WEB小説では、現実を綴った精緻な作品には出会えないのかと思っていた。そもそも需要が違うのだから、そんな作品を求めることがお門違いなんだけれども、僕はなんとなくその希望をずっと捨てられずにいた。
ここにあったのだ。僕の求めていた物語だった。作中の言葉を使うなら、僕にとってこの作品はまさに「生きている本」だった。
閉鎖的で、虚無感が漂っていて、センチメンタルな若者の心情がありありと描かれていた。どこか生きづらくて、もどかしいような感覚。その感覚が生々しく作品から伝わってくる。
私小説ということもあってか、とてつもなくリアリティがあり、それがこの物語に重厚感を生んでいる。
主人公は試行錯誤を繰り返して、過去との決別をする。主人公はまさに、1歩を踏み出していた。そんな主人公の成長を、丁寧に描き切った本作を読めたことを誇りに思う。
たまたまかもしれないが、こういう作品をカクヨムで見かけることが少ない気がしたので、今回出会えたことは嬉しかった。
青臭いセンチメンタリズムの凝縮だが、私のような経歴の人間には刺さるしかなかった。
ところで、センチメントにも時代性がある。たとえばサルトルのそれと村上春樹のそれと椎名林檎のそれは、それぞれ異なっている。
そのセンチメントはしばしば失われたものへの郷愁や不能感と結びついており、その上で段階的な差異があり、その中では最近の鬱屈を表現しているように思われた。
内容はいまだ習作に留まっていると思うが、サルトル、三島由紀夫、村上春樹、椎名林檎というある種の退廃の経路を辿りながら、「三月の5日間」を書いた岡田利規の影に伴走している感じもあり、何かが終わったように見えて、これから始まるのだという予感を抱かせる内容だった。
クールではなくハイライトの湿気た匂いが漂う新宿のどん詰まった感じに浸り続けることができず、時の経過にやられていく様子の残酷な青臭さにはたまらないものがある。アイコスも、雨の日は不味いのだろうか。
(必読!カクヨムで見つけたおすすめ5作品/文=村上裕一)
頭が良ければ、村上春樹とか太宰あたりの類似性を指摘しつついい感じの論評を投下したりするのですが、やめときます。
おもしろかった。
憧れていた先輩の『緩やかな死』。
現実世界へ漕ぎ出すという『死』。
2010年代の小説は、どちらかといえば希望の物語が多いように感じます。それは、この世の中に絶望が満ち満ちていて、そこから逃れたいからではないかと思います。
現実という一番の絶望から、目を背けずに書いたか、逃げたくて書いたかはまあ置いといて、もはや死の中に埋もれた美を共有する二人は非常に尊いと思いました。
SFから冒険小説、青春ものに異世界転生まで書いて、ようやくこの世界にたどり着いた筆者だからこそ書ける「深い絶望と失望の世界」。
案外、世の中に求められているのは、そういうものなのかもしれません。