第9話
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アンナが部屋から出て行った後は、しばらく暇な時間が過ぎていった。数分ほど待っただろうか。それから看護師が、部屋に入ってきて旬也のベルトの拘束を解いた。しばらく動きを制限されていたので体の節々が痛かったが、痛みは気がつくと消えていった。
(やっぱり、なんの変化もねえな)
旬也はベッドの周りで跳ねたりしてみたが、やはりアンナがやったみたいに床を凹ませるほどの脚力はなかった。しかし身体能力の向上は少しも感じられなかったものの、逆に全く違和感もなかった。プラスもなければ、マイナスもなかった。あの激痛がウソのようである。
看護師が旬也を外に出るように促した。
今から一体何をするのか旬也は気になった。
廊下に出ると、そこは少しだけ薄暗く、コンクリートの壁に覆われていた。はじめて訪れた建物(あるいは地下室)と同じ場所だと旬也は確信した。
「今から、その適性試験、っていうやつが始まるのか?」
「私には何の情報も与えられておりません。貴方をただ、ある部屋へとお連れするように言われただけです」
「ふうん」
それ以降旬也は看護師と会話をしなかった。看護師の言葉にはどこか棘があった。仕事上の関係であり、無駄なことは一切語りたくない、と言った風だった。
「こちらです」
立ち止まると目の前には、催眠ガスを浴びせた部屋と同じ様に鉄の分厚い扉があった。旬也にとってこの扉は激痛とともに嫌な思い出となっている。出来ればもうこの扉をくぐるのは嫌だった。それも何の説明もなしに、くぐるのは絶対に嫌だった。
看護師がスイッチを押すと鉄の扉が少しづつ開き始める。
「これから、どんなことがあるんだ? また無理やり眠らされるのか?」
「分かりません」
「また激痛があるんじゃないだろうな?」
「分かりません」
「じゃあなんなら分かるんだ?」
「言えません」
旬也は会話を諦めて、この先に歩を進めることにした。逃げ出しても良かったが、逃げ出したら首につけられた爆弾が爆発するかもしれない。どちらにしろ彼は『組織』とやらに従うしかないのである。
看護師は「お気をつけて」とか「がんばってください」とか何も言わず、会釈もすることなく、旬也を見送った。
旬也は鉄の扉をくぐる。その先は、まるで初めてきたあの催眠ガスの部屋と同じ様に真っ直ぐな廊下があるだけだった。
「そのままお進みください」
看護師が後ろでそう言った。そう言うと扉は少しづつ締まり始めた。
その時旬也は気がついた。この扉は外敵から身を守るために存在しているだけではなくて、内側の囚人を外に逃さないようにする役割を果すものだということを。
もしも今急いで振り返り鉄の扉をくぐれば、まだ外へと逃げ出せるかもしれないが、諦めて旬也はまっすぐに歩き初めた。今度の廊下は壁もなく順調に奥へと続いている。
百メートルほど歩いたところで、目の前に扉があった。その扉が開いてくれるかどうか旬也は不安だった。またガスが噴射されるのではないかと思ったからだ。しかし扉は自動で開き、さらにその奥の部屋へと進むことが出来た。
そこは本当に広い部屋だった。
大きさはちょうど学校の体育館ぐらいである。
今まで薄暗かった廊下とは一転し、眩いほどの照明が天井から照らされている。
目が慣れるまでその光が少し眩しすぎてしばらくは目を細めていた。
地面や壁、天井までもが、コンクリートとは全く違う、衝撃をよく吸収する物質で作られている。それは空港や体育館でよく目にするものだ。
その部屋の設備に旬也は驚きを隠せなかった。
しかしなにより旬也を驚かせたのはその部屋の設備ではなく、そこにいた人々だった。
そこにはたくさんの――本当にたくさんの人が居た――ざっと見て三百人は下らないほどの、体格も、性別も、年齢も、髪の色も、目の色も、肌の色も違ういろいろな人間がそこに集っていた。
(こいつらは一体誰だ?)
旬也は特に誰とも話すことなく、また話しかけられることもなく、適当に壁にもたれかかって、時間を潰すことにした。
*********
それから、しばらく待った。時々扉が開いて何かが始まるのか、と期待させることもあったが、旬也と同じように何も知らない、わからない人間が入ってきただけだった。
恐らくこの部屋にいる人間のほとんどが何も知らされていないのだろう。時折旬也の耳に「一体何が始まるんだろうな」「君はソフィアという女性がどんな人なのか知っているか?」という声が届く。そのような疑問に応えることが人間は多分この部屋には誰も居なかった。
(暇だ……)
あくびが出るほど退屈し、いつの間にか旬也は壁にもたれかかり、そのままその場に座っていた。
『えーデュフフフ、テスト、テスト』
ぼうっとしていると、天井にあるスピーカーから声が聞こえてきた。その声は低い男性のもので、どこか聞いているものに不快感を与えるものだった。
『えーっと、みなすぁーん。聞こえていますかぁあ?』
その問に誰も応えるものは居なかった。それもそのはずだ。スピーカー越しに問われた質問に応えても相手に通じるかは分からない。
しかし皆一様に何かしらのリアクションをとっていた。隣にいる人と話し始めるもの、周りをキョロキョロと見渡すもの。
『デュフフフフ。皆、僕の声が聞こえているようどぅあね(だね)。じゃ、じゃあ、ルールの説明をさせて貰おうかな。えーっと』
声の主は恐らくこちらの様子を見ることが出来るのだろう。どこかに監視カメラでも仕掛けられているに違いない。
声の主はガサゴソと何かを探しているようだった。
『えーっと、これかなあ。あ、うん。これだ。「きょ、きょ今日は皆様適性試験にお集まり頂き、あ、あ有難うございむあす(ます)。激痛に耐えられた皆様に、能力開発の素質があるかどうかを確かめる試験になります。見事合格すれば、教科トレーニングへの参加権利とともに約束の報酬を得る事ができます」』
(約束の報酬とは数十億の報酬のことだろう。しかし……)
旬也は訝しんだ。なぜこの声の主であるの男は、【まるで何かを読み上げるようにして】話しているのだろう。
『「では、それでは今から皆様に試験内容をお知らせいたします。試験内容は簡単です。【意識を失ったら負け】です。意識を失った人から順に失格となり、部屋から出ていってもらいます。残った人数がこちらの予定した人数を下回った時点で試験終了です。今この瞬間から試験開始です。もしも失格者とともにこの部屋から出ようとするとチョーカーが爆発しますのでご注意ください。それ以外に禁止行為はありません。説明は以上です」』
(説明は、以上だと……?)
旬也は必死に声の主の言葉について考え始めた。彼の説明はあまりに短く、具体例も存在しなかった。どこまでやって良くて、何が駄目なのか、一体どうすれば合格なのか、判然としない。
「ふざけるな、何の説明にもなっていないぞ!」
「出てきて説明しやがれ、このデブ野郎!」
「声キメえんだよ!」
一部の人はそう言った暴言を吐いたりもしていた。
(なぜデブやろうと決めつけるのだろうか…………)
とはいえ、まあしかし。
旬也はこの施設にやってきて、十分な説明をと言うものを聞いた覚えがなかった。特にアンナ以外の女性に対してそういった予感を期待するのは難しいだろうという予感はうすうすとは感じていた。だから彼は、自分自身でルールを解釈することを決めた。
勝利条件と敗北条件。
今回の場合敗北条件を考えるほうが簡単だ。『意識を失うこと』。それこそが敗北条件だ。
(意識を失うとはどういうことだろう……)
次に当然そう考える。
気絶、睡眠、昏睡、あるいは――死?
(つまり、さっさと人を殺しまくれば、あっという間に合格することが出来るっていうわけだ……猟奇的な考えだとは思うが)
人を殺さなくては、眠ることも許されない。眠らず、殺されず、人を殺す。あるいは気絶させることが出来れば、あっというまに試験に合格できるって言うことか?
格闘経験もなければ武器も凶器も持っていない旬也にとってそれは大変難しいことのように思われた。
試験開始がアナウンスされてから一分も経たない、その時だった。
小さな悲鳴が上がった。
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人間やめたゲーマー @tukue_mikan
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