6-5

 ライアが、魔女ユリスとの対話を終えた時点で、ガウルの身体に回った『聖女の慈悲』はほぼ末期の状態にあった。毒は血と肉の再生力を上回り、もはやガウルは地獄の苦しみの中、のたうち死ぬしかなかった。

 ガウルの容態の仔細を「幻視」で読み取ったライアは、自らの黒の暗泥をガウルに流し込み、その体内機構の変革を行った。

 ライアは日常的に、黒の暗泥を総動員して、体内の毒から身を守っている。それは、自らの体の細やかな状況を理解出来る「幻視」能力を持つ彼女にのみ出来る芸当だった。ライアはその機能を、ガウルの体内のゼレニアの心臓に託したのだ。

 ガウルの身体は毒への抵抗を止め、毒を受け入れた。おそらく、二度と『赤熱の灼泥』を放つことは出来ないだろう。それはガウルにとって、ゼレニアとの絆を一つ失わせる事になったが、ライアを恨めしく思う気持ちなど微塵も無い。

 覚醒する直前、失われていたはずの意識の中で彼は確かに聞いた。

 「さっさと起きろ!」 かつての大吸血鬼の罵倒を──。

「ぐぅぅぅぅぅ!?」

 全身を襲う激痛に、原初の銀狼アルフレッドが胴間声で唸る。

「ならば……! このてめェの毒は何だ!? 触れるだけで蝕む毒が、人狼共には効かなかったとでも言うのか!?」

「その通りだ、アルフレッド。今お前を苛む毒は、お前を殺すためだけにライアが生んだ毒だ」

「なにぃ……!? そんな都合の良い毒が、あってたまるか……!」

 だが、そうでなければ説明がつかないことを、アルフレッドはその身で思い知っている。

 銀狼を冒す毒であるはずなのに、ガウルは動きを鈍らせているとはいえ、その気迫はますます漲るばかりだ。

 比べて、銀狼の身体はもはやほとんどの自由を奪われいた。回避に専念するものの、黒狼の動きに体がついていかなかった。

 「それは、綾也の遺した牙だ。お前を殺すのは、あいつの執念だよ」

 ぽつりとガウルが呟く。

「綾也がお前の右目を抉った牙に、お前の血が残っていた。その血をライアが解析し、『聖女の慈悲』を再構築して組成したそうだ。どうやら、それを外に噴出するには自傷する必要があるようだが」

「その毒を……。てめェが飲み干したっていうのか……!? こんな馬鹿げた真似……あの小娘、本当に魔女の生まれ変わりだってのか……!」

「いいや」

 アルフレッドの妄執に染まる怨嗟を、ガウルは断固として否定する。

「ライアは、魔女を討つ、聖女の業を背負ったんだ」

 瞠目する原初の銀狼の首に、遂に黒狼の牙が喰らいついた。

「ガァァァアアアアアアアアア」

 アルフレッドの絶叫を耳元に、牙から致命の黒毒がその身体に流れ込んだ。命を噛み砕く確かな手ごたえを、ガウルは口腔に満たされた銀狼の血に見て取った──。


「やりやがったな……」

 地に仰向けに倒れ、指一本動かせぬほど毒に総身を蝕まれ、アルフレッドはぼやいた。

 ガウルは口に溜まった血を吐き捨て、その傍らに佇む。

 ──決着は付いた。だが、胸に勝利の高揚感は微塵も沸き立たなかった。

「いや、まさか。あの小娘に最後にしてやられるとはな……」

 自嘲も隠さずに、アルフレッドが笑う。

 ゼレニアがかつて見つけ出し、ライアが鍛え上げ、綾也が装飾を施した、毒の剣。その毒剣はガウルに託され、そして見事銀狼の首に突き立った。

「アルフレッド、答えて貰うぞ、後、銀狼は何体残っている? 誰が、ユリスの心臓を持っているんだ」

 投げられたガウルの問いに、アルフレッドは苦しげながらに、くっくっ、と邪悪な笑みを零した。

「……何だ、おかしいと思ったよ。やっぱりユリスか。あの小娘に銀狼構成式を渡しやがったのは。全くあの性悪魔女は性質が悪いぜ」

「……アルフレッド」

「そんなおぞましいなりになって、まだ戦うつもりか? いやいや、もうその道しか、てめェには残ってねぇか」

 ふぅっと、笑みを消し、アルフレッドは大きく息を吐いた。

「察しはついてるだろうが、ユリスの心臓は俺にはない。そして、誰が持っているかも俺は知らねぇよ、まぁ察しはつくがな。だが、教える気もねぇ。自分で探しやがれ」

 最初から回答を得られるとは思っていなかった。さして落胆もせずに、ガウルはアルフレッドの死相に目を落とす。

「──原初の銀狼の二六体のうち、一〇体は銀狼戦争で死んだ。それから、この五〇年で三体吸血鬼に見つけ出され討たれた。そして、今日、俺が死ぬ」

 アルフレッドが零した今際の言葉に、ガウルは目を瞠る。

「つまり、後、十二体……」

「良かったなぁ。後半分じゃねぇか」

 横たわる銀狼の姿が、見る間に形を喪っていく。

「だがいいのか? ユリスの心臓を葬ったら、世界中の人狼予備軍も死んじまうぞ? お前には自分の死を受け入れる覚悟があるんだろうが、他の大多数はどうかな? お前がやることは、果たして正しいと、言えるのかねぇ?」

 それは、真実を知った時から、ガウルの心に影を落とす事実だった。答えを見つけられぬままのガウルを、アルフレッドは鼻で嘲笑う。

「……地獄から見ているぞ、ガウル。お前が苦しむ姿を。毒の血に溺れる姿を。しばらくは、精々俺を愉しませてくれ──」

 怖気の走る狂気を迸らせながら、銀狼は双眸の黄金の輝きを、虚空に散らしていった──。

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