乳の貧しい女は心も貧しい、 悪役貴族はそういった

壺中天

蓼食う虫も好き好き

 

「乳の貧しい女は心も貧しい」

 悪役貴族はあたしにこういった。



「なぜそのように噛みつこうとする。まったくもって品がないな」

 冷酷そうな薄い唇が嘲りを浮かべる。


 黒衣長身、黒髪翠眼、白皙の面。額は高く秀でているが、眉間には気難しげな縦じわが刻まれている。

 鷲鼻がかった鼻梁といい、いかにも傲慢な貴族らしい美貌だった。


「唸るな、吠えるな。山猫ふぜいが喧しい」

 そいつの私室であたし達は対峙している。

 召使い達は下がらせられていた。


 家具調度はけっして華美でなく、主と同様に洗練され、よそよそしく、威圧される。

 所詮、しがない冒険者のあたしに白い夜会服なんか似合いはしない。


 だから、あたしは落ち着かない。居心地がわるくてしかたがない。

 寒冷な晩夏、窓の外は透明な青い夜色に包まれ、鬱蒼とした木々が茂っていた。


「いますこし、可愛らしく囀ることをしらぬのか」

 整えられた爪をした長い指があたしの顎をつかむ。


 この館の主は人を信じない。潔癖症で女嫌いでもある。

 他人の腰掛けた椅子には酒精アルコールで拭わせ、浄化の魔法を使う。己へ不用意に触れた者へは致死の呪いを下す。


 かしづく召使いはすべて魔導人形で生きたものは一人もいない。

 なんで、あたしを此処に囲うのだろう。なんで、あたしにふれたりするのだろう。


「お前のようなものを女と認めてやったのだぞ。私の寛大さに感謝するがいい」

 そんなに気に入らなきゃ、ほっといたらいいのにとやかく言いがかりをつけてくる。

 いつかのように顔に唾を吐きかけてやろうかと思ったけどやめた。

 あのときはそれがどんなに無謀なことかしらなかった。

 あんなことがあったのに、まだ命が惜しいんだなと自分を嫌になる。

 あたしは俯いて唇を噛んだ。


「お前はがさつで気品の欠けらもないが、明るく屈託ないのがとりえだった。それなのにいまは笑わなくなったな」

 あたしには好きな男がいた。いっしょに組んでた冒険者仲間で、軽薄だけど顔がよくてもてた。


「お前を奪い、私のものにしたかった。しかしながら、お前が笑わなくなることほうが恐ろしかった」

 けど、あたしは潔癖症かんしょやみなあんたが望むみたくなきれいな体じゃない。


「妊っていたことはしっている。だが、奴はふさわしい相手ではなかった」

 仕事できなくなるし、生むかどうか迷った。

 あいつは喜んでるみたいな様子で、もっと稼がなきゃなと抱き寄せた。

 嘘っぱちだった、騙されてた。

 薬を盛られて眠ってる間に、手足を杭につながれてた。

 裸にされて、あいつらに弄ばれた。

 おめえは遊びだよ、乳ねえしな。ガキなんざいらねえ、られて食われちまいな。

 あいつはへらへら嗤いながら、ナイフであたしのお腹を裂き、魔物ゴブリンの巣に置き去りにした。


「影の僕に命じ、見張らせていた。お前以外は人食い鬼オーガ討伐に失敗して全滅したことになっている。知っているものはほかになにもいない」

 あいつらも魔物も、この領主様がなんかしたんだろう。


「蘇生魔法で修復できて何よりだ。亡者アンデッドにするのは、さすがに気がすすまぬ」

 悪役貴族があたしの顔に手をかけたまま凝視する。


 回復じゃなくて修復っていったよ。あたしは顔をしかめた。

 そうなった屍体はさんざんみてきた。犯されて食い散らかされて酷いもんだった。

 はらわたびろびろで展覧会だし、しょんべんの臭いとかうんこの臭いとかが血と魔物の精と混じり合ってて、思い出しただけでも酸っぱいもんが込み上げて、嘔吐えづきたくなる。

 そんなのを生き返せれるくらい腕のいい魔術師なんて彼しかいないだろうけど、潔癖症なのによくそんなえぐいの処置できたな。

 生きてるのはだめだけど、死んでるのはかまわないとか。ちょっ、いまアンデッドっていったよね。

 うわーっとどん引いた。



「ルニア・ルーニル、そなたは私の母に似ている」

 あれっ、呼び方が変わった。てっ、こいつ母ちゃん子マザコンか?


「母はそなたに似て乳の貧しい女であった」

 ふーんそう、そこかそこなのか。るさい、ほっとけ!


「みかけはそっくりだ。だが、まったくちがう。

 そなたはよく笑うが、母はけして笑むことのない人だった」

 彼は壁龕アルコーブの帳を取り払った。

 ほっそりとした姿で美しく着飾っているのに、どこか冷たい表情をした少女の肖像画がそこにあった。

 息を呑む。あたしはその人をしっていた。


「政略結婚はよくあることだ。幼なじみの騎士と引き裂かれたと聞く。

 再会して想い断ちがたく、駈落ちしてそなたが生まれた。世間知らずのお嬢様であった故に苦労したようだ。

 騎士は冒険者として糊口をしのいだが迷宮から帰らなかった。彼女はそなたを育てるために身を売っていたが病ではかなくなる」

 あまり丈夫でなくて寝ていることが多かったけれど、あたしに優しく微笑む人だった。


「黙れ、そなたはのようなものを妹とはみとめぬ。どこのものとも知れぬ賤しい女にすぎぬ」

 そりゃ、証(あかし)なんて何もないしね。だったら、なんであたしに――。



「我が名はヴィルヘルム=ヴァルデマール・フォン・ウント・ツー・レーベンシュタイン。

 王国筆頭魔術師であり、レーベンシュタイン侯爵家当主にしてレーベンシュタイン領の領主。

 されど、汝のみにはヴィルマールと呼ぶことを許そう」


「ルニア・ルーニル、私と結婚せよ」

 高慢な貴族は跪いた。


「頼む。我が願いをきけ」

 そして、縋るようにあたしの手を取った。



 この国では、片親さえ違えば、婚姻になんら支障はない。

 だが、どうでもよいこと。その事実を知る者すら、彼に仕える影達以外になかった。


 彼が暗殺に倒れたのちも、彼女ルニアは家と領地を守り、二人とのあいだの子を育て上げた。

 そして、生涯を終えるにあたり、このような言葉を残した。


「――愛されて愛して、あたしは幸せだった。

 だから、後悔はない、思い残すこともない。

 あとは……ヴィルマールのとこにいくだけ」


 最後に浮かべられた笑みは、老いてなお美しかったという。

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乳の貧しい女は心も貧しい、 悪役貴族はそういった 壺中天 @kotyuuten

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