ユウキの日々

御手紙 葉

ユウキの日々

 僕には白い花を美しく思う心はあるが、白い花に見合うだけの美しさは持っていなかった。それは僕と現実が薄い透明なヴェールで分けられて、向こう側へは一歩も行けないことが起因しているのだろう。つまり僕は、現実には存在しない生き物であり、あちら側にいる花に触れたとしても、温もりさえ感じ得ないのだ。

 僕は幽鬼のように夜に目覚めて朝に眠り、いつも闇の底を彷徨っていたのだ。それが僕にとっての日常であり、どうしようもない最初から決められていた運命(さだめ)だった。それを覆そうとしても、もう僕は幽鬼として生きるしかなかった。それがある意味、僕にとっての使命でもあったのかもしれない。

 何年の時を生き続けて、こうして現代に細々と暮らし続けることになったのだろう。自分でも記憶は曖昧だった。僕はもう誰も住んでいない古びた廃墟の、小さな屋敷の地下で眠り続けていたのだ。そこから一歩も踏み出すことなく、永遠の時をこのまま続けるのか、と初めは思った。

 だが、夕方の時間になると、僕は黒い衣を纏い、沈み始めた太陽を背に歩み始めるのだ。街を行き交う人々や、子供達の賑やかな声に、束の間の安息を得るのだ。そこにいると、僕はあちら側に身を乗り出し、温もりの中にいることができるような気がした。

 だが、水溜まりに映った私の顔は白く、青くて、そして生気がなかった。目は窪んで、唇は紫色に爛れ、唇の隙間から見える歯だけが禍々しく尖っていた。それはまさしく幽鬼、ヴァンパイア、化け物のそれだった。僕はフードをそっと目深に被り、空気に霞みそうな存在感のない足取りで、地面を這うようにして進んだ。

 僕の生きた証はきっと、この地面の足跡として刻まれるのだろう。だがそれも、小さな雨が降りしきるだけで消えてしまう、とても微かな存在の証でしかなかった。僕のことを名前で呼んでくれる人も、僕を記憶の片隅に留めてくれる人も、僕を人間として見てくれる人も、この世にはいなかった。

 教会の前を通りかかり、僕はいつものようにその十字架に向けて目を閉じながら、祈りを捧げるのだった。どうか、僕を生の中に再び戻してください。僕はもうこちら側の世界を知り尽くしました。だから今度は、あの光の瞬く先にあるものを、僕の中に息づかせてください。そうすれば、僕は必ずそこにいる人々を救ってみせます。

 そんな藁にも縋るような想いを繰り返し、僕は冷たい息を吐き出して何かを嘆くのだった。だが、僕はその願いがどこにも見出せずに、このままあの薄暗い廃墟の底へと戻っていくしかないことを知っていた。

 僕は微かに笑みを浮かべて、そっと身を翻した。その時、教会から出てきた誰かが子供達と話す声が聞こえてきた。それは雨滴がクリスタルの表面を掠めたような、そんな綺麗な囁き声だった。

 僕は振り向く――ドアがわずかに開けられて、子供達の手を握った女性が出てくる。彼女は僕の聴いたことのない、その楽しそうな声で歌を唄っていた。それは本当に僕の肌をそっと撫でるような、とても綺麗な囁きだった。

 彼女の唇から漏れたその吐息が、僕の心を少しだけ暖めてくれたのかもしれなかった。その歌が心に響く優しい感情を、僕が持ち合わせていたこと……それ自体が本当に不思議なことだったのだ。だが、彼女がそっとこちらに視線を向けたような気がして、僕はすぐに地面を踏みしめて、夜の霧の中へと消えていく。

 その足取りはさぞかし薄気味悪く、彼女には伝わったことだろう。だが、彼女の声は、僕の中から消えなかった。街から離れて、咽返るような草の匂いに包まれていても、そっと響き続けていた。僕はそれだけが、この世で感じられる、唯一つの幸福のように思えるのだった。

 そうして僕は館に帰り、地下室の底に沈んで夜を貪って、ただ浅い呼吸を繰り返すのだった。

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ユウキの日々 御手紙 葉 @otegamiyo

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