第2話

第2話

 銀髪で細身の男は、リアナに視線を向けていた。

「姉上。僕は極東との貿易の件、聞いておりませんが?」

「当たり前だ。ドミニクには言ってないからな」

 謁見から数時間後、リアナは応接室にいた。著名な美術家が描いた絵画がいくつもかざっており、中央には長い豪奢な机に揃いの椅子。側面のガラスの戸を開けば、ベランダへと出ることが出来る。

「もしかして貿易の件、受諾するおつもりではないですよね?」

「受諾するつもりだ。文によれば関税も相場の半分に設定してくれるらしいし、クレイアへのメリットも多い」

 すると、ドミニクは呵責するように声を荒げる。

「なりません! 極東は我が国より何もかもが劣っているのですよ? そんな国と貿易など全く意味が無い」

「じゃ、お前ならどうするのだ? ドミニク。他国を蹂躙するにしてもお金がかかると思うが?」

 声色を変えないリアナの問いに対し、弟であるドミニクは鼻で笑って答えた。

「何を言っているのですか姉上。現在のクレイアは経済が好調です。資金などいくらでも集めることが出来るでしょう?」

 その言葉にリアナは大きくため息をつくと同時に、見下げ果てたような眼でドミニクを見つめる。

「その安直な答え。我が弟ながら本当に情けない。経済などいつどう転ぶか分からないだろう? そうやって安易にお金を使っていたら、すぐに国は貧困に陥る。好調をどう維持するか、不景気になった場合はどうやって対処するか。常にそれを考えていなければ国はおろか、村さえも背負えない」

「くっ……」

 下唇を噛むドミニク。言い返すことが出来ないのだろう。

「別にお前の考えを否定する気はない。確かにいずれ資源は尽きる。それを他国を侵略することで補填し、余った分を売って金にするという気持ちも理解できる。それは国民にとっても大切なことだからな。しかし、私はそれよりも先にやらなければいけないことがあると思う。何だと思う?」

「技術発展でしょうか?」

 歯切れの悪い回答に、リアナは軽く頷く。

「間違いではないな。答えは国民の充実だ」

「国民の充実ですか?」

「ああ。ただ治安だけのいい国では、国民の充実度は上がらない。商人にはたくさん商売をさせて、農民にはたくさんの野菜や果実などを作ってもらい、相応の利益をもたらさせる。また、職人にはある程度均等に仕事を割り振ることで収入の格差、実力の差をなくす。他にも騎士団の強化や法の整備、失業者の減少、貴族との連携などもあるな。私は国民みんなに生きがいを持って生きていってほしい。国民が幸せなら王家が貧しくなっても構わないと私は思ってる。今回の貿易の件も、商人に仕事を与えるいいチャンスなのだ。だから、戦争を起こす前にやるべきことは山のようにある。分かったか?」

 笑顔で語るリアナの瞳には夢にあふれた王国の未来が映り、胸の中には使命感が宿っていた。しかし、

「き、詭弁ですね」

 それを吐き捨てるように、ドミニクは首を横に振る。

「……なんだと?」

「確かに、姉上の言っていることが実現することが出来れば、僕としても喜ばしいことだ。しかし、現実問題としてこの世の生物は弱肉強食。それは人間も然り。天地開闢以来、強者が世を席巻し、弱者は淘汰されてきた。これは紛れもない事実。姉上もご存じのはずです。人々が争いなく、平等に暮らした例など存在しないことを」

 滔々と話すドミニクの言葉に、リアナは虚を突かれていた。何故なら知っていたからだ。自身の抱く王国の未来像が、このままでは叶う可能性が限りなく低いリアリティの欠けた――夢物語という事を。

「姉上との間に軋轢を生むつもりはないですが、このまま夢物語を口にし続ければ僕も考えがあります。現在、隣国であり同盟国のソシュール帝国が軍事強化を行っている以上、こちらもそれ相応の事を行わなければなりません。ソシュールは金甌無欠の大国。同盟を切られ、こちらに攻め込まれでもしたら小国のクレイアは滅亡します」

「ドミニク、お前言葉が過ぎるぞ。ソシュールはそのような国ではない。現皇帝もギルバート皇太子も英邁かつ義に厚いお方。そのような掌を返すことは絶対しない」

 反論するが、ドミニクは歯牙にもかけない様子でまた口を開く。

「姉上は人を信じ過ぎている。人はもっと狡猾な存在なんです。自身の利益を得る為には、犠牲を顧みない。それこそ本来の姿。僕もソシュールがそんな行為をするとは思えませんが、このままクレイアとソシュールの差が開いていけば、有りうる問題なのです。だからこそ、クレイアも領土を拡大し、ソシュールと並ぶ国にならなくてはならないのです」

「杞憂だ。あり得ない。そんなことを考えるよりも、クレイアの発展を最優先にすべきだ」

 視線をぶつける二人。その眼差しは相手を斟酌することはないことを物語っている。

「……平行線ですね。姉上とは分かり合うことはできないらしい」

 ため息を漏らすドミニク。それは姉と分かり合えないという断腸の思いと、自身の考えが捗々しくいかないという二つの感情が入り混じっているようだった。

「ああ。お前の考えを理解することは出来ても、認めることは出来ない」

 二人は互いの視線をぶつけた後、ドミニクは踵を返し、部屋を辞去した。それを見計らったように部屋に入ってきたのは、主税たちを謁見の間に案内した男――カイン・シュリバーだった。

「姫、あれでいいのか?」

 カインの言葉にリアナは覇気のない声で答える。

「ああ。ドミニクと仲違いはしたくはないが、家族姉弟よりも国民の安全が最優先。仕方がない」

「だが、このままだと王子は何が何でも王位を狙ってくるぞ。そうなると……」

「大丈夫だ。ドミニクはそんなことはしない。私たちは血の通った姉弟なんだ。私はあの子を信じる」

 妙に自信ありげな言葉に、カインは薄い笑みを浮かべて「そうか」と得心した。

 リアナには、別にドミニクが争いを仕掛けてこないという確証はない。しかし、自信はあった。それはドミニクも姉弟の絆を重んじていると信じているからだ。

(なぁ、我が弟よ。私はお前を信じているぞ)

「まぁ、この先どうなろうと俺は姫の麾下の人間だ。下知してくれれば何でもするぜ」

 胸を張りながら言うカインの言葉に、リアナは思わず頬が緩む。

「お前は私にはもったいない股肱の臣だな」

「俺は国民を第一に考える姫のそういうところが好きだからな。王子のやり方じゃ成功すれば国は豊かになるが、戦はそんな甘いものじゃない。ここ五十年は自国で戦をしていない国が、他国に勝つなんてほぼ無理だ。だからこそ姫。姫の双肩にクレイアの未来が掛かっているんだ。頼むぞ?」

 肩にぽんっと手を置かれたリアナは、息を吐いて言った。

「……ああ」




「いや~、主税が王女に文句を申したときは肝を冷やしたぞ」

「拙者もだ。とりあえず貿易の件は諦めたな」

「遠藤殿に柳殿。その話はもうおやめ下され……」

 談笑する新八と藤左衛門の正面には主税がいる。三人は先日の肩衣半袴姿ではなく、いつもの着物袴になっていた。

 謁見から二日が経った。主税からすれば、あの一件はもう思い出したくもない。

 三人がいるのは、城の中にあるゲストルーム。部屋の中には四つのベッドと椅子が四つ、その他に小さな丸テーブルが二つある。そして日中の現在、奥に備え付けられている窓からは日の光が入ってきおり、ふわりと舞う埃を照らしている。寝泊まりするだけなら申し分のない部屋だ。

「それにしても南蛮の夜具は凄いな。飛べば跳ねるのだから」

 新八はベッドに腰を下ろして、右の掌でベッドを押したりしている。この国に着いてしばらく経つが、いまだに興味深いらしい。

「新八。夜具は遊ぶためのものではないぞ」

「わかっておる。ただ、これが我が家にあれば子供たちが喜ぶと思っただけだ」

 その言葉に藤左衛門は沈黙した。主税以外の三人には妻子がいる。年は若くとも、三人は一家の大黒柱なのだ。いずれ肥後へ帰れるとは言え、家族の安否は気になっているはず。

「そ、そういえば三枝殿は何処に行かれたのでしょうか?」

 重い空気を変えるため、主税が話題を逸らした。

「玄翠なら厠へ行くと申していたぞ」

 問いに答えたのは藤左衛門だった。

「左様でございますか。では、某は城内を散歩してくるので」

「今日もか?」

「はい。部屋にずっと籠っていているのも無聊ですから」

「そうか。気をつけてな」

 主税は部屋を出ると、廊下を少し歩き中庭に出る。中庭と言えど、その広さは異常で、主税は未だどれぐらいの広さか把握できていない。

 この城に来て以来、南蛮の建築物に興味を持った主税は、城に逗留して三日目の今日もこのように散歩がてら見て回っている。

「この城は根本からして日ノ本の城とは違うな。大手門は破城槌で壊すとして、城自体は石で出来ているから、壊すとしたら大筒か。しかし、この城は山城であり、城へと続く道は一本道。兵器などを運べば、すぐさま弓兵や鉄砲隊にやられてしまうか。ましてや、日ノ本の城より城壁が高い。町民によればこの地は地揺るぎが殆どないのだから、それがゆえか」

 そんな事をぶつぶつ呟きながら歩いていると、一つの音が主税の耳に入ってきた。

「これは……素振りの音か?」

 何かが風を斬り裂く音が聞こえる。主税は音の聞こえる場所へ足を向けた。

「あれは……」

 中庭の片隅。主税の双眸に映ったのは、木の下で木剣を振るう女の姿だった。長い髪は優艶に揺れ、体から飛び散る汗は日の光を反射し、煌びやかに光る。そして女の細長い四肢の動きは無駄が一つも無く、見ているだけで時間を忘れさせてくれる。そんな動きだった。

「初めて見るお方だ」

 主税は、女を近くの木陰から見つめる。間近で見たいが、鍛錬の邪魔になると思ったので距離を取った。

 だが直後、女の動きが止まる。そして、

「あなた誰?」

 主税のいる方へ背を向けたまま言葉を発した。主税自身、この言葉が自分に掛けられていると分かっている。

「申し訳ございません。近くを通りましたら、何やら鍛錬を行っている貴殿のお姿を見かけまして。無礼を承知ながら、陰ながら拝見させて貰っておりました。平にご容赦を」

 木陰から姿を現し、女に対して一揖する。女も振り返ってこちらを確認する。

「そう。あなた貿易の使者ね?」

「はっ。申し遅れました。某、柳生主税と申します。以後、よしなに」

「私はエリスよ。エリス・イングラム。よろしく」

 翡翠のような色の瞳を細め、柔和な笑みを浮かべるエリス。そして、ゆっくりとこちらに近づいてくると、右手を差し出してきた。

 その行為の意味を主税は知らない。怪訝に彼女の手を見つめ、「その手は一体……?」と尋ねてみると、

「握手よ、握手。知らないの?」

 驚いたようにエリスは眉根を寄せた。

「握手、でございますか?」

「そ。握手。挨拶みたいなものよ」

 そう言ったエリスは、無理やり主税の右手を掴み、自身の右手と握り交わした。手を握られ、主税もそれに合わせるようにエリスの手を握った。

 日本にこのような習慣はないのだから、主税が知らないのも無理はない。

「もし時間があるなら一緒に稽古をどうかしら?」

「ご、ご相伴に預からせてもらっても宜しいのですか?」

 端整な顔立ちのエリスは、口を弓の形にして首を縦に振る。そして、手に持つもう一本の木剣を主税に差し出した。

「ええ。私も異国の剣士の技というものを見てみたいの」

 笑顔の彼女からは殺気のかけらも感じられない。稽古だからだろうか。

「じゃあ一本勝負ということで」

「は、はい!」

 主税はこの瞬間心を躍らせていた。何せエリス同様、異国の剣士と相対することが出来るとは思いもよらなかったからだ。

 木剣を構え、切っ先をエリスの顔に定める。剣術としては基本の正眼の構え。しかし、彼女の構えは見たことのないものだった。木剣を片手で持ち、それを垂らすような構え。一見、無防備に見えるが、主税には安易に突っ込もうという気は起きなかった。

(このお方、出来る……)

 十数秒の膠着の後、先に動いたのはエリスだった。地を蹴り、敏捷な動きで間を詰めてくる。そして、右手に持つ木剣を主税の頭頂向けて振り下ろす。主税はそれを受け止める。しかし、その威力は予想以上のものだった。

(片手のはずなのに、なんという速さと膂力……!)

 じりじりと押されるが、何とか木剣を振り払う。エリスも払われたと同時に距離を取った。

「反応は中々いいわね」

「お褒めに預かり恐悦至極。しかし、貴殿の一振りは片手ながら得も言えぬ威力で受けるのがやっと」

「ええ。私はブロードソードが専門なの。だから、両手で振るより片手の方が鋭いってわけ」

 ブロードソード。名は知っている。片手で扱う両刃の剣のことで、逆の手には、盾を持って敵と対峙するという。

 日本の剣士は基本、刀の柄を両手で握る。居合術や抜刀術などの例外もあるがそれが基本だ。しかし、彼女の剣技は主税の知っているどの剣術にも当てはまらない。これが南蛮に伝わる騎士剣術というやつなのかもしれない。

「左様でございますか。では、某も少しばかり技をお見せいたしましょう」

 そう言うと主税は、先ほどの構えから体勢を変える。右足を前に踏み開くと、上体を前にかがめる。そして木剣を右斜め下に引いた。

「へぇ……変な構えね」

「どこからでも」

「そう。ならいかせてもらうわ!」

 エリスは先の攻撃よりもスピードに乗った斬撃で、主税の面を狙う。普通なら反応出来ない速さ。だが、主税には勝算があった。

(来たっ!)

 機を窺っていた主税は、エリスの木剣が目と鼻の先に来た瞬間、頭を後ろに反らした。そして同時に右足を後ろに引く。エリスの木刀の切っ先が主税の頭頂を流れた瞬間、木剣を上段に構え、振るう。

「はぁぁぁぁっ!」

 捉えた。そう思った。しかし、

「凄いわね。こんな剣技初めて見たわ。だけど、肝心の剣速が少し残念ね」

「なっ……」

 主税は目を疑った。それは、エリスが唐竹割りのはずの一振りから、瞬時に主税の一撃を受け止めたからだ。あの剣技に残心の構えは無かった。普通の人間なら絶対に受け止めることは出来ない。いや、反応すること自体出来ないはず。

 主税は咄嗟に距離を取る。そして、自らの息が上がっていることに気づいた。

(なんという反応の速さ……。しかも顔色一つ変えずに受け止めるとは……)

 汗ばむ両の掌で木剣を握り直す。しかし、彼女は構えを解いていた。

「あ、ごめんなさい。途中だけど稽古はここで終わりね。お呼びがかかっちゃった」

 主税が気付かないうちに、エリスの近くには男の使用人の姿があり、彼女を呼びに来たようだ。

「その木剣はあなたに預けておくから、素振りにでも使ってちょうだい。結構楽しかったわ。じゃ」

「え? えっと……あ、ありがとうございました!」

 踵を返し、歩き始めるエリスの背に向かって主税は深く頭を下げた。

(あのまま続けていれば俺は、完膚なきまでに叩きのめされていたに違いない。俺もまだまだ未熟ということか)

 己の未熟さを実感し、ゲストルームへの帰路についた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異国戦記の武士道 屋富祖 鐘 @danjyo2799

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ