act. 11 応答
「ヤヒロちゃんが君を呼んでたよ。あとリンノ、君のことだからないとは思うけど、仕事はきっかり終わらせてるだろうね?」
「当ったり前じゃない!アタシがノルマを2割増で達成しなかったことが、今まであったかしら?」
いつの間にかオネエに戻っていたリンノさんが家令の顔で軽口を受け流す。
「リンノの講釈はちょうど一区切りついたところだろう?だったら早くヤヒロちゃんの下に向かった方が良くないかい?座って呆けてないでさ。
少し遠いから駆け足でいくといいかもね、と付け加えてサトリは口を閉じた。
「わかった、行ってくる。二人とも色々ありがとう。リンノさん、これからもよろしくお願いします」
「敬語じゃなくていいわよ~」
一礼して扉を開くと、そこは入ったときとはまた別の場所のようだった。なんとも不思議な館だ。
思ったより距離はなかった。呼吸を整え、ノックを3回。あまり間を置かずに声が返ってきた。
「入れ」
「失礼します」
中は至って普通の書斎、なのかもしれないが、ドラマやアニメ、小説での知識しかない俺にとって、この空間はこじんまりとした図書館のように思えた。部屋の奥にある窓が日光を受けいれて、狭苦しさを感じさせない。扉を開けると、少しだけ開かれた窓から風が抜け、なんともいえない心地よさを感じさせる。そんな中、文机に座り、眼鏡をかけ、報告書のような書類に目を通していた少女が顔を上げた。
「ほう、思ったより早かったな。たまたま道中でサトリにでも会ったのか?」
「?いや、会わなかったけど」
そうか、とまた書類に目を通し始め、少ししてから、書類を何かの箱に入れて(投函?) 、かけていた 眼鏡を外した。
「すまん、少し待たせた。それにしても早かったな、急いできてくれたのか?茶でも出そう」
「いえ、お気遣いなく」
「まぁそう言うな、ほら」
「お、これはこれは……」
お茶を受け取り一口、あちち。うまい。
「楽にしてくれ、よく来てくれた」
って、楽にしてる場合じゃない。
「それで、用件はなんでしょう?」
「敬語は止せ、と言ったはずだが?」
彼女の眉間にしわがより、その目はわずかばかりの怒気に染まる。
「あ、す……その、すまん」
よろしい、とお茶を啜るお嬢様は少し無理をしているように見える。
「呼び出したのは、そういえば肝心なことを伝え忘れていた、と思ってな。仕事の内容について説明していなかっただろう?まったく、教えると言っていたのに教えていないとは、何事かと怒られてしまうな」
言われてみればそうである。すっかり忘れていた。
「それで仕事の事だが、まず1、パトロール。これは先ほど一緒に回ったな?一週間のうち曜日ごとにこの予定表に従って、各地域に巡回に行ってもらうぞ。無くさないようにしておけ。あと、はじめの一週間は私が同伴してやるからたくさんおっかなびっくりしていくといい」
そう言いながらこちらにレジュメをよこしてきた。最後のはどう考えても余計だ。
「七つも区分されているのか?」
「いや、区分は3つだ。一週間のうち二度、各地域に赴いてもらう。一週間に一日は確定で休みだ」
なるほど。
「で、他には?」
「お、働き者め。まだ働きたいか?」
「まだって……巡回だけが仕事な訳ないだろう」
巡回任務が重要であることはわかるが、それだけであるはずがない。町の駐在さんじゃあないんだから。
「そうか、そう言ってくれるか、では…………これだな」
ヤヒロが嬉しそうに持ち出してきたのは、先ほど何やら書類を投函していた箱と、レターボックスだった。
「これは?」
「見ての通り、レターボックスとそれを分類するための容器だ」
「???」
ヤヒロは自分の顔が緩んでいることに気づいてないのか、にまあっとしたまま話を続ける。
「このレターボックスには私宛のファンレターが届くのだ」
「ファンレター!?」
「これが私の活力なのだよ…………ヌフフフフフフ」
気持ち悪い笑みを浮かべ、万華鏡のように違った表情を見せるヤヒロは幸せそうで、こっちまで頬が緩んでくる。
「どんなものが届いてるんだ?」
許可を取って、蓋を開けてみると、そこにはどっさりと大小さまざまな紙類が入っていた。便箋状のものもあれば、絵だけのものもある。便箋の封を開けて(もちろん許可はとった) 、中を見ると、そこにはたくさんの感謝の言葉が入っていた。加えて子どもが描いたものだろうか、がんばって書いたのだろう、ヤヒロらしき少女と、ひとつの家族が手を繋いで笑いあっている絵も入っていた。
「……なるほど、だからファンレターね。んで分別ってのはどういうことだ?」
ふんぞり返っていたヤヒロは、ドヤ顔のまま質問に答えてくれた。
「ふふん。これを見たまえ!」
いや、答えてはくれなかった。寄越してきた書状を開いてみると、時節の言葉に始まり、感謝の言葉が綴られている。
「これもさっき見たファンレターと同じに見えるが?」
「最後まで読むのだ」
もう一度読み直してみると、隠れるようにして二枚目の裏に小さなメモ用紙のようなものが取り付けてあった。
『追伸 最近うちの店の売り上げは変わっていないのに、品物がいつもより少し多く減っています。こちらの勘違いであるならそれに越したことはないのですが、万が一にも窃盗犯が出たのであれば捕まえてほしいのです。調査のほどをよろしくおねがいします。』
「……タレコミ?」
「言ってしまえばそうなるな。これは依頼ではない」
「でも、仕事なんでしょ?」
「給料みたいなものは発生しないがな」
今とんでもないことを言ったぞ。
「給料は出ないのか!?」
給料のない仕事など、責任を持たないようなものだ。そんなことで仕事と呼んでいいはずがない。
「いや、出る」
「税金を取ってるってことか」
「警邏分は公務だからな。だが、これは公務ではない。正式な任務や依頼ではないから、やらなくてもいい仕事だ。その証拠に、報酬も明記されていない。ほら、行くぞ」
そう言いつつ、身支度を整え終えたヤヒロはつかつかと部屋を出ていってしまった。
「仕事じゃないのに行くのかよ?」
「そうさな、これは言うなればボランティアだ。しかしな」
悶を出現させつつヤヒロは続ける。
「困っている民はなんであれ助ける。それが絵空事でも、理想の君主であることに変わりはないだろう?もちろん異論は認めるし、この考えが青いと嗤ってくれてもいいが、私がそういう考えであることは知っておいて欲しいのだ。報酬が出ないから、昇給に繋がらないから何もしないというのは、寂しいじゃないか」
絵空事だと正直思ったが、あの横顔を見て、否定できるヤツは、真の意味でのヒトデナシだろう。
「……意外と夢想家なんだな」
「こういう女は苦手だったか?」
「夢を見るのが悪いとは言ってないぞ」
さっきと比べて長い靄を抜けた先は、先ほど赴いた大通りとはまた別の、しかし似た作りの通りのようだった。目の前には魚屋があり、どうやらここが目的地のようだ。
「私だ、女将さんはいるか?」
店仕舞いの最中だったらしき女性の妖人が一人、こちらへふよふよと寄ってきた。
種族は幽霊だろうか、しかしこの女将さんは、月夜よりも日本晴れの方が似合いそうだ。日陰らしさをまるで感じない。
「あらヤヒロちゃん!元気してた?働きすぎは美容にも良くないのよ、ところで、後ろの彼はヤヒロちゃんの……?」
「いやいや、女将さん。からかわないでください。これは私の新しい秘書兼雑用です。それに私にそんな暇がないことくらい、知っているでしょう?」
「恋する女はより美しく輝くのよ?仕事ばかりしてないで、私生活の方にも…………」
「本題に入りましょうか、泥棒が出たんですって?」
年頃の少女のようにはしゃいでいた女将さんの顔に影が差す。
「実は…………」
女将さんの話曰く、旬とは少し外れた安売りの魚ばかりが、先月くらいから2,3匹ほどくすねられているようだという。
「軒先に並べてある目玉商品の中でも、端のほうにおいてある特価品ばかり狙われるのよ、いつもあの辺りは戦場になるから、あんまり気づかなかったのだけど……昨日、これが見つかったの」
そう言いながら、女将さんが袖の中から取り出したのは、細い動物の毛束だった。
「ふむ……狐狗狸の
「軒先に置いてある特価笊の中から出てきたの、二尾ほど持っていかれたみたいなのよね。他の魚はキズが入っちゃって売れなくなっちゃったのよね」
「それならちゃんと届出をして、捜査してもらえばいいんじゃないですか?お話されている限りだと、明らかに窃盗じゃないですか」
「ユウキ、何を急いている?まだ女将さんの話は終わってないだろう」
「いやでもこれ、どう考えても窃盗であることに変わりはないじゃないか」
「ユウキ、はしゃぐな。なんだ?お前は木の棒を持ってきた犬か?違うなら落ち着け」
なんで
「すみません女将さん、続けてもらえますか?それだけじゃないんでしょう?」
少し頬の緩んでいた女将さんは、微笑ましいものを見るような目を隠すようにして、話を戻した。
「実は毛の近くにお金も落ちていたのよ、ザルの下に隠すようにしてね」
そう言いながら袖の中から、今度は二組の銭通しを取り出して見せてくれた。
「これが?…………悪銭も混じってるな」
「女将さん、特価の魚は一尾いくらなんですか?」
「一尾百文よ」
「それならこれでは全然足りないな、この銭通しが四文銭であれば、計二百文で魚二尾に対する対価として正しい。しかしこれは全て一文銭、しかも双方ともに十枚以上が悪銭だ」
通常、銭通しに通された銭が、九六文なら、銭通し含めて百文として扱われる。つまり、四文銭であれば二四枚で百文なのだ。しかも悪銭は四枚でやっと一文分。まるで足りていない。
「悪意ある行動であれば、容易いが…………」
「もしただの勘違いだったら、捜査依頼を出すのは…………ね」
「わかりました。情報提供ありがとうございます。そうだ、売れなくなった魚は、よかったらこちらで買い取らせていただきたいのですが、よろしいですか?」
このとんでもない提案に(色々な意味で)目を剥かなかったのは例え全世界探しても、恐らくこの上司だけだろう。
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