今日はお茶漬け

秋空 脱兎

ミカの冷たいお茶漬け

 仕事で帰宅が遅くなってしまったアキオは、足早に自宅があるマンションに向かっていた。

 その表情には、隠しきれていない疲れが見えていた。

 アキオが暫く歩くと、漸く自宅の部屋の前に到着した。

 アキオは深々と溜め息をつくと、鞄から鍵を取り出し、ドアの鍵穴に差し込んで回した。アキオは鍵を引き抜いて、ドアを開けた。


「ただいまー……」


 廊下の奥、リビングの方に向けてアキオが言った。少しして、リビングの方から、アキオの妻のミカが歩いてきた。


「おかえりなさい。……何か、随分疲れてるみたいだけど、何かあった?」

「あー……、それがねえ……、明日の会議の書類のデータ、今日は帰るぞーってなったタイミングで、部長が綺麗に吹き飛ばしちゃって……」

「えっ」

「全部作り直す事になって、必死にやって、今に至るというね……」


 アキオがそう言って腕時計をちらりと見ると、時計の針は午後九時半を指していた。


「それは……、うん、ドンマイ?」


 ミカは、何とも言えない表情になって言った。


「ありがと……」


 アキオは力なく返事をして、靴を脱いだ。振り返って、靴を揃えた。


「それじゃあ……ご飯にする? お風呂にする? それとも……わ・た・し?」

「ミカ……セオリーだからって、流石に今日は三択目は無理」


 アキオは苦笑しながら言った。


「ん、だいじょぶ、わかってるから。……で、ご飯? お風呂?」

「あー……じゃあ、ご飯から。出来れば食べやすいのがいいかな」

「はーい。先行って準備してるね」


 ミカはそう言うと、パタパタと小走りでリビングに隣接されたキッチンに向かった。


「…………」


 アキオは、ミカを見てから一気に疲れが出た体を引きずるように、ゆっくりと歩いてリビングに向かった。その間に、ネクタイを緩めて、ワイシャツの第一ボタンを外した。

 リビングに入ると、アキオは真っ直ぐテーブルの前に向かい、そこで出来るだけ静かに座った。


「ふう……」


 アキオは溜め息をつくと、キッチンの方に耳をすませた。

 何か食べ物を用意する音と、ミカの鼻歌が聞こえてきた。それを聞いて、アキオは頬を緩めた。

 それから少しして、ミカが両手で茶碗を持ってキッチンから出てきた。


「はーい、出来たよー」


 ミカは楽しそうに言いながらテーブルの前まで来ると、茶碗をアキオの前にそっと置いた。


「えっと……お茶漬け?」

「うん、冷やし茶漬け」


 ミカが持ってきた茶碗の中に入っていたのは、まごうことなきお茶漬けだったが、湯気はなく、氷が浮いていた。


「テレビのコマーシャルでやってて、おいしそうだなって。あ、梅干しとカリカリ梅でさっぱり食べられるようにしてあるから」

「ああ、あのCMか。……いいね。食べやすそうだし」


 アキオはそう言って、少しの間お茶漬けの見た目を楽しみ、


「……あ、食べるね。いただきます」


 ミカに一言ことわってから、お茶漬けを食べ始めた。

 お茶漬けを半分程食べた頃、アキオは、ミカの視線に気が付いた。


「……どした?」

「…………いや……うん、やっぱり私も食べる」


 ミカは真面目な顔になって答えた。アキオが苦笑する。

 それを見たミカは不思議そうに首を傾げると、立ち上がって、キッチンに向かった。


「……まあ、これはこれで幸せだわな」


 アキオは、自分にしか聞こえないような小さな声で言った。

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