エピローグ

焼夷弾空襲後の儀式

 明くる十二月の二十五日。ジーザス・クライストが降誕したり、ニュートンが生まれたり、レヴィナスが亡くなったり、記憶に新しいのはジョージ・マイケルの命日だったりする、その日。その夕方、僕は翔子をアパートに招いた。しかし部屋には入れず、屋上に案内した。彼女にも儀式に参加して貰おうと思ったからだ。

 儀式。久高先輩曰く、それは葬儀であり捕食である。

 でも僕は、最近ではこれも生だとか愛だとかの一つのカタチであるような気もしていた。

 燃やすものは決まっていた。僕が書いた『ミサキ』の原稿。そして先輩が残した置き手紙。それから、ハイライト・メンソールの空き箱が二つだ。

 日の沈みかける屋上で、僕は置き手紙と空き箱の上に原稿を乗せ、その上からオイルをまいた。そしてマッチを一本擦って、火を落とした。一昨日の晩にもらった喫茶店のブックマッチだ。着火して、火が勢いを増していくと、そのブックマッチもみんな火にやった。

 まもなく完全に日が沈んで、あたりは真っ暗になった。明かりはそれこそ儀式の炎だけだ。真っ赤な炎。しかし、東京は青く冷え切っていた。

 勢いを増す炎は、アスファルトを焦がして、原稿のページを繰り、上昇気流が紙片をどこかに吹き飛ばしていった。僕は風に煽られていく紙片をただ目で追うばかりだった。翔子もまたそうだった。

「ごめんなさい」

 紙片を見送りながら、翔子がつぶやいた。

「なにが?」

「宮澤さんに黙って、久高さんと文通していたことです。やっぱり秘密にするべきじゃありませんでした。それに、無理やり会わせたりなんかも……」

「いや。謝ることじゃないよ。遅かれ早かれ、こうやって着地点を見つけるはずだったんだよ、僕らは。……いつまでもあんな関係じゃいけなかった」

 最期の音を見つけた池野のように。僕らもそれを見つけたのだ。遅かれ早かれ、こうなる運命だった。その音の正体は、僕にもまだよくわかってないけれど。

「でも、本当にいいんですか。それ、燃やしちゃっても……」

「さてね。でもまあ、あの人がそう望んだんだ。はやく燃やしてくれって。だから僕は燃やさなくちゃいけない。それに、そもそもこの儀式は久高先輩が始めたことだから。だから、あの人の言うことは正しいはずだよ」

 消えていく紙片。黒く焦げゆく文字列。引き裂かれる頁。空に吸い込まれていく黒……。

 僕の書きつづった小説には、何の価値があったのだろう。

 おそらく誰にも価値はなくて、僕と先輩にだけ意味があったのだ。その小説は、僕と先輩のあいだだけで生きていた。


『だから、そんなものが新人賞を取るはずがない。それはたしかに完成され尽くしたあなたの言葉だけど、でも私だけに向けられた文章だから。だから、不完全なのよ』


 先輩なら、きっとそう言うはずだ。だから、もう殺さなくちゃ。

 さようなら。でも、どうせまた出会うんだ。いまは見えなくても、いつかきっと。わかってる。いまは灰になって、目に見えないけれど。

 喉につっかかっていた何かが、コトンと音を立てて落ちた気がした。


                                   〈了〉

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ハイライトは蒼く燃やして 機乃遙 @jehuty1120

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