たかいたかい

PURIN

たかいたかい

 その夫婦にはたった1人の幼い子どもがいた。

 夫婦はその子を、本当に大切に育てていた。


 夫婦は2人とも、高いところから落ちて死にかけたことがあった。

 大事な子どもをそんな怖い目や痛い目に合わせることは絶対に避けたかった。

 だから、2人は子どもを徹底して「高い」ことに関わらせなかった。


 公園ではジャングルジムもブランコも滑り台も鉄棒も禁止して、砂場でしか遊ばせなかった。

 もしかしたら、子どもは公園には砂場以外にも遊べるものがあることを知らなかったかもしれない。知っていたとしても、それらでどうやって遊べばいいのかは分からなかったかもしれない。


 一家が住んでいる家は当然1階建ての一軒家だったし、近所のデパートに買い物に行くときも子どもが一緒のときは1階でのみ買い物をした。2階以上の階には絶対に行かなかった。

 ことによると、子どもはエスカレーターやエレベーター、階段というものの存在を知らなかったかもしれない。知っていたとしても、それらが何のために使うものなのかは分からなかったのかもしれない。


 そもそも、夫婦は子どもに、世の中には「高い」場所があるということを教えなかった。教えたら、子どもが興味を持って「高い」所に行ってしまうかもしれないと恐れたから。

 「高い」ということを知りさえしなければ、「高い」に関わることはない。

 そうすればこの子は、怖い思いも、痛い思いもしないですむ。

 それが2人にとっての、わが子への愛だった。


 ある日、子どもは友達の誕生日パーティに招待された。

 パーティへの参加など初めてな子どもはとてもワクワクしていた。

 そんな子どもの様子を見て、両親は自分達も嬉しい気持ちになった。

 終わるのが夜だから、帰りは迎えに行くねと約束し、夫婦は子どもを送り出した。

 

 友達の家に到着した子どもは驚いた。

 マンションの10階だったのだ。

 マンションなんて建物に入ることも、エレベーターに乗ることも、高い所からの景色を見るのも初めてだった子どもは、パーティのごちそうもプレゼントもそっちのけで大はしゃぎだった。

 こんなに大きなおうちも、ボタンを押すだけで自分達を運んでくれる機械も、町を遠くまで見渡せるのも人や車がおもちゃのように小さく見えるのも、すべてが新鮮だったから。

 誕生日を迎えた友達やその親、他の招待された子達は妙には思ったけど、子どもが「高い」場所に関わるのを禁止されていることを知らなかったから、まあこの子なりに何かよっぽど楽しいことがあるんだろうとそんなに気にしなかった。


 夕方、両親は子どもへの招待状に書かれた友達の家の住所をようやく見てゾッとした。

 どうしてもっと早く目を通しておかなかったんだろう、こんな高い所だと知っていたら行かせなかったのに。

 まだ夜になるまで時間があったけど、両親は慌てて車に乗り込んで子どもを迎えに行った。


 友達の家の窓から自分の家の車を見つけた子どもは、ぱっと笑顔になった。

 窓を開けてベランダに飛び出し、両手を振りながら大きな声で両親を呼んだ。

 車から出て来た両親は、我が子の声が聞こえる方向を向いてギョッとした。

 あんな高い場所に大事な大事なわが子がいる。


 どうして、危ないよ、ちゃんと住所を確認しておけばよかった、どうしよう、高い所はダメだよ、落ちるよ、あの子にあんな思いさせたくない、あの子を怖がらせたくない、怪我させたくない、「髙い」ことは悪いことなんだよ、知らない方がいいんだよ、今まで教えなかったのに…

 

 動揺した両親は、思わず怒鳴った。

「何してる! 早くおりてきなさい!」

 両親のそんな大声を聞いたことがなく、そんな剣幕も見たことがなかった子どもは、自分が何か悪いことをしてしまったのかと大いに焦った。

 だから、言われたとおりに早くおりなきゃ、と思った。

「ごめんなさい! 今行く!」

 そう答えて、子どもはそばにあった鉢植えを踏み台にしてベランダの柵を乗り越え、高い高いマンションの10階から飛び降りた。




 子どもは、「高い」ということを知らなかった。

 ずっとずっと誰にも教えてもらえなかったから、知ることはなかった。

 知ることがなかったから、興味を持つことすらなかった。

 興味を持つことすらなかったから、関わりもしなかった。


 それは、子どもが「高い所から落ちたら危ない」と理解する機会を奪った。

 理屈を学ぶことも、経験することも、どこまでなら安全なのかを自分で考えることも。

 ひょっとしたら恐怖と一緒に味わえたかもしれない楽しみも。

 そうした全部を理解できなかったから、高い所から飛び降りた。

 自分の脚で着地できると、そのまま走って両親の所に行って2人に抱き着き、謝ることも、今日の楽しかった出来事を話すこともできると信じて疑うことはなく。


 そうして、唖然として動けない両親の目の前に。


 どっしゃーん

 

 両親が聞いたこともないような音を立て、両親が見たこともないような体勢で子どもはおりてきた。

 いや、


 それが、2人がわが子に注いだ愛の結果だった。


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たかいたかい PURIN @PURIN1125

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