第50話 景色

 クロウタドリが歌う頃、王位継承の事務的な処理が全て整った。

 セヴェーロは既に騎士隊長から王としての扱いを受けているが表面的なもので、戴冠式を待つだけの日々を過ごしている。

「予算注ぎ込んで、離宮を再建しようかな」

 退屈すれば、そんな本気がどうか分からないような事を言って周りを困らせていた。


 待つだけの日々は矢の如く過ぎ去り、戴冠式前夜。

 ユリウスは、王の間から出てくるセヴェーロとばったり会った。

「あれ、ユーリィ」

「隊長……じゃなくて、陛下……」

「セヴィでいいよ」

「いえ、そういう訳には……王の間から出てきた所でもありますし」

「別に、父さんと話してただけだしさ」

「何の話を?」

「下らない事さ。世継ぎとかさ」

「た、大切な事ですよ?!」

「本当はさ」

 セヴェーロが、王の間の扉を見た。

 閉じているが、鍵などがかかっている訳ではない。

「俺は、あまり器用じゃない」

 言いながらセヴェーロは、懐から柳の小箱を取り出した。

 リボンが固結びに巻かれている。ユリウスに差し出した。

「これは?」

「戴冠式が終わったら、君からリーンハルトに渡して欲しい。きっとあいつは、何も言わずに去るから」

「そんな事は……」

 受け取りを躊躇うユリウスの手を取り、セヴェーロは強引に小箱を握らせた。

「リーンハルトには君が渡せばいい。ただ、渡すだけでいい。渡したら……」

「……?」

 セヴェーロは、少し言い淀んだ。それから、

「……戻ってくればいい。そうしたら俺と祝賀パレードに出て欲しい」

「祝賀パレードなら、私には警備の任務がありますが……キャリッジ馬車の近くにはいます」

 セヴェーロは、ユリウスの手を離した。

「それならそれでいいさ、ユーリィ。戻ってきてくれればいい、ただ、それだけだからさ」

 そう言い残して、去っていった。






 翌日。

 王の間で行われた戴冠式は滞りなく終わり、同席した騎士達は祝賀パレードの警備へと急ぐ。

 とは言え昼食と休憩を挟む為、社交行事に無縁な騎士には時間的な余裕がある。


 ユリウスはセヴェーロの言葉に懐疑的であったが、戴冠式中にはリーンハルトの姿は無かった。

「ヴィル、私は少し出てきます。すぐに戻ってきますから」

 ヴィルフリートにそう言い、城門前。馬上で跳ね橋が下りるのを待っていると。

「その前にユーリィ、一ついいかな」

 ヴィルフリートも城門前に出てきた。

 リーンハルトの事を訊かれるのかと思いユリウスは焦ったが、

「隊長の事なんですけどね」

 そう言われたので、取り敢えずは胸を撫で下ろした。

「隊長ではなく、もう国王陛下ですよ」

「いや、セヴィの事じゃなくて。騎士隊の新しい隊長を決めなければならないんです」

「ヴィルがやるんじゃないんですか?」

「僕は君がいいと思う」

「!」

 ユリウスは、その言葉に驚きを隠せない。

 新しい隊長はヴィルフリート、そうでなくてもエルンストだと思い込んでいた。

「な、なんで私が?!」

「君の方が、人を素直に見れるから。これから新しい騎士も入れなきゃならないけど、僕はどうしても、疑って見てしまうから……」

「そ、それでもヴィルがやるべきです! 私では……」

 若すぎる、と言おうとしたが、ヴィルも歳は変わらない。

 かと言って恐らく、エルンストは隊長などやりはしない。年功序列ならセヴェーロが隊長をやっていた理由がつかない。

「私では……兵はついてきません」

「そう、ですか……いえ、無理強いはしません」

 少し落胆したように思えたヴィルフリートだが、ユリウスが表情を見ると変わらずに涼やかだった。

「ならユーリィ、“副隊長”ならどうかな」

 跳ね橋が下りきった。

 ユリウスは、反射的に走り出そうとする馬を抑えていた。

「副隊長?」

「未熟な僕の事を、支えて欲しい」

「分かりました、それなら」

「君が選んでくれるのなら、だけど」

「え?」

 ヴィルフリートが、馬の腹を軽く叩いた。

 ユリウスが疑問符を浮かべている内に、馬は走り出していた。






 城下町を出る所で、エルンストを見つけ一旦馬を止めた。

「リーンハルト様から言伝を」

 と、ユリウスよりも先に言葉を発した。

「ハインリヒの所で待っていると」

「分かりました。……初めから、予定通りの場所で見送れるとは思ってませんでしたけどね」

「それからこれも」

 エルンストから、皮袋を投げ渡された。

 中を見ると、城の自室へ置いてあった筈の着替え一式。

「え、どうしてこれを?」

「リーンハルト様が渡せと」

「リーンハルトさんが?」

 エルンストはそれ以上は何も言わなかった。

 要領を得ずにいたユリウスだったが、馬を走らせ風に当たっていると思考は巡っていった。






 東へずっと馬を走らせ、街は遠くへ消えた。

 人家も疎らになった田園を超え、開けた草原に至る。

「リーンハルトさん」

 呼ばれると、振り返った。

「ユーリィ……」

 馬から降りたユリウスが皮袋を持っているのを見て、しかしすぐに視線を戻した。

「あの……」

「……」

「……いつから、気付いていました?」

 いつから、と言われてリーンハルトが思い出すのは、青銅色の椅子に座る彼女の寝顔の事。

「ずっと気付いていなかったよ。今でも気付いていない」

「それ、気付いていないと言えない台詞ですよね……」

 ユリウスは皮袋を持ち上げた。

「それからこれも」

「……そうだな」

「こんな事の為に出発を早めたのですか? お別れくらいゆっくり言えば良かったのに」

 ユリウスは皮袋を地面に置いてからリーンハルトに歩み寄ると、セヴェーロから預かった小箱を渡した。

 リーンハルトはそれを見て、少し、笑った。

「故郷は遠い」

「なら明日でも」

「私の都合で王の時間を取る訳にはいかない」

 まだ、日は高い。

 穏やかな風の中、空を見上げた。

 雲が、緩やかに流れていた。

「貴女も来ないか」

 月が、昇らぬ合間に。

「いえ、すぐに戻らなければならないので」

「誰の所へ?」

「誰、って……」

 ツグミが囀る間にこれまでの事を想い、ユリウスはその言葉の真意に至った。

 ここからなら、十六年を過ごした家も近い。

 渡された着替えの一式をどうする事も出来るのだと、ユリアーネは気付かされていた。






 ――在りし日の彼を思わせる、簡素な墓石。

 故郷へ戻る旅の始まり、銀髪の騎士はその前に立った。

 地下深く、埋葬された棺の上に。

 月見草の亡骸を、一つ置いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

月見草の棺 小駒みつと&SHIMEJI STUDIO @17i

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ