2-5:二章 半径0センチの沈黙

「ここは……」


 あざとくも上品なブラックを基調にした看板は、ピンクの蛍光色で彩られていた。


「きゅっぴぴぃ☆ ご主人様ーいまおひまですかー?」


 売り子の女の子がビラを配っている。

フリルのエプロンドレスとホワイトプリム、モノクロトーンの膝上10センチミニスカートが目に眩しい。

というか痛々しい。


 外からでも薄っすらと頭の悪そうな電波系音楽が鳴っていて、通行人たちはみな店から距離をとっている。

そりゃそうだ、一般人なら近寄りたくないだろう。


 遥はそんな店の中になんの躊躇もなく入っていく。


 話には聞いたことがあるが、これはまさか、いわゆるあの……


「……メイド喫茶ですね」


 メイドだった。

日本が世界に誇る文化の一つであるメイド喫茶だった。


 これが……メイド……思ったよりずっとキツイ。

生足の太さがやけに生々しいぞ。

媚びまくったアニメ声もリアルで聞くと違和感がヤバい。

なんなんだ、本当に同じ人間なんだよな。


 いや、今は現実のメイド批評などしている場合ではない。

 なにより重要なのは、遥がメイド喫茶に入っていったという事実だ。

 しかし、なぜだ。なぜメイド喫茶なんだ。


「……最近のメイド喫茶は胎児検査も受けつけてるのか?」

「分からん、産むのかも」

「入りましょう。そうすればすべての謎が解決します」


 俺たちは覚悟を決め、細い階段を上り、ハートマークがぎっしり飾り付けられた自動ドアをくぐる。

からん、かららんと鈴の音が響く。


 内装は萌えというか、ウェスト・カフェの対極のような派手さだった。

高校の文化祭の雰囲気に近い。

いたるところにハートが散りばめられ、嘘っぽいぐらい明るい照明だ。


 そして、俺たちを出迎えたのは、よく見知ったフレンチメイドだった。


「お帰りなさいませ! ご主人さ……」

 メイドの左胸のネームカードには、可愛らしい丸文字で『ミカン』と書いてある。


 ……なんだよ、超単純じゃねえか。


「…………ただいま」

 つまるところ、上代遥はメイドだった。

「な、なんでここに……」

「いや、その、最近変だからさ、色々気になって、つい」

 確かに彼氏にはメイド喫茶でバイトしてるなんて恥ずかしくて言えないかもな。


 現状をすべて理解した俺は爆笑である。腹を抱えて笑っていた。

 狼狽する二人だったが、やがて桜井が唾を飲み込んで言う。

「あのさ、遥」

「う、うん」

「女の子だったら、准って名前でどうかな」

「……なんの話?」


 一通り説明(もちろんストーキングの部分は事実を歪曲し、偶然街中で見かけ、こっそりと後をつけたということに)したところ、遥は呆れながらも観念したように笑った。


 遥の案内で席に座り、三毛猫オムライス(1580円)を注文する。

「それで、なんでメイドやってんの?」

 桜井が恐る恐る聞いた。


 遥はびくりと肩を震わせてしばらく押し黙り、そろりそろりと忍び足で桜井の反応を窺っていた。

桜井が不安の眼差しを向けて離さないので、遥は唇をもぞりと動かしては噤みを数度繰り返し、今にも消え入りそうなか細い声で呟いた。

「…………す、す、好きなの。こういうの」


 俺は最初、分からなかった。なぜ彼女がこうまで尻すぼみに語るのか、理解できなかった。


「……可愛いですよねぇ、メイドさん」

 真央が不思議そうな表情でぼそりと呟く。真央も俺と同じ気分らしい。


「そうか? 着飾ってる感じが俺はあんまり……」

「久瀬さんは自然体な女の子が好きなんですか?」

 なぜかパーカー部分を抑えるようにつまみ、妙に澄まして聞く。

「まぁ、そうだな」

「……メモメモ」

 バカを傍目に、沈黙を守る二人の観察に戻る。

 だが、二人の寂しそうな表情を見て、俺はなんとなくだが、分かったような気がした。


「へ、へぇ……知らなかったよ……好きなんだ、その、こういうの」

 桜井は寂しそうだった。

自分が彼女についてなにも知ってはいなかったという事実に、自分にだけ隠していたという彼女の心境に、それに四年間も気づかなかった自分自身に。


「やっぱり、嫌、かな……?」

 遥も寂しそうに笑い返す。

隠していた自分の一面を見せ、桜井の動揺が手に取るように分かるのが、次の瞬間には拒絶されるのではないかと秒針が進むのが、そんな自分の弱さが筒抜けになっていることにも。

互いの唇から漏れ出る言葉が、これまでの思い出を奪っていくようで。


 だからこそ、俺には多分分かった。二人にとって、なにが一番大切なのか。

「遥」

 遥は友達にメイドのことを話していた。

きっと機会があれば俺にも喋っただろう。

彼女にとって本当に嫌われたくないのは、一人だけなんだ。


 そして桜井も、こうしてバカ丸出しにストーキングまでして。

 結局、知りたがっただけなんだ。知られるのが怖かっただけなんだ。

 俺にさえ分かるんだ。彼に分からないはずがない。


 桜井は柔らかく微笑み、遥の手を両手で握って言う。

「可愛いよ」

 可愛いよ、だとよ。

 遥は感動のあまり泣きそうになっていた。というかちょっと泣いていた。

「うん、うん!」

「俺、お前のことなんにも分かってなかった。でも、これだけは言える。遥! 好きだ!」

「私も──大好き!」


 二人は抱き合い、感動の接吻を交わした。


 ピンク色のメイド喫茶に、周りのオタクっぽい客からまばらな拍手が起こる。


 しかし非常に残念なことに、俺は愛などというくだらないものにうつつを抜かすほど暇ではない。

しょせんお前らこの後セックスするだけだろうが。

自分が気持ちよくなりたいだけだろうが。

いや別に決して羨ましいとかそういうのではなく、キリスト教的観点から見ればむしろ悪いことであって、つまるところ猿同然であり、つまり、つまり……あぁそうだよ羨ましいよ! 

俺だって彼女作って快楽を思う存分享受してぇよ畜生!


 メイドさんが持ってきた三毛猫オムライスを食しつつ、俺は悪態を吐く。

「けっ! つまらねえ!」

 オムライスは相場の倍する癖して、大して美味くもない。


「よかったですね、浮気でも妊娠でもなくて。ハッピーエンドですよ」

 真央はあまり手持ちがないらしく、水だけ飲んでいた。


 俺はオムライスを分けてやった。真央は俺が手をつけた箇所から取ってもぐもぐ食べた。


「ハッピーエンドか……」

 その単語に、俺は少しだけ引っかかりを覚える。

「これで終わればそうなんだろうけどな」


 けど現実はそうじゃない。明日もあれば明後日もある。

物語みたいに唐突な終わりなんてない。

だらだらと続き、いいことと悪いことの波がやって来る。

晴れの日の翌日には雨が降り、喧嘩した週末には仲直りをする。

バッドエンドを迎えるか、あるいはどちらかが死ぬまでどこまでも。

どこまでも。

逃げ切りゴールなどありえないのだ。


「でも、今がしあわせならいいじゃないですか」

 真央が呟く。


 二人の距離は、今のところ0センチだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

パンツあたためますか?/著:石山雄規 角川スニーカー文庫 @sneaker

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る