第2話 缶

 粉ミルクの缶を見ると胸がざわつく。


 そうなった原因もそれなりに覚えている。

 夢か幻かは定かではないが、そのシーンは写真のように、脳内に残っている。

 その、脳内に保存された画像に居るのは、祖父と、祖父を訪ねてきた老人だ。老人は手に蓋を開けた粉ミルクの缶を持っていて、その内部をこちらに向けながら笑っている。

 何故あんなものがあったのだろうか。あれは自分で作ったのだろうか。どうやってあれを捕まえたのだろうか。


 季節は確か冬だった。記憶の老人はOD色のフライトジャケットを着て、ニット帽を被っていたし、視界の隅には石油ストーブがあった気がする。

 場所は車庫だ。正確には、家を建て直す間、人が住めるように車庫を改造した、離れのような建物だ。

 そうなれば、年代も限られてくる。家を建て直していたのは小学一年生の頃。夏の終わりから翌年の秋にかけてだ。旧宅が取り壊される際、置き忘れたラジオ体操のカードが、ショベルカーと瓦礫によってぐちゃぐちゃになるのを見たので、夏休みは終わっていたはず。

 1994年の11月から、翌年の3月くらいまでに、そのシーンを見たのだろう。


 今思えば、離れで生活していた頃は色んなことがあった。一年と少しの間なのに、新居よりも多くの思い出があるような気がする。

 弟がきのこの山のビスケット部分だけを座布団の下に隠したこと。

 弟が何故か部屋中にコショウを散布したこと。

 庭に何かの糞があり、兼業で猟師もしていた祖父が獣の糞ではないと見破り、弟の野グソだと発覚したこと。

 全て、たった6畳のスペースに7人で暮らしていた頃に起きたことだ。


 僕が粉ミルク缶に対する恐怖を覚えたのもこの頃。


 あの日、その老人は何かを自慢しに祖父を訪ねてきて。

 祖父と二人、ストーブの前で酒を飲んでいて。

 僕は老人が持っている粉ミルクの缶が気になっていて。

 ずっと見ていた僕に、老人は缶の中身を見せてくれた。



 ぽっかりと開いた眼窩と、小さな頭蓋骨と、折りたたまれた手足と。


 猿の黒焼きというようなものが、そこにあった。

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イナカノ話 雲出鋼漢 @Aa12146a

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