泉に視線を落とし、イェネオスに向かって馬鹿じゃないのかと言う代わりに溜め息をついた。視界にちらちら入ってくるのは少し癖のある長い栗毛だ。私がもっと綺麗だったらいいのに、リリ・レフィエールとまではいかずとも。そしたら、もっと頑張れたかもしれない。そうしたら、自分の顔を見た時に元気が出るのに。今まで大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせてきたけれども、不安は常にあった。

 うーん、と上から唸り声が降ってきた。もう暫く沈黙が続いた後に、ぼそっと彼が呟く。

「……じゃあ、今のうちに言っとくかな」

 風の術が発動する音が聞こえ、すぐ隣にすとん、と長身の色男が降ってきた。とても人懐っこく輝く蒼翠の目に、きりっとした眉、整った甘い顔立ち。さらりと横に流した髪の色は収穫前の小麦畑みたいな黄金色、襟足が長くて引っ張りたくなるその房。がっしりと鍛えられたその体に抱かれたいと思う女性はきっと多いだろう。

 イェネオスはしっかりと立ち、彼女に向き直った。

「俺が役者になる前、2年ぐらいかな……お前とさ、馬鹿な話とか、将来の話とか、色々くっだらねえことで阿呆みたいに笑い転げてられたよな。楽しかったよな。それこそ学院時代とか、一緒に馬鹿騒ぎする連中も増えてさ、最高だった。思うわけよ、道端で抜擢されて引き抜かれてからさ、俺、そんな風に笑い転げたことなかったな、って。お前、あったか?」

 言葉を発さずとも、彼女は首を振っていた。考えてみれば、その頃を振り返って懐かしんでいるばかりで、今を笑っていなかった。

「……そうか。俺はな、離れているのが嫌なら会いに行けば、また笑えるかなって思ってな。だけどその機会がなくなるんならいっそ――」

 その何時になく真剣な目つきに射られてケイトリンはあっという間に動けなくなった。

「――ケイトリン、俺と結婚してくれませんか?」



『会えないなら撃ち落としてしまえ』

統一グラマスカ歴1226年、6月/シルディアナ共和国首都、南街区の一角にて

2012.11.6



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