Red Hot Bowl

奈浪 うるか

とある夫婦のお茶漬けの話

人の背丈ほどもある長剣を軽々と頭上に掲げ、その剣ほどもあるキメラの爪を易々と躱しながら、アキオは宙に飛んだ。


間髪をいれず、羽虫が鋭い牙をかざして殺到する。一瞬、耳障りな羽音を遮るように長剣が一閃すると、とたんに羽虫の群れは速度を失い、散り散りになって空を舞う。


そのままの勢いを駆ってキメラの胸元に飛び込む。鋭い一撃がその喉元を襲い、キメラは咆哮を上げて後ずさった。が、アキオが半身を翻し次の剣を構えた瞬間、後退によって作り出した間合いから、キメラが液体を吐き出した。


ジュ、という音と、刺激臭。アキオの盾とアーマーがきつい臭いのする煙を上げて変形する。


そのままの間合いでの睨み合い。やがて、キメラが満を持したかのように吠え、酸を吐く体勢を作った。その瞬間、アキオの剣が大上段から振り下ろされる。剣の軌道からほとばしった光が大地を切り裂いて岩盤を巻き上げ、天に向かって口を開けかけたキメラの姿を鋭く左右に分かった。キメラは断面から酸を吹き上げ、にぶい轟音とともに沈み込む。


あたりに臭いが立ちこめる。


「あー、手間取ったな」


赤茶けた大地に乾いた風が吹き渡る。崩れた岩と羽虫の破片が大地に穿たれた大穴に落ちていく。岩は瞬く間にその闇の奥に吸い込まれるが、なんの音ひとつ返ってはこない。


アキオはその闇に足を踏み入れる。頭上では小さな竜が舞っている。


闇の奥にはさらに一層深い闇しか無い。その闇の中を果てしもなく下り、遥か頭上に爪の先程度の空を見上げる頃、青く光る苔に覆われた横穴が姿を現した。僅かな光の中をさらに進む。と、やがて。


闇の中から白い影が立ち上がった。


ア・ア・ア・ア・ア・ア・ア・ア・ア・ア・アァァァァ…


深い深い穴に響くからなのか、この世のものと思えない声で影は鳴いた。


アキオは両手を広げて影に向かって一歩、二歩近づいた。


苔に青白く照らされ、影―ミカの肌が艶かしく光った。


「我に何を望む?」


影の、以外にかぼそい声が響いた。


「ふん、メシだ。早くな」


「…… よかろう」


疲れた。数日ぶりの姿に安堵したのだろうか。急に体が重くなったように感じた。アキオは脚を引きずるようにして、進む。すこし、やられたか。


アキオは酸で半ば溶けたアーマーを脱ぎ捨てた。


積み上がった岩が灼熱する炉の上に、白い影が踊るように登ってゆく。手には鍋ほどもある鉄の椀を揺らしながら。


ゴス!


椀が石に嵌め込まれる音。


ゴフォ、ぐ、ボボボボボボボ


炉から溶けた岩が吹き上がる。


その赤い光を下から浴びながら、鉢の中をかき回すミカの哄笑が、溶岩の叫びを圧して響いている。


ミカが赤熱する椀をつかんで炉から飛び降りてきた。着地点から岩が四方に吹き飛び、崩れかけたアーマーを蜂の巣にする。


「茶漬けだ」


灼熱する鉄の椀に煮え立つ茶色の液体。そこにはおそらく茶の枝と思われる木片が、葉と一緒に突き立っている。


ミカは赤紫の髪の間から片目だけのぞかせてニッ、と嗤う。


「上出来だ」


アキオは片手で椀をつかみ、ミカを見る。肉の焦げる臭いがした。


鉄の柄杓で茶をすくう。すくわれた茶の中に沈む大ぶりな穀類が空気に触れてバキバキと音をたてている。アキオは構わず、口に運んだ。


「ふ、ふふふふふ」


「……ふふふ」


目と目をじっとあわせる。なおもアキオがすくうごとに、椀からは火の粉が舞い、時折なにかの爆ぜる音がする。


「うぐう。ふむ」


「……」


ミカが見守る中、アキオは上目使いにミカと視線を合わせながら、黙々と茶漬けを口に運ぶ。


「ふふふふふ、うはははははは」


「ふっ、ふふふ、ふふふふふ」


「ふはははは。ふははははははははははは」


「はーっはっはっは。ははははははははははは」


幸せな空気が、二人を包んでいた。

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Red Hot Bowl 奈浪 うるか @nanamiuruka

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