act.12 唖然
「それでは失礼します」
「ありがとうございます、今度このご恩は何かの形で必ずお返ししますから!」
二人で礼を言って、魚屋を後にする。
あの提案は、有無を言わせずヤヒロが通してしまった。商品を買ったと言うように、売れなくなった魚計八尾と、小袋に包んでもらった小さな毛の束、悪銭ばかりの銭通しは俺が預かることになった。これからまた屋敷に帰るらしい。お金はヤヒロがポーンと帳場の下に投げ入れていた。なんだか逃げるようにして店を後にしたのが少し可笑しかった。
「これも善行ですか、ガキ大将様」
「もちろんだとも、子分その2」
屋敷に転移するなり軽口を飛ばす。機嫌がいいのか今回は軽口が帰ってきた。
「じゃあ子分その1はア・タ・シ?」
扉を開けて魚の入った小包を踊るように引き取りながら、リンノさんも話に加わった。
「そうだな、では子分1号、こいつは今日の夕餉だ。異論は無いな?」
「あいよ、オヤビン!」
今まで聞いたこともないような野太い声を残して、リンノさんは颯爽と姿を消した。
…………にぎやかな人だなぁ。
「さて、それでは私の書斎へ行こう、仕事はまだ終わっちゃいからな」
呆けていた俺が悪いのだが、引きずるように連れて行くのはやめて欲しい、一人で歩けるし、何より腕が痛い。
「あのお嬢様、その、腕が痛いのですが」
「そら着いたぞ」
こちらを無視し、そのまま引き擦るようにして、俺をソファに投げ込んだ。右肩がおもちゃのロボットのように外れ、そして元に戻る音が激痛を引き連れて、俺の全身を目まぐるしく駆け回る。
「~~~~~~ッッ!」
「……なんだ?右腕の古傷でも疼くのか?冗談だ、気にするな。まだやらねばならぬことは山のようにあるのでな。膳は急げ、というヤツだ」
なんでこの人はちょくちょく一言多いんだろうか。あまりの痛さで眼前がスパークする。頬が熱い。
「あまりそう睨むな。腕がとれたわけでもあるまい?それに、腕はまったく〔痛くない〕はずだぞ」
「そんなわけ…………あれ?」
怒りが不思議に塗り換わる。全身から痛みが霧散する。肩の痛みなど、まるで最初からなかったかのようだ。
「体は鬼に近いと思っていたが、案外そうでもないのだな」
あけすけな物言いについ口が走る。
「俺は木霊じゃねぇのかよ」
「ユウキ、貴様は純血か?純血であるならもう少し小柄になっているはずだ。あの関所で見た爺、背が私の腰ほどしかなかったろう?木霊もやまびこも大して身長差はないから、あれくらいのサイズになるのが本来の木霊種の姿だぞ」
確かに奉行様は背が低かった。普通はああなのか、なるほどなるほど。それはさておき
「近い」
無理に距離を縮める必要は無いだろうに、話しながらずんずんと近づいてくるヤヒロとこちらとの距離は、比喩表現でなく、目と鼻の先まで縮まっていた。
「そういうのはお医者にでも聞かなきゃわかんねぇだろうがよ」
逃げるように顔を背ける。ああ、勝ち誇った顔のなんと憎らしいことか。
「それもそうだな。ところでユウキ、耳が赤いぞ?それはお前の業の発動条件か?」
慌てて耳を隠す。一方ヤヒロは完成された陶磁器のように、微塵も変化を見せない。三日月状に口角を上げ、にまにまとこちらをねめつけてくる様は心底腹立たしい。
「まさか、女性経験がなかったのか?年頃の男子にしてはえらく空々しい青春だったのだな」
「……関係ないだろ」
実際女性経験と呼べるほどのものを持ち合わせてはいないので、ぐうの音も出ないのだが。
「確かに関係ないな。話を変えるがユウキよ、お前の業を見せてみろ」
今度はなんだ……?
「何をいぶかしんでいる。業を見せろ、と言っただけだ。もしや、まだ発動したことがない訳ではあるまい?」
「そんなことはないけどさ…………」
急かされるままに、俺は再び例のスイッチをいれるイメージを描く。
『そら、これで満足か?』
「おお、なるほど。これがユウキの業か」
一人得心がいった様子で、何度も頷いているこの屋敷の家長様は、いい加減「何故」を言わない癖を治された方がよろしいかと存じ上げる。
『で?何がしたかったんだ?』
その問いに対する答えは、あらぬ所から発せられた。
『そうだな、その理由に対してはこういう形で答えよう』
そう、声ではなく音として、俺の脳に直接答えは響いてきた。
「いや、いやいやいやいや、いや!どうして!?」
『何がだ、顔も尻も青い男よ』
「少なくとも尻は青くないわ!業の能力は皆違うんじゃないのか?!それをどうしてお前が俺と同じものを持っているんだ?!」
狂ったように騒ぐ俺を、やれやれ、と額を押さえながら気だるそうにして、声もといヤヒロは応えた。
『そんなこと、当たり前だろう?』
「模写!模倣!擬態!転写!どれだ!」
『残念。どれでもないな。いいか?話してやるから、落ち着いて、よく聞け』
まとわりつく仔犬をあしらうような口調からは、本気でそう思っているのだろう、哀れみの色が深く感じて取れた。
『難しく考えすぎだぞ、ユウキ。それとも、あのヤブはまた怠慢を働いて、お前に教えるべきことを教えなかったのか?』
はて、サトリに何を言われただろう……?
宥められた恥ずかしさで少しは冷静になったものの、暴れきらない嵐が記憶をかき混ぜ、正しい思考回路を組み上げさせない。
「業にもランクが存在し、私がお前の上位互換に位置する業を所持している。サトリが話していなかったか?」
そういえばそんなことを言っていたような気がする。
「サトリがまたサボっていないようで、何よりだ」
つまり、と区切ってヤヒロが言い切る、なんともいえない表情をしながら。
「お前は私の劣等型といえるな。無論この件に関してだが」
美麗な眉で富士を描いて、告げられたその言の葉はあっさりと、それでいてビン底メガネの少年に、猫型ロボットが語りかけるとき程度の憐憫さを含ませながら放られた。
「…………」
あんまりな現実に、呆けて声が出なかった。役立たずだ、と告げられた用に感じた。
「そんな気を落とさなくてもいいじゃない。ねぇ?そう思わないヤヒロちゃん?ユウキもさ、できる先パイがこんなすぐ見つかったことをラッキーに思うくらいでちょうどいいんだよ。そんなもんだろ?人生ってさ」
後ろからぬるっと現れ肩を抱いてきたサトリからはフォローが飛んできているんだろうが、前方のヤヒロの険しい眉と、急に肩を抱かれた驚きで、それどころではない。
「おい、サトリ。私の執務室に扉は作るなと言わなかったか?」
髪が沸き立つほどの怒りを見せるヤヒロとは対照的に、サトリはどこ吹く風。先ほどの気だるげさとは打って変わって、口笛でも吹いてみせようかという雰囲気だ。
「なにやら酷い音がしたもんだったから。ヤヒロちゃんの身に何かあってはまずいと思いまして、いざ鎌倉と駆けつけた次第ですよ。まぁなんともなさそうで重畳重畳。それと、ヤヒロちゃん落し物」
一通り言葉を放ったサトリは片手大の丸い何かをヤヒロに放って、それじゃあねとまたぬるんと本棚の隙間に帰っていった。…………疲れてるんだろうか。
「私が落し物?……ほう」
「晩御飯ができたわよ!」
ヤヒロが何かに気づくのと、リンノさんが勢いよく扉を開けるのは、ほとんど同じタイミングだった。
導祖手帳 瑞薙 睦 @Mtsmi_Mizchi
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