エピローグ
騎乗の旅だった。
ガリアス山脈を下りながら、クレインたちは西に向かっていた。山道に生い茂る樹々が、暑苦しい日差しを和らげてくれている。蛇行する険しい道を馬に歩かせながら、クレインたちはたった三騎で進んでいた。
「本当に、これでよかったのですか? クレイン様」
メリルが隣に馬を寄せ、心配そうに尋ねてきた。動きやすい旅装に身を包んでいるが、女性らしさを失わない所作からは気品が漂っていた。馬での旅に慣れているのか、クレインやレイシアの速度にも難なくついてきている。
「兵も連れず、たった三人で王国領に入るなんて……さすがに無謀過ぎると思います」
「いや、これが最善なんだ。十二神将を倒した以上、オービルには相当数の兵を向けられる可能性がある。バルアン将軍が指揮するとはいえ、できれば一兵も動かしたくない。街の統治に関しては、ヘクターさんがうまくやってくれるだろうしね」
無論、統治に関して重要なことはすでに決めてあった。
数日分の食料だけを持たせ、教国民は全員オービルから追い出すことになっていた。反抗の意志を確かめている時間もなかったし、今の段階で王国側に寝返る教国民がいるとも思えなかったので、この点についてはすぐに決まった。教国民の兵については殺すべきかどうか議論になったが、結局は民と同様に追い出すだけに留めることにした。
他にも、土地の権利などを再整理する必要があったが、そのあたりの仕事は自分よりもヘクターのほうが得意だろう。
「オービルが心配なのでしたら、やはりクレイン様も残られたほうがよいと思います。こんな危険な旅に同行するなんて、オービルの民も気が気でないと思いますよ?」
「なに言ってるのさ。僕らが王国領に向かうのは、兵を集めたり、拠点を増やすためだよ? 総大将の僕がオービルにこもったままじゃ、誰も叛乱なんて本気にしてくれないよ」
「ですが……」
「心配性ねぇ、メリルは」
会話が聞こえてきたのか、レイシアが馬を並べてきた。気持ちよさそうに馬を歩かせながら、メリルを半眼で睨む。
「それより、なんであんたまで付いて来てるのよ。武器のひとつも持たないで、敵陣に入って大丈夫なわけ?」
「そこはご心配なく。どこぞの猪武者と違って、わたくしには教国軍を欺く術がございますので。第一、挙兵するなら兵站の管理や、レーディック商会の手の者を動かす必要があるでしょう? わたくしがいなければ始まりませんわ」
「ちぇ……せっかく、二人きりの旅になると思ったのに」
「あら。不服なら、レイシア様だけ帰られてもよろしいのですよ? わたくしとクレイン様だけなら、行商人の夫婦を装って街に入れますし」
「なっ! ふ、夫婦ってあんた、どさくさに紛れてなに企んでるのよっ!? このアバズレ!」
「ふふ。幼女がなにか言ってますね」
相変わらずの口喧嘩に苦笑してから、クレインはぼんやりと空を見上げた。
これから先のことを考えると、正直不安が大きかった。今までずっとオービルで暮らしていたため、外の世界のことはあまりよく知らない。王国領がどんな場所で、人々がどんな風に暮らしているのか。教国に支配されて、王国民はどのような扱いを受けているのか。彼らに、叛乱を起こす気力が残っているのか。先のことを考えすぎて、眠れない夜も多かった。
(本当に、上手く行くのかな)
疑念が湧く度に、やるしかないのだと思い定め、萎みかけた気力をなんとか奮い起こしていた。
口喧嘩が一段落ついたのか、レイシアがクレインの顔をのぞき込んでくる。
「でも、意外だったな」
「なにがさ?」
「てっきり、クレインはあたしのことを置いていくと思ってた」
「信用ないなぁ」
「そりゃそうだよ。今まで、何度ないがしろにされてきたか」
「それについては、ごめん……でもまあ、この前の戦で色々とよくわかったからね」
「色々って?」
「レイシアをひとりにしておくと、危なっかしくてしょうがないってこと」
「むぅ……お姉ちゃんにその言い様、弟のくせに生意気だぞ?」
レイシアが頬を膨らませ、拗ねたように馬を駆けさせた。山道を気持ちよさそうに駆けていくレイシアを見て、メリルが優しい目で微笑する。
「まったく、子どもみたいですわね」
「レイシアは、あれでいいんだよ」
これから先の戦いで、クレインがどれだけ汚れてしまっても、レイシアだけは汚れずにいてくれる。彼女を見ていると、不思議とそれを信じられた。
「おーい! 二人とも、こっちに来て」
先行するレイシアが馬を止め、大声を上げて手を振ってきた。樹々の下を抜けて開けた場所に出たらしく、日の光を一身に浴びている。あっさりと機嫌を直したレイシアに、クレインとメリルは顔を見合わせて噴き出してから、レイシアの傍まで馬を駆けさせた。
眩しい光に目を細めながら、樹々の下を抜けると――崖の向こうに、原野が広がっていた。
青々とした草原が、地平線まで続いている。その壮大な光景に、クレインは思わず見惚れていた。ただ見下ろしているだけで、心地よい風が吹き上げてくるような気さえしてくる。
「……これが、王国領か」
「クレイン様は、ずっとオービルでしたものね。どうです? 初めてご覧になった感想は」
「すごいな。こんなに途方もないほど、世界は広かったのか」
メリルがからかうように尋ねてくるが、クレインは目の前の光景に圧倒されたまま、うわごとのように答えていた。
早く、あの原野を駆けたい。自分の脚で、自分の意思で、思う様世界を駆け回りたい。溢れるほどの期待で胸が満たされ、クレインは思わず手綱を握る手に力を込めた。
澄んだ空を、鷹が切り裂くように飛んでいく。
自由に舞う鷹を追い越すように、クレインは原野に向けて馬を駆けさせた。
逆神王戦記 森野一葉 @bookmountain
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます