エピローグ
アルフレッドの灰に、踵を返したガウルを迎えたのは、顔を覗かせ始めた太陽だった。清輝に満ちた朝日が、体を洗う。しかし、この毒に染まった黒い毛皮の穢れまでは祓えない。
日光は吸血鬼に害を及ぼす。その基本的な事実を思い出したガウルは、痛みに軋む体に鞭打ち、足早にライアの許へ急いだ。
横たわるライアの傍に、人影が見えた。美咲だ。近くに白いライトバンが停まっている。彼女は黒狼と銀狼の戦場が移った直後から、ライアを介抱していたようだ。
彼女は一度、アルフレッドと再戦を果たす直前のライアに接触していた。人間には無毒であるとはいえ、死の霧は未知の害を及ぼす可能性はゼロでは無かった。一度、予想圏内のギリギリの外側まで退避し、こうして戻って来たのだ。
「……やれやれ、今日ほど、老いを感じた日はないよ」
近づくガウルの顔を見ぬままに、美咲は一人ごちた。その声には、抑えきれぬ自責の念に満ちている。
「何も出来ずに手をこまねくしかないとはね。また年寄りが生き残っちまったよ。綾成は、ほんとに馬鹿な奴だ」
その顔にも目にも、涙の気配はない。彼女はこうして、幾つもの訣別を経て来た。命ある限り、これからも自分より若い命が散る様を見る運命にあるのだ。
「ライアと……。綾也を運んでくれるかい? 年寄りには骨が折れる作業でね」
「……俺も重傷なんだがな」
ぼやきながら、ガウルは、綾也の遺体を用意されていた寝袋に入れていく。足下からファスナーをゆっくりと引き上げ、安らかな死に顔に一言別れを告げ、封印した。それをライトバンの荷台に丁重に運び込む。弛緩した身体は、腕に沈み込むかのように重く感じながら。窮屈な思いをさせるがしばしの間我慢してもらうしかない。
「ん…………」
続いてライアを抱え上げてところで、彼女の長い睫毛が震えた。吐息と共に、彼女は自分を抱き上げているのが、ガウルであることにすぐ気付いたようだった。
「……ガウルさん?」
「気が付いたか」
分厚い毛皮越しに、吸血鬼の仄かな体温を感じながら、ガウルは頷いた。
「アルフレッドは葬った」
「……そう、ですか」
張り詰めた緊張を解いて、ライアはガウルの逞しい腕に身を預けた。
本来、吸血鬼を焼く銀狼の肌も、ライアの毒に同調したガウルの黒毛は、彼女には無害な毛並みと化していた。
「……ガウルさん」
「何だ? どこか痛むか」
「……ゼレニアさんと、綾也さんのお話を聞かせて頂けませんか?」
突然のライアの請いに、ガウルは意表を突かれた。
綾也とガウルの血を吸ったライアは、彼が知る以上に、綾也とゼレニアの成り立ちを知っているはずだった。だが彼女は、それをガウルの口から教えて欲しいと言うのだ。
もはや、ガウルとライアは、一身同体であり、運命を一蓮托生にするしかない。ライアは、初めて他人を理解したいと歩み寄った。これから凄絶な苦難の道を共にする、黒狼の魂に。
「……俺も疲れているんだがな」
「ご、ごめんなさい」
苦々しく呟くガウルに、ライアは恐縮して謝った。しかし、その言葉に否定の色が篭もっていない事に気付き、生まれて初めて彼女は口元に薄い微笑を浮かべた。
ライアを抱えながら、ガウルはライトバンの後部座席に乗り込む。人間には十分な空間だったが、黒狼の巨体には狭すぎた。ガウルはライアを膝の上に乗せたまま、座り直す。
それに続き、美咲が運転席に乗り込み、エンジンに火を入れた。
「……美咲。どの話があの馬鹿を教えるのに最適だろうな?」
「そうだねぇ。ああ、ハワイの話なんてどうだい。あれは最高に傑作だったよ」
美咲の言葉を受けて、ガウルは回想に浸りながら、記憶の引き出しを開けていった。ゼレニアと綾成の馬鹿げた逸話なら幾らでもある。一夜かけても語り尽くせないだろう。
それが終れば、ライアの話を聞かねばなるまい。体内の器官を再構成する間に、ガウルもまたライアの記憶に触れていた。
培養浴槽に生まれ、そこで成長してきた無為な日々。新たな毒を流し込まれ、苦痛の中で必死に毒を結晶化させて生き延びた地獄の毎日。そこから捨てられたとはいえ、メティスとあった旅の日々を。
白いライトバンは、廃墟を抜け、朝日を浴び、無事に新たな一日を迎える夜明けの街へと走っていく。
その車内は、疲れきったガウルとライアに同時に意識を失うまで、時折、美咲の注釈を加えながら、昔話は静かに華やいだ。
********************
世界を穿つ銀の牙、残り十二本。
その牙を折るべく、ガウルとライアはまた、新たな戦の渦中に身を投じていく。
彼らの安息の日々は、まだ遠い。
VENOM BLOOD らりぃ@踊る詩人軍団 @hairain
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