2-4:二章 半径0センチの沈黙
「どうもはじめまして。久瀬さんの彼女の北原です。どうぞお見知りおきを」
明朝より、俺たちはとあるマンションから少し離れた電柱の傍で待ち合わせをした。
マンションの一〇五号室にはもちろん、桜井の彼女、上代遥が住んでいる。
桜井に尾行を持ちかけると、二つ返事で犯罪に手を染めることを決断した。
決心が揺らぐ前に決行したいとの申し出により、作戦は明朝より開始されたのである。
桜井は真央を見るなり、信じられない物を見てしまったと眉間を押さえた。
「俺は目と頭がおかしくなったのかもしれん……」
「安心しろよ、元からだ」
とはいえ美少女ストーカーはこの通り虚しくも実在するのである。
真央に事情を説明したところ、うーんと手に口をあてて考え込んでいた。
きっと彼女にも思うところがあるのだろう。
「彼女さんをストーキングしたいと聞きました。最低ですね」
どの口で言うんだ。
しかし桜井は真面目な顔のまま、はっきりと告げる。
「愛ゆえにだ」
おい、なに握手してんだ。結束を強めるなこのストーカーども。
「愛する人がなにをしているのか気になって夜も眠れない気持ちはとても分かります。
桜井さん、わたし、喜んでストーキングのお手伝いを頑張ります!」
いいことを言っているような気がしたが、冷静に考えたらただのストーカーだった。
桜井、なんとか言い返してやれよ。
「なんだよ直樹、凄くいい子じゃないか」
「…………」
愛がここまで人間を盲目にするとは……
だが、そもそも冷静になること自体がバカらしい行為なのだ。
なぜなら俺たちはこれからストーキングをするわけで、そんなバカげたこと、マトモな頭でできるはずもないのである。
バカになれ、現状を楽しむんだ久瀬直樹!
そう自分に言い聞かせる。
現在時刻は八時三十分、空の半分以上を雲が覆っていて、暑すぎない曇りの日だった。
念のため変装用に持ってきたキャスケット帽を深く被り電柱の裏でじっと待っていると、やがて涼しそうなカーキのワンピースを着た遥が可燃ゴミの袋を持って出てきた。
「……家を出ましたね」
「……鍵を閉めたな。防犯はしっかりしてるな」
「おい! 歩いたぞ!」
桜井が叫ぶ。そりゃ歩くだろ。ていうか大声出したらバレるだろうが。
身を乗り出さんとする桜井を、真央は落ち着き払って制止する。
「待ってください、もう少し距離を保ちましょう。ストーキングにおいて最も大切なのは、覗くことではなく、覗かれないことなのです」
「でも」
「ふぅ、いいですか。深淵を覗くとき……深淵を覗いているんですよ」
ただの二度見じゃねえか。なにドヤ顔してんだよ。間違ってんぞ。
会話はひっそりと続く。
「安全圏内は何メートルだ」
「射程は15メートルを基準に。遮蔽物の多い地形や人混みならさらに近寄れます」
「しかし一本道だぜ」
「好都合です。離れていても位置が特定しやすく見失わずに済みます」
会話だけ聞けばいかにもシリアスっぽくてカッコいいんだけどなあ。
「だ、だが万が一見失っては元も子も……」
「あなたバレたいんですか⁉
ストーキングしてるなんて彼女さんに知られたら、浮気の如何に関わらず間違いなく振られますよ」
経験者の言うことは説得力が違うなぁ。なんとも重みがある。
「…………」
「どうした黙って」
真央の視線はなぜか、なぜかゴミ捨て場のゴミ袋に向けられていた。
「せっかくだし漁っときます?」
あぁ……聞かなきゃよかった。その言いぶり既に経験済みじゃないか。
戦慄する俺をよそに、これ以上ないくらい深刻な雰囲気で場は進んでいく。
「さ、さすがにヤバいだろ。罪に問われたりしないか」
「民事的には問題ないはずです」
「人道的に間違ってるだろ」
堪え切れずについツッコんでしまった。
だが真央はやれやれと言った表情を浮かべ、ため息を吐く。
そして一言、
「いいですか──バレなきゃ犯罪じゃないんですよ」
殴りてえ。
「今はそんなことをしてる場合じゃない。行っちまうぞ」
「そうですね。あ、記念写真撮りましょうか」
証拠写真の間違いだろ。
そうこうしている間に遥が角を曲がったので、俺たちは走って追った。
真央の丁寧な指導の下、俺たちはどこに出しても恥ずかしくないストーカーへと成長していったのだ。
「常に踵を浮かしてください。いざというときには瞬発力が必須ですから」
「うーん、新築四年のマンションですか。ちょっと解錠は難しいかもしれません」
「身内でしたらもっと簡単に盗聴器なんかが手軽なんですけどね」
…………成長していったのだ。
スクランブル交差点を越え、商店街をひた歩き、やがて噴水前のベンチに座る。
「……待ち合わせか」
俺たちは距離をとり、近くの茂みに隠れて観察していた。
桜井は不安のあまり歯軋りをし、真央はカメラを起動して、決定的瞬間を激写しようと今か今かと待ち構えていた。
それからしばらく、シャツが汗で張りついてきた頃、ついに変化が訪れた。
「おい、誰だあの男!」
やって来たのは、シルバー製のネックレスを首からぶら下げシャツの第四ボタンまで全開にしている、いかにもチャラそうな男だった。
遥に声をかけ、なにやら話し込んでいる。
「これはもう確定的に明らかですね」
「しかも結構イケメンだな。あーあこりゃダメだ」
桜井は悲しみと怒りのあまり泣いていた。
嗚咽混じりで声にならない叫びをひっそりとあげていた。
だがしかし、現実は意外と優しかった。
「いえよく見てください!」
遥の表情が曇っている。男の態度もいささか強引になっていく。
「あ、ビンタした」
ビンタされた男は捨て台詞を吐いて逃げ去っていった。
どうやらただのナンパ野郎だったようだ。嬉しいような期待外れなような。
桜井は急激に襲い掛かる絶望と安堵の波に溺れ自我を失いかけていた。
死にかけのカエルさながらに手足をビクンビクンさせ、はっきり言って気持ち悪い。
「よかったですね。まだまだ希望は捨てずに抱えておきましょう」
「まやかしの希望なんか……いらない」
いかん、精神が崩壊しかかっている。
俺は可及的速やかに桜井を殴る。
日頃のストレスも込めて力強く殴りつける。
彼はなんとか現実に帰ってきた。
そうこうしているうちに、女友達らしき人物が遥のところにやって来た。
仲良さそうに会話を交わしている、客引きでもなさそうだ。
「浮気相手ではなさそうですね」
「そこは確信していいな」
「動きました。行きましょう」
それにしてもさっきからピクリとも桜井が喋っていない。
殴った箇所が腫れている以外には特段外傷はないが、心的ダメージは計り知れない。可哀想だったので、俺はふところからそっとガムを取り出し握らせてやった。
俺たちの尾行は続く。
あるときは突然の振り向きに対処するため視線を足元に集中し、あるいは人混みで見失わないようギリギリまで急接近したり、道を間違えUターンされても慌てずにすれ違ったりと、冷静沈着に歩を進めていった。
だがそれも、彼女たちが駅前のウェスト・カフェに入るまでだった。
「どうする、ウェスト・カフェの店内はそう広くないぞ」
特に、一番奥の席を陣取られたら店内を一望されてしまう。
そうなったら変装していてもバレてしまうかもしれない。
「出るまで待つか?」
「……いえ、行きましょう。会話の内容を聞けないようではストーカー失格です」
ムダに熱いプロ根性を見せつける。そういうの嫌いじゃないぜ。
「大丈夫か?」
「なんだったら顔の知れていないわたしだけ潜入してもいいんですが……」
真央が桜井をちらりと見る。
深く呼吸をして心臓に手をやり、彼は決断した。
「俺も行くさ」
ちょっぴりカッコいいかもしれないと思ったが、やっていることはやはりストーキングでしかなかったのだ。
*
念には念を入れて最寄りのコンビニでマスクを買ってきた甲斐もあり、なんとか気づかれることなく入店でき、さらには運良く真後ろの席を確保することに成功した。
正直言ってできすぎである。
アイスティーをすすりつつ、聞こえてくる彼女たちの会話に耳を傾ける。
──で、あのことはもう彼氏に言ったの?
「あのこと?」
「しっ! 静かに」
柔らかなジャズの流れる店内、桜井はコーヒーに手もつけず凝視していた。
──ううん……まだ。
──早めに言った方がいいんじゃないの。
──でも、下手に知られたら……
──大丈夫だって、きっと桜井くんも分かってくれるよ。
「なんだ、なんの話をしてるんだ」
早めに言った方がいい? 下手に知られたらマズイ? きっと大丈夫?
俺たちは発言の一語たりとも聞き逃すことなく吟味して推理を重ねる。
──それとも、嫌われてもいいの?
──それは……嫌だけどさ……
──素直に喋っちゃった方が楽になると思うよ。
──そうかな……そうだよね。
「でも、どうやら浮気ってわけでもなさそうだぜ」
嫌われたら嫌ということは、つまり好きなままでいて欲しいということに他ならない。
なにかしらの隠し事はありそうだが、案外あっさり終わりそうでむしろ拍子抜けだ。
「分からん、円満に別れたいだけかもしれん」
疑り深いやつ。それとも俺も彼女が出来たらこんな愚かしくなるんだろうか。
──四年も一緒にいたんだもん。理解してくれるよね。
──そもそも、そんなに深刻になることでもないと思うんだけどさ。
──はは……そうかも。
──なんて名前なの?
──えっと、ミカン。
ぼぉっと聞いていた俺だったが、ふと、とある重大な可能性に気づいてしまう。
なるほど、それなら全ての伏線が繋がるぞ!
「……生理が来ないとか」
ぼそりと呟く。
桜井の顔がみるみる青ざめる。
「………………」
「………………」
「………………」
重苦しい空気がアンティーク風の喫茶店に流れていた。
──あ、そろそろ時間だから。
──頑張ってね。
そう言い残すと、遥は店を出て行った。
「検査だな」
「妊娠ですね」
俺たちは立ち上がり、会計を割り勘して、さらなる尾行を続ける。
「俺……パパになるのかよ」
呆然とする桜井の肩をポンと叩き、俺は励ましてやることにした。
「おめでとう!」
「死ね!」
拳が重なりあい、殴打を繰り返す。待て、ガチで股間を蹴るのはやめろ。
「お二人とも、追いますよ」
「ゴムはしたはずなのにぃ」
「見苦しいぞパパ」
電車を乗継ぎ、足音を殺してさらに歩く。
何本の電柱裏に隠れたかも数えきれなくなった頃、目的地は見えてきた。
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