戒めの鎖と清命之歌
静まり返っていた町は、一瞬にして阿鼻叫喚の騒ぎになった。ヒノキとウタコが、片っ端から人を起こして回ったからだった。
人々が逃げ回り大騒ぎになっている中で、店に戻った女将は小麦麺の湯切りをした。丼によそい、煮干しで出汁を取った汁をかける。
女将は箸を手に取ると、麺を持ち上げ、音を立てずに啜った。
「…………麺はおいしいけど、出汁が違うな……。お二人さん、頑張って止めてみなさいな。というか止めてくれよ……」
女将は祈るように言うと、麺を啜り続けた。
「落ち着いてください! 皆さん、落ち着いてくださーい!」
組合の人間で手分けして避難誘導をする事になったナツメは、大声で叫ぶように言ったが、それは人々が右往左往する音にかき消された。
「落ち着いてください! 慌てないで――きゃっ!?」
誰かに押し退けられ、ナツメは尻餅を突いた。
「うう……」
ナツメは涙目になったが、
「……皆さん、落ち着いてください! 一列になって、町の出口に向かってください!」
すぐに涙を拭き、立ち上がって大声を出し続けた。
「くそ……! どうする、どうすればいい……!? このままじゃ町が消える……!」
いち早く避難が完了した通りの中央で、ヒノキは迫り来る漆黒の虚無を見上げた。
「…………
そう言ったウタコをちらりと見て、ヒノキは酷く迷った。暫くウタコを見つめ続け、
「……ウタコ、お前が……どうやったのかわからないけど、お前が消し去ったんだ」
「…………え?」
「悪い、今まで黙ってて……。お前が『清命之歌』を暴発させてソラナキを消し去ったんだ」
そう言った瞬間、ウタコは目を見開き、愕然となった。
直後、ウタコはまるで激痛でも走ったかのように顔を歪ませた。そのまま頭を抱え、蹲った。
「お、おいウタコ……!? 大丈夫か!?」
ヒノキがウタコの背中に触れようとした瞬間、ウタコは静かに立ち上がった。その表情も、静かなそれになっていた。
「…………兄さん」
短く喋ったウタコの口調は、酷く落ち着いていた。
「…………ウタコ? まさか、こんな時に記憶が……」
ヒノキの問いを最後まで聞かずに、ウタコは頷いた。
「もう一回、僕が何とかするよ」
記憶が戻ったウタコはそう言うと、何歩か歩いて、立ち止まった。
「……ふっ、ざ、けんなっ!!」
ヒノキは怒鳴りながら立ち上がると、ウタコの右隣に並んだ。左手で右手を包み込む。
「せっかく、せっかく記憶戻ったのに、また全部忘れるのか!? そんなの、絶っ対に認めないからな!!」
ヒノキは声を枯らすような力強さで叫んだ。
「兄さん……」
ウタコはヒノキを暫く見つめ、
「わかったよ。暴発はなし、だね」
「ああ。……二人でアレを撃退するぞ」
「……うん!」
二人は繋いだ手と手を強く握ると、同時にソラナキを見上げた。
ヒノキは、音もなくソラナキに右手を伸ばした。一度だけ、ゆっくりと深呼吸をして、
「『アブソープション……ドキュメント』おおおおおお!!」
絶叫した。
ヒノキの右腕が蒼白く光輝き、ソラナキに向かって凄まじい勢いで蒼白く輝く鎖が伸びていった。鎖は、ソラナキに音もなく飲み込まれた。
「消えろ……! 消えろ……! 消えろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
右腕の光が強くなり、ヒノキの体が一気に崩壊を始める。右頬が蒼白い六面体になって崩れていく。
その隣で、ウタコがゆっくりと息を吸い、
母音で構成された、ゆっくりとした音程の歌を歌い始めた。
ウタコを中心に、蒼白い光の波が生まれ、地面を、ヒノキを、家の壁を這って周囲に広がっていく。
ウタコが歌い始めて少しして、ヒノキの体の崩壊が止まり、右頬が元の形に戻った。
ヒノキの右手の光はさらに強くなり、ウタコは『清命之歌』を高らかに歌い続けた。
やがて、ソラナキの表面が波打ち、そして、
ソラナキが、蒼白い光を放って大爆発した。
二人は、降り注いだ光の大奔流に飲み込まれた。
飲み込まれた瞬間、離れないように抱き合った。
町から避難していた人々は、それを誘導していたナツメは、それを、瞬きせずに見つめた。
女将はと言うと、
「…………」
無言でそっと微笑み、油揚げの匂いがする不思議な煙草を煙管で吸い始めた。
ヒノキとウタコは、重なり合うようにして倒れていた。
先に目を覚ましたのは、ウタコだった。目の前にあるヒノキの顔を見て、少し驚いて声を上げた。
その声を聞いて、ヒノキが目を覚ました。
ヒノキは謝ると、立ち上がり、空を見上げた。漆黒の虚無は跡形もなく消え去り、満月と星空が浮かぶ、雲一つない夜空が見えていた。
ウタコは立ち上がり、ヒノキの左隣に並んだ。
「……ウタコ」
「うん」
「俺達……やったんだな」
「はい……きっと」
二人はそう言って、夜が明けるまで空を見上げ続けた。
ヒノキとウタコ 秋空 脱兎 @ameh
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