この世には理解できないことがあるのか否かについての考察

七星

今日の問答

「この世には理解できないことなんて何もないよ。全ての事には意味があり、救いがある。人を救うのに理由はなくとも、そこに信念があるように」


 そんな、かっこいいこと言ってるような言ってないような感じがデフォルトなのは、私の先輩、柳田凍哉さんだ。くるくると箸を指先で操りながら、訳のわからないことを言う。

 しかしまあ、そこまで言うなら聞いてみようという気にならなくもない。私は鍋をつついていた手を止めて、目の前の先輩を見つめた。


 ちなみに今日は鍋パーティーをしている。ほとんど活動なんてあってないような部活なので、毎日こんな感じだ。訳あって、私と先輩以外の部員はいないのだけれど……まあいわゆる、幽霊部員というやつだ。仕方がない。


 それはともかく、先輩は暇さえあれば私と問答をしたがる。何故かは知らない。昨日の問答のテーマは「世界に人間は必要なのか」、一昨日は「人間は冬眠できるのか」だった。今回はさしずめ「この世に理解できないことはあるのか否か」だろうか。昨日一昨日に比べたら、今回は質問のバリエーションが広くて助かる気がする。

 にしても毎回私が問う側なのはどういうことだろう。質問を考えるのもなかなか大変なのだが。


作麼生そもさん

説破せっぱ


 私の四文字に、先輩の三文字が音を返す。私は一つ目の質問をした。



「先輩は恋がどのようなものなのか、説明できますか?」

「もちろんだ。人間の心の中に一生に一度は芽生える、言葉では全てを説明することはできない感情のことだろう? 言葉で完全に説明できたとしたらそれは恋ではないし、感情ですらない。そしてさらに、対象は人間に限らない。動物だって、植物だって、画面の向こう側だっていい。恋だと誰かに確認してもらう必要もない。当事者が恋だと言うのなら、それはきっと恋なのだ」

「それは答えになりません。解明できていませんから。恋を知らない人は、そんな答えじゃ納得できません」

「突っかかるね、後輩。ならばもう少し掘り下げよう。言葉で全て説明はできないが、少しなら特徴を列挙できる。一つ、その人を笑顔にさせたいと思うこと。一つ、その人が体験した嬉しい出来事を、一番に自分に伝えて欲しいと思うこと。一つ、辛くて泣きたくてどうしようもなくなった時、その人が何も言わずにそばにいることが不快ではないこと。そして最後にもう一つ、その人に朝起こしてもらえたなら、その日は一日生きていられると思うこと」



 あくまでも目安であり、これをすべて満たしている必要はない。

 そう締めくくって、彼は白菜を小皿に取った。私は数秒押し黙り、次の質問に移る。



「人にとって一番大切なものは何ですか? お金という人もいます。心という人もいます。仲間という人もいます。信念という人もいます。本当に大切なものは、一体何なんでしょうか」

「そんなのも分からないんだったら君は僕の後輩失格だ。それは信じることだろう。お金、心、仲間、信念……それらを大切だと思うのは、ひとえに信じるという概念があるからだ。それが一番大切だと信じて疑わないからこそ、人は人たり得る」

「では、信じるという概念を持たない人は人間ではないのですか?」

「信じるという概念を持たない人間はいないよ。母親の体の中で一定期間育つ人間は、無意識のうちに母親に体を預ける安心感を知っている。それはすなわち、母親を信じているということに他ならない」



 私は雪の降る外を見つめた。手元に視線を移し、いつの間にか取り分けていた魚の切り身を食べる。



「じゃあちょっと質問を変えます。自分の大切な人が二人、死にそうだとして、どちらか一方しか救えない。先輩ならどちらを救いますか?」

「どちらも救おう。あるいはそれができないのなら、僕も一緒に死のうじゃないか」

「どちらかしか救えないのですよ。どちらですか? 例えば、自分の母と自分の妹だとしたら……」

「どちらも救うと言っている。どちらかがいない世界なんて意味がないじゃないか。どちらかを選ぶということはどちらかを見捨てるということだ。その時点で、二人のことを真に大切だなどとは言えない。全ての労力をつぎ込んで、血の滲むような努力をして、そうして二人とも救う。それが答えだ」



 私は無言になった。なるほど、確かに言い得て妙だ。花型の人参を噛み砕きながら、私は思考を巡らせる。

 数秒後、箸が止まった。


「……ねえ先輩」

「なんだ、後輩」

「先輩は何故」


 締めのうどんを入れながら、私はぽつりと呟いた。


「先輩は何故、この世界で生きているのですか?」


 目の端に、様々な新聞記事が映る。それらは皆ボロボロで、かろうじて読める文字を繋げると「氷河期突入か」「地球温暖化の急速な進行」「人類は終末を迎え」などといった言葉が見えてきた。


「私が眠っている間に世界は終わっちゃったし……みんな、死んじゃったのに」


 少なくとも、私の知ってる部の仲間は、みんな幽霊部員になってしまった。物理的に。

 真冬の学校に忘れ物を取りに行ったまま遭難してしまって、奇跡的な確率で冬眠してしまった私みたいな人は、きっと世界中を探してもいないだろう。意図的に冬眠をした、先輩みたいな人もきっといない。


 自分で言っといて、馬鹿みたいな話だ。私も、先輩も。

 死ぬことが人一倍怖かった私がまさか冬眠するなんて、そんなの予想できるはずもない。おかげで氷河期になっても私はずっと眠ったままで、死ぬ機会を逃してしまったのだ。先輩だけが、何も変わらずに目覚めた私の目の前にいてくれた。「おはよう後輩、寝坊だ」なんて、笑いながら。


「どうして、意図的に冬眠なんてしようと思ったんですか? 私と一緒に生きようなんて思ったんですか?」

「死ぬのが怖いと泣く後輩が、冬眠から目覚めた世界でひとりぼっちで生き続けなくて済む。それ以外に、理由なんて必要あるか?」

「そんなの、意味ないじゃないですか。別に世界が救われるわけじゃないのに、私一人助けたって」

「俺の話を聞いてるか? 俺は世界を救いたかったんじゃなくて、お前を救いたかったんだ」


 喉が詰まった。声が出ない。ようやく絞り出した言葉は先輩の思いを踏みにじるものだと知りながら、私は蚊の鳴くような声で告げた。


「……私を殺せばよかったのに」


 先輩は全然堪えることもなかったようで、くつくつと笑っている。


「それは無理な相談だ。俺はもっと君と問答を繰り返していたかったからな」

「それが私と今一緒に生きている理由ですか? こうやって鍋を食べながら、問答を繰り返すことが? ただそれだけのためにですか?」


 百年も二百年も動いていなかった舌が、驚くほどによく回る。それなら私じゃなくてもいいんだろうなと考えてしまう自分自身に嫌気が刺す。

 かちゃんと箸を置く音がした。空間が断絶されたような部屋で、明朗な声が響いた。


「君は何か勘違いをしているようだが……俺が君と問答をしたいと思うのは、別に酔狂とか道楽とか、そんなんじゃない」


 聞いたこともないような真剣な声に顔を上げると、穏やかな微笑がそこにあった。


「俺にとって君に問いかけてもらえることは、君に毎朝起こしてもらえることと同じくらい、価値があるというだけだ」


 そのまま自然な動きで差し出された皿にはうどんが入っている。数秒見つめた後、私は無意識のうちにそれを口に運んでいた。

 ああどうやら私はまだこの理解の難しい先輩と生きていたいようだ、と、頭に染み込むように理解する。


「あ」


 ごくんとうどんを飲み込んだ後、私はふと首をかしげた。今までの先輩の行動や、私との問答での言葉が頭の中を駆け巡った。


 そういえば。


「先輩。もしかして先輩は私に、恋をしているんですか?」


 先輩はうどんを食べる手を止めて、楽しそうな笑い声をあげた。少し乾いた、低い声だった。


「何を今更」


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この世には理解できないことがあるのか否かについての考察 七星 @sichisei

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