【お題:罅割れた石】
「お久し振りですね、テレノス」
その深い森の中、鎮座する苔生した白石に刻まれる文字を読める者は少数しかいない。
数百年ぶりにそこを訪れた彼は、その筆跡を知っていた。今は亡きラル・ラ・イーの継承者トレアン・レフィエールが惨たらしい死を遂げた弟の為に刻んだものである。墓石であった。
魔法学院の者達に警告する時がやってきた。マントのフードを頭から払った旅装束の彼、うなじのあたりで結わえた長い髪は砂色、目の色は深い翠、人間よりも少し長く尖った耳。西方国家エルフィネレリアのイェーリュフだ。彼はバルキーズ大陸各地を旅し、サントレキア小大陸にも渡り、国家の発展と行く末を見守ってきた。今、世界に散ったラル・ラ・イーの末裔達が再び動き出そうとしている。特に、サントレキア小大陸北部に移り住んだ者達が。
眠りし旧き記憶よ
その痛みの日々を
今一度呼び覚まし
暫し我が名の下に
大気の下へ留まれ
太陽の下へ留まれ
その哀しみを叫べ
彼は他の種族、とりわけ人間に傾倒し過ぎたイェーリュフと言えるかもしれない。乾いて少し罅割れた唇は詩を紡ぎ、白石に翳された両手から何色とも形容しがたい光が満ち満ちて溢れ出した。しかし彼は自身と世界とその他の生き物を皆愛していた。自身の種族は世間にとんと関心を持たずとも生きていける者達で構成されてはいるが、それは酷く空虚であり、真の意味で生きて行くとは言えなかった。
凄まじい音がして白石の表面に罅が走り、ひとつの幻影のようなものが白石から薄い煙の如く立ち昇る。短くさっぱりとした黒髪に鳶色の優しい目の、純朴な青年。その表情は穏やかで安心したように微笑んでいたが、彼の姿を見て瞳に翳りがさした。
「……セナイ?」
「……お願いしますね、テレノス。私の精神を注ぎ込みますから、少し、貴方の力を貸して下さい。当代のレフィエールの継承者が近くにいます、学院に警告を」
伝えて下さい。テレノスはしかし眉をきゅっと寄せただけで何も言わない。
「先日、何らかの笛の音を聴いたという噂をこのあたりで耳にしました……恐らく継承者かその関係者が吹いたエルフの笛の音でしょう。そして数年前からは小大陸のサントゥール軍が動きを見せています。近いうちにここら一帯でドラゴン達が動きます。そして、このままでは向こう数十年も経たないうちに、両大陸で大きな混乱が起こるでしょう。警告を……貴方はその命を賭して兄を守りました、その高潔な魂は人々の行く末を善きものに変えるだろうと私は確信しています……貴方の兄が、トレアンが望んだ平和を。貴方の愛したカレンが望んだ世界を。破壊の未来に再生の種を」
「……わかったよ」
テレノスの幻影は彼の力を吸い込むような動作をして、ふわり、と滑るように動き、深い碧の向こうにちらちら見える塔と赤色の石の屋根に向かって飛んでいった。
さて、とセナイ――セルナイエス・フィルネアは息をつく。持って10日間の術で、誰かが気付いてくれれば。
「……貴方は死して尚、世界への愛の為に飛ぶ。それが私の差し金だとしても走る」
彼は碧の枝の隙間に見える曇り空を一瞥した。
「頼みますよ、誰よりも優しい……テレノス」
『学院の亡霊うまれしとき』
新シルダ歴916年、8の月/大陸、レファントの森の学院都市郊外の墓にて
2012.11.5
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます