或るニュース
北見 柊吾
僕の自伝はこれで終わる
七月二十五日。土曜日。
僕は自分でこの命を絶つ。
僕の手記なるものはこれで終わっている。何も続きを書くつもりもない。終わった事でさえもある。尤も、手記自体が既に手元にないし余裕もないから書けるはずもないのだが。
何もない。平凡な中学生が、ただ自殺をするだけである。大して大きなニュースになることもなく、地方のお昼のニュースでちらっと報道されて終わる。はずだった。
何もかも、上手くいったはずだった。四階相当の高さから飛び降りてコンクリートに思いきり叩きつけられた。左足と体全体に強い衝撃と痛みが駆け巡った。誰かが飛び降りたと叫び、また誰かが救急車だ救急車を呼べと叫んだ。周りの音がやけに大きく聞こえた。あぁこんな感じなのか。これが死の瞬間が長く感じるというやつなのか。すぐに人だかりが出来て、皆が僕に携帯のカメラを向けた。シャッター音が鳴り響く。遠くでかすかに救急車のサイレンが聞こえた。僕はこみ上げてくる笑いを抑えられないままに目を閉じた。
そのまま目が覚めた先は、白蓮の楽園でも罪人で溢れる血の池でも無かった。病院特有のにおい。白い天井。吊るされた左足。近くの市民病院の一室だった。
目が覚めた僕に母親は怒鳴り声をあげた。
「あなた自分で何をしたのか分かってるの!なんで自殺なんかしたの!」
看護師達になだめられる母親を見ながら、僕はいい答えが思いつかなかった。
なんとなく、でしかない。別にイジメを受けていたわけでもないし、彼女にフラれたとかショッキングな事件があったわけでもない。ましてや親譲りの無鉄砲なせいで対抗心を憶えた訳でもなかった。確かに、なんで自殺したのかと言われれば、その質問は至極真っ当な質問であることだけはわかった。
一分程の重い沈黙のなかで僕が絞り出した答えは「飛んでみたいと思った」という子供じみた理由であった。
眉をひそめた大人達の気持ちはよく分かった。中学二年生にもなって空を飛びたいと思ったのか、と。
しかしながら、空中でそう感じたのは確かであった。飛んだ瞬間に身体が軽くなって、このまま飛んで行けるようにも思えた。その後に感じた感覚は僕の中で最高の快楽だった。
あぁ世界が回っていく。ゆっくりと僕の平行感覚は重力に逆らわぬ方向へと傾いていく。これだ。これなんだ。この時、僕ははっきりと分かった。あぁ僕はこの感覚が好きなんだ。これこそが快楽なんだ。この感覚をフリーフォール型のアトラクションなんかと同じにされても困る。そんな簡単なものではなかった。上手く言えないけれど、これに関しては決して譲れないものがあった。
実際の時間はほんの数秒だ。それでも何時間も掛けて、肩に背負っていたものが少しずつ落とされていくような、そんな感触さえも覚えた。別になんの思い出も蘇りはしなかった。多分走馬燈なんていうものは、人生の経験値が高くないと見ることができないものなのだろう。
実際のところ、この自分の発言を恥じた僕はその後なにも言う事はなかった。
全治3ヶ月。そう先程医師に宣告された左足をじっと見つめるほかなかった。
話は更に僕の手のひらから遠く旅立つ。自殺未遂をした直後、笑っていた事を野次馬から写真や動画とともにタレこまれたマスコミが食いつき、自殺を喜ぶ中学生として盛り立て各ニュースで専門家を呼んで現代の若者の精神状態などと特集を立てた。
僕の生活、周りの環境は一変した。たちまちテレビや雑誌の関係者が電話やSNSも含めて頻繁に現れた。病院や家に押し掛け質問を浴びせる報道陣に家族は疲弊し困憊した。すぐに家族はニュースで教育を知らない、教育が悪い現代的な親だと叩かれた。
毎日毎日病室で母親は僕を罵倒し続ける日々。まるでマスコミや世間に罵倒された分を掃き出している様だった。
二週間も経たないうちに母親は見るからに痩せ細った。父親は僕の自殺を会社が重く捉えて職を失い酒を浴びるように飲んでいた。妹は僕のせいでイジメを受け、数ヶ月後には精神病院に入院した。
今にして見上げてみれば、あの時の感覚は僕はおかしかったのだと思う。何故今ここにいるのかもわかる気がする。少し上の方での再会を羨ましく思う事もある。生とはやはり苦しみなのだ。いろんな事が他人事のように思えた。
怒号と悲痛の叫びが飛び交う中で赤黒い液体の中をゆっくりと泳ぎながら、僕は未だにあの時の事を考え直すことが多い。
あの時。
中学一年生の夏。
夜の病院で痩せ細り涙に濡れた華奢な手によって、僕はこの世から堕ちていった。
或るニュース 北見 柊吾 @dollar-cat
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