随伴者
――アキオが帰ってくるよ――
そうね、そろそろね。当直明けだから早いよね。
――忙しかったみたいだよ――
睡眠、ぜんぜん足りてないだろうね。
「ただいま」
――この雰囲気、疲れてるだけじゃないよ――
わかってる。
「おかえりー、アキオ。昨日は寝れなかった?」
「30分おきに起こされた」
「え~っ、それはひどかったね。へんな患者さん、来た?」
「まいったよ」
「どうしたの?」
「ひとりはさ、ハサミで頭が切れただけなのに、CT撮影しろっていって、きかないんだよ」
「けっこう切れてたの?」
「1センチくらい。きれいに縫ったよ、毛根、温存してさ。最後の最後にCTとったよ、ったく」
アキオの顔が、ゆがむ。
「あとは、どんなひとが?」
「ホームレスのおっちゃんとか。当然、保険なんて入ってなくてさ。事務のひとが、生保加入させちゃおうって」
「最近、そういうのつづくね」
「保険診療も、年金制度も、崩壊だよ。日本は破産! 勝手にしろって!」
毒づいてる。
けど……
――違うよ――
わかってる。
――傷ついてるよ――
そんなこと、わかってる。
――抱きしめてあげなきゃ――
わかってるってば。
「ぎゅっとしてあげる……たいへんだったね」
ほら、やっぱり。打ちひしがれて、力が残ってない。ほんと、ヨワいなあ。
当直先で、患者さんとケンカしたり、説き伏せたり。
このひとがしたいのは、そんなことじゃない。
大学でだって、実験して論文書いて、なんてことは、したくないんだ。
傷ついたひとと向き合いたい、ただそれだけ。
なのに、自分が傷ついて帰ってくる。
思い描いてたことと、いまのギャップ。
自分のふがいなさ。
アキオのことが、あたしには、わかる。
全部わかる。
「腹へったなあ」
――アキオが食べたいのは――
お茶漬けよ。当然。
「じゃあ、ここぞとばかり、お茶漬け作ったげるわ」
「おお! 食べたいと思ってた」
顔が輝く。
「サ
「いいね!」
「納豆もあるよ」
「いいね、いいね!」
身体が光を帯びる。
あたしには見える。
なんとかリビングにたどり着いて。
ソファに倒れこんで。
眼を閉じて、キッチンの音を聴いて。
ボロ布のようなアキオのこころが、しなやかに伸ばされていく……
そんな様子を、まな板の上を見ながら、あたしはハッキリと感じる。
――もう、だいじょうぶね――
そうね。あとはこれを食べればカンペキに回復!
――あたしがいなくとも、あなたは、もうだいじょうぶ――
ん? どういうこと?
——ひとりだち——
「うまいなあ、ミカのへしこ茶漬け。のり、しそ、ねぎ、ごま。福井の梅もかかせないね。シメの納豆茶漬けは、おれとミカのスペシャルだね!」
よし。元気がもどった。
――もど……った……ね――
「CTの患者さんだけど」アキオは、ぬか漬けのキュウリをくわえて、いう。「ありがとう、って帰った」
そうだろうと思った。
――おもっ……た――
「生保も、相談員のひとと話をしてから、ってことにしたよ」
それも予想通り。
――……り……――
あれ?
――……――
ちょっと、どうしたの?
――――
それきり、返事はなかった。
声は消えた。
彼と出会ってから、あたしの中で、ずっとしていた声。
いままで、ありがとう。
そう。
お別れ。
これであたしは、ただの妻。
彼のことが普通にわかる、ただのあたし。
でも、さみしくない。
また会える気がするから。
「ねえねえ、これ見て」
「うん? なんだ?」
「検査スティック。線、入ってるの」
「あっ! 線、入ってる!」
「入ってるでしょ? うふふ!」
「入ってるよ! やったあ!」
そのうち声はもどってくる。
また聴くようになる。
新しい命のことを、たくさん教えてくれるのだ。
それまで、さよなら。
あたしの中の、あたし。
さよなら。
あたしの第六感。
来訪者 / 観察者 / 随伴者 瀬夏ジュン @repurcussions4life
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