第30話 盆帰り。父帰り……

「もうすぐ、お盆だな……」


 男は、駅のホームで、西に向かって伸びる線路を眺めながら小さくつぶやいた。

 男の名前は、惣川二朗。

 八月十五日で三十五歳の誕生日を迎える。

 そして、父親が逝った日も、二十五年前の八月十五日だった。


「父さんの二十五周忌か……遠い昔の事……だよな」


 二朗が十歳の時、父が胃癌いがんで余命三か月の告知を受けた。

 父が大好きだった二朗の心は崩壊寸前だった。

 毎夜、父の傍に寄り添って眠る二朗。

 父の鼓動を心に刻むため、唇を噛みしめて涙をこらえていた。


「二朗を残して、逝けるはずなだろ……」


 それが癌と闘う父の気力の源だった。


 しかし――あの日。

 八月十五日の深夜、最愛の父が自ら命を絶った。

 二朗の誕生日をみんなで祝った――その夜。

 忘れもしない、記録的な暑さで水槽の金魚もだる、お盆の夜だった。


 二十五年後――。


「ただいま……今日も暑い一日だったよ」


 くたびれたかばんを妻の美里に渡しながら、我が家に辿たどり着いた安堵感にしたる二朗である。


「お帰りなさい。子供達も待っているわよ」


 二朗より一つ年下の美里は、優しい妻だった。

 いつも二朗と、二人の子供を陰日向かげひなたとなって支えてくれている。


「そうだ……田舎のお母さんから手紙が来ているわよ」


「お袋から? 手紙なんて……珍しいな」


 美里が注いでくれたビールを一気に流し込むと、封筒を受け取った。


「おや……中に何か入っているぞ!」


 手紙だけではない重みが掌に伝わってきた。


「これは……カセットテープじゃないか。今時どうして?」


「ほんとうね! 今時……レコーダ持っているの?」


「確か、寝室のクローゼットの奥に仕舞ったと思ったけど……」

 二朗は、片付けをしている美里に一声かけると、テープを持って寝室に入って行った。


「お袋さん……詩吟しぎんでも始めたのかな?」


 唄が好きな母親を思い浮かべていた。


【二朗……元気で頑張っているか。今、このテープを聞いているとしたら……もう三十五歳になるんだな】


 二朗は一瞬息が止まった。

 テープから流れる声は紛れもなく、あの日――記憶の奥深くに封印した父の声だった。


【当然、結婚はしているんだろう。子供は何人できた? 父さんにとっては孫……見ることも、抱くこともできないけど、二朗によく似た可愛い子なんだろうな……】


 いきなり目の前に現れた父に動揺した二朗は、思わずレコーダーを持ち上げた。

 この事を妻の美里に伝えようか迷った二朗は、大きく深呼吸をすると、二度三度と頭を横に振った。


 「父さんの事は忘れたはずじゃないか……」小さくつぶいた。


 自ら命を絶った父を――病気から逃げた人――と、さげすむことで、悲しみで張り裂けそうな心のバランスを保ってきた二朗だった。


【まだ十歳だった二朗を残して、自ら命を絶った父さんを恨んでいるんだろうな? ……謝ってすむことじゃないのは分かっている。でも……すまなかった。本当にごめん……二朗】


「何を、今更……まず、お袋さんに謝れよ」


 精一杯の虚勢きょせいだった。


【二朗が三十五歳になるお盆に、このテープを渡してくれるよう母さんに頼んでおいたんだ。二朗が父さんと同じ年齢になった時、父さんがどうして自殺をしたかを話しておきたかった。今の二朗なら受け入れてくれるだろうと信じて……】


 二朗に、父への思慕しぼが少しずつよみがえってきた。


【実は……父さんが自殺する事は、母さんも納得してくれていたんだ。そりゃ、最初は反対されたけど……最後は分かってくれたよ】


「そんな……なんだって?」


 二朗は言葉を失った。


【父さんが余命三か月の胃癌を宣告されたのは知っているね。その時、父さんはショックだった。でもお前たちの為に、愛する家族の為に……癌と闘う決心をしたんだ。そして癌を克服する為に、あらゆる検査や治療をしたよ……それでも、癌は日に日に進行していった。でも、そんな中で唯一の光明があったんだ】


「光明? 父さん……何を言って……?」


【それは……父さんの肝臓が、ある少女の肝臓移植に適合したことだったんだ】


「肝移植? 二十五年も前に……」


 肝臓移植の歴史は古く、三十年前には日本で初めての生体肝移植が成功していた。


【その子の命は、今にも消えそうだった……】


 妻の美里がいつの間にか二朗に後ろに立っていた。

 彼女は優しく二朗の肩に手を置いた。


【父さんの五体は、間もなく機能しなくなるだろう。でも、今なら……その子に父さんの肝臓をあげられる……そう思ったんだ】


 二朗は、カセットのボリュームを上げた。


【その女の子の父親は……お父さんの親友でね。彼は、大反対したよ。『親友の命を削るなんて』とね。でも、確実に消えていく命で、助かる命が有るのなら……父さんは死を選ぶことにした。父さんが逝ったら彼も移植を認めざるえないだろう】


「………」二朗の視界が涙でゆがんできた。


【二朗……今のお前なら、父さんが命をぐ為に自分を捧げた事を分かってくれると思う。父さんは死んでも、お前達の事をいつまでも、いつまでも見守っているから……許して欲しい。そして……父さんの分も生きてくれ……】


 美里の手が震えている。

 二朗もあふれる涙を止めることが出来なかった。


 妻の美里が九歳の時、肝移植を受けて生き延びた事。

 美里の父親が、二朗の父と親友であった事。

 こうして今、子供達を抱きしめられる事――。


 二朗は、全ての命が父から繋がっている事を知った。


 声を出して泣いている二朗に、美里がさっきの封筒を差し出した。

 かたむけた封筒から二朗の掌に、四枚の切符が転がり落ちた。


 今年のお盆――故郷行の往復切符だった。

 父からの贈り物だと気づくのに時間はかからなかった。

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ヨジジの世界 二丁目の角にはタバコ屋があった 山本 ヨウジ @yamayamato

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