君がいればよかった

雪瀬ひうろ

第1話


 今日は死んでしまった君が帰って来る日だ。

 

 僕はまず部屋の掃除をすることにした。自慢ではないが、僕の部屋は汚い(本当に自慢ではない)。床には毎週買っている週刊少年誌がちょっとした山脈のように連なっているし、本棚に入りきらなくなった小説や漫画の類が、机の上でピラミッドを作っている(単行本の類を床に置かないことが僕の最後の良心だ)。おかげで掃除機をかけるのだって億劫だし、机の上に積もった埃を払うのだって面倒だ。

 それでも、僕は頑張って掃除をした。なんたって、今日は君が帰って来る日だ。それくらいの労を厭うつもりはない。

 僕は床に積まれた雑誌をクローゼットの中に投げ込んだ。


 次に僕がしたことは料理を作ることだった。自慢ではないが、僕は料理には少し自信がある(これに関しては、少し自慢だ)。せっかく女の子を家に迎え入れるのだから、長ったらしい横文字のフランス料理なんかを作ってみてもいい。だが、解っている。君はそういうかっこつけた料理なんかよりは、とんかつとか、ハンバーグとか、解りやすく「肉」って感じが好きなんだろ。解ってる、解ってる。だから、僕は圧力鍋を駆使して、とろとろの角煮を仕込み、栄養のバランスを考えて、サラダやみそしるの準備も進める。

 まあ、君は死んでいるんだから、今更栄養も糞もないのだけれど(笑)。


 あとは、一緒に遊ぶゲームを用意する。君はテレビゲームが好きだったから。大学生だったころ、僕たちはずっとゲームをしていた。だから、君はきっとゲームをやりたがるっていうことくらいお見通しだ。僕は子供の頃からずっと使っているゲーム機をテレビの前に置く。これを出したのはいつ振りだろう。僕は君が死んでから、全然ゲームをやらなくなったんだ。昔の僕を知っている君には、信じられないことかもしれないけれど。


 あと、もう一個準備しなくちゃいけないことがある。それは何かって? さすがにそれを言わせるのは野暮だろ? 若い男女が同じ屋根の下にいて、最後にすることは一つだ。僕は君が死んで以来一度も使っていなかった、ソレをコンビニで買った。


 ああ、君がやってくる時間だね。


 僕は玄関で君を待つ。


 おかえり。

 君はあの日と変わらない笑顔で、僕の目の前に立っている。


 暑かっただろ?

 え? そうでもない?

 今日は真夏日だろ?

 あ、幽霊は暑さとか関係ないのか。


 ほら見ろよ。

 ちゃんと部屋も綺麗だろ。これは褒めてもらってもいいだろ?

 え? クローゼットの中? そこは、見てはいけないよ。


 ほら、料理だってちゃんと作ったんだ。

 やってるよ。自炊だろ。おまえが居なくたってきちんとしているさ。

 まあ、確かに一人だと面倒でインスタントで済ませたりしちゃってるときもあるけど……。

 おまえに食べてもらいたくて、料理していたからな。


 ほら、ゲームだって久々に引っ張りだしたんだ。

 後で対戦しよう。今日こそは僕が勝つんだから。

 いや、負けたからって、ふてくされたりしないし。

 それ以前に、もう僕は負けるつもりなんてないから。


 それで、今日は泊まっていけるんだろ。

 ちゃんとその準備もしているんだから。


 ……どうした?


 僕はずっと喋り続けていた。

 君が目の前に居るという現実が嘘なんかじゃないって確かめたくて、幻なんかじゃないって思いたくて、僕は必死に言葉を紡ぐ。言葉が一瞬でも途切れたら、今のこの夢のような時間は終わってしまうんじゃないかって思ったから。


 でも、君は一言だって喋ってくれない。

 喋っているのは僕だけだ。

 これじゃあ、僕が一人で喋っている危ない奴みたいじゃないか、と思った瞬間、気がつく。


 ああ、君はどこにも居ないじゃないか。


 そうだ。


 死んでしまった君が帰ってくるなんてありえないじゃないか。


 そんな非現実的なことが起こるわけないじゃないか。


 「現実」という非情な二文字が僕の喉笛に噛みついた。

 君が帰ってくるなんていうのは、僕の妄想でしかなくて、やっぱり君はもう一年も前に死んでしまっていて、一年経ったんだから、一度くらい帰ってくるだろうなんていうのは、僕が考え出した、ご都合主義の極致たる妄想でしかなかった。死んでしまった人が帰ってくるなんて、そんなマンガやアニメみたいな都合の良いことは絶対に起こらない。そんなの馬鹿にだって解る。

 でも、僕は馬鹿以下になりたかった。僕の頭がパッパラパーになって、1+1の答えが解らなくなってもいい。世界中の人間に愚か者と蔑まれてもいい。なんなら、僕が死んでしまうまで殴ってくれたって構わない。全財産を差し出せと言われれば、ケツの毛まで差し出したっていいし、誰かの命を奪えというなら原子爆弾のスイッチだって連打してやる。

 君が本当に帰って来てくれるなら、僕は本当にどんなことでもしていいと思っていたんだ。


 僕には、ただ君がいればよかったんだから。




 もうすぐ夜が明ける。

 君が帰ってくると信じた一日が終わっていく。

 普段よりも綺麗になっている床に這いつくばったまま、僕は窓越しの空を見上げる。もうすぐ太陽はその悪辣な顔を見せるのだろう。僕にはそれがたまらなく嫌だった。

 僕は今から立ち上がらなくちゃいけない。

 なぜなら、この数時間後には仕事が待っているから。取引先にへこへこして、山の様な書類と格闘するという現実が待っているから。

 でも、もう無理だった。

 ほんの少しでいいから眠りたかった。

 僕はね、未だに縋っていたんだ。

 信じていたんだ。

 今の僕が眠りにつけば、夢の中で君がやって来て、ほんの一瞬だけれど、言葉を交わして「君は生きてね」なんて都合のいいセリフを吐いてくれて、僕はそれを泣きながら飲み込んで、目が覚めて、君が居ないという現実に立ち向かっていく。

 そんなお涙頂戴のエンディングが待ってるんじゃないかって、そう思っていたんだよ。




 でも、夢の中にさえ、君は現れてはくれなかった。


 死んでしまった人間が帰ってくることはない。


 絶対に。




 僕は目覚まし時計を睨みながら考える。アイロンをかけたワイシャツはまだ残っていただろうか。昨日はどのネクタイをしたんだっけ。同じネクタイを二日続けると上司に嫌味を言われるからな。そうだ、昨日はきちんと携帯を充電し忘れなかっただろうか。


 僕はくだらない現実と向き合う。

 そんな現実に向き合う自分が、向き合える自分が嫌で、嫌で、ぶっ殺してやりたくなる。


 君の遺体に縋りついて泣く、過去の僕が、じっと僕を睨んでいた。


                                   〈了〉

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