おちゃづけ。

草詩

夜更かし

 丹雄が門をくぐると、家から明かりが漏れているのが見て取れた。時刻は夜更け過ぎ。駅を出た時点で時計の針はとうに天辺を通り越しており、寝静まった夜道を歩いて来た丹雄は、美夏がまだ起きていることにうれしさ半分。


「まったく、自分も明日早いだろうに」


 そう誰とでもなく呟きつつも、ついつい頬が緩んでいる自分に苦笑いをした。

 ばつが悪く、気づかれないように、あるいは電気をつけっぱなしで寝てしまったのではないかとも思ったため、こっそり進もうとする丹雄だったが。

 閉じようとした門は空気を読まず――あるいは空気を読んで、音のない一夜に錆びついた声をあげて主人の帰宅を告げた。


 閉じ終えた門を確認して振り返れば、先ほどまでは電気が点いていなかった玄関から光が漏れている。

 観念した丹雄が鍵を取り出すよりも早く、その扉は開き、少し疲れた顔をした美夏が顔をのぞかせた。


「遅いぞ」

「悪い。ちょっと手間取った」


 少し乱れた黒髪を後ろで結い、だぼついたTシャツを着ている美夏は少しだけ怒ったふりをし、申し訳なさそうに頭を下げた丹雄を見てすぐに微笑む。


「お疲れ様。うん、おかえり」

「ああ、ただいま。入れてくれると嬉しいんだけど」

「しょうがない。かわいそうだから入れてあげる」

「それはどうも」


 丹雄が許可を得て玄関へと入ると、美夏は仁王立ちして待っていた。

 鍵をかけ、チェーンをしつつ丹雄は話しかける。


「今日の私は機嫌が良いけど機嫌が悪い。話を聞いてくれたらご褒美をあげる」

「あー、おっけー。良いことがあって話したかったけど、誰かさんの帰りが遅いせいで水を差されたと」

「皆まで言うな」


 靴を脱ぎつつ解読した丹雄に、美夏はチョップの姿勢で応えた。

 その差し出され、静止している美夏の手刀を脇にどけ、丹雄は玄関マットへと上がる。


「ちょっと小腹がすいたかな。でもグロッキーだからさっと食べられるもの何かあるっけ?」

「へいへい。大丈夫? きついなら食べてから寝ちゃってもいいけど」


 途端、声色を変えて心配そうにする美夏だったが丹雄は大丈夫と笑って返し、二人して廊下を進んだ。

 本音を言えば、美夏と話したことで気が緩んでしまい、すぐにでも布団に飛び込みたい気分ではあったのだが。

 それはそれとして、ここまで待ってくれていた美夏が楽しそうに語ってくれるなら、と丹雄の心が軽くなっているのも事実。


「大丈夫。それよりそっちは良いのか? 明日も早いんだろ?」

「お互い様、かな。大丈夫大丈夫。ま、ちょっと待っててすぐ作るから」


 台所へ入っていく美夏を見送り、丹雄はその手前、リビングで一息ついた。

 ネクタイをゆるめ、首元のボタンをはずして椅子へと座りこむ。思っていたより身体は疲れていたようで、丹雄は欲求に抗えず息を吐きながらテーブルへとつっぷした。

 テーブルクロスへと頬をつけ、ぼんやりと横を見やる丹雄の耳に、台所から規則正しく心地よいリズムで包丁の音が届く。


「あー、癒される」

「大袈裟ねー」


 言いながら戻ってきた美夏はお盆を手にしており、盆の上にあるお椀からは湯気が立ちのぼっていた。


「お、お茶漬けか。良いね」

「良かった。あなた結構好きだもんね。はいどうぞ」


 身を起こし、丹雄は目の前に置かれたお茶漬けへと手を伸ばした。美夏から箸を受け取りながら、美夏特製のお茶漬けを眺める。

 白米の上に焼いてほぐした鮭の身と、千切った焼き海苔を散らし、針生姜が添えられたうえに美夏の好きなほうじ茶がかけられていた。


 鮭の身は丁寧に骨を取り、グリルで焼いたものを適度にほぐしてある。これは美夏が弁当の一品としてたまにやる作り置きをほぐしたものだろう。

 手で千切られた焼きのりと、お茶の熱にさらされた生姜から、芳しい香りが漂っており、疲れていた身体が急に思い出したかのように空腹をうったえかけて来た。

 脇には小皿に少し盛られた茄子と大根の漬物が用意され、箸休めにも丁度良さそうだった。


「いただきます」

「はいはい。ゆっくり食べていいからね」


 丹雄はゆっくり食べていられないとばかりに、お茶漬けをかきこむように食べ始めた。

 お茶の味に包まれたほど良い温かさの白米と、海苔の風味と一緒に鮭の身に詰まった旨味が口の中に広がり、最後にぴりっと生姜の薬味が走る。


「ゆっくり食べなって……もう」


 丹雄の向かい側へと座った美夏は、そんな丹雄の様子を見て呆れながらも、ついつい頬が緩んでしまっていた。

 食べやすいよう、お米は人肌程度にしか温めていなかったり、あったほうが食がすすむかな、とわざわざ引っ張り出して切った漬物だったり。

 そうした気遣いも、こうわかりやすいほど美味しそうに食べてもらえれば、やった甲斐があったというものだ、と。

 話したい事があったはずなのに、それだけで心が晴れてしまっていた。

 お互いに、ついつい。それが重荷にならないのが、良い夫婦なのかも、とまで美夏は考えて。


 どちらともなく、二人は話し始めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おちゃづけ。 草詩 @sousinagi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ