第38話 QP

「指揮権の発動を解除」


 沈黙が続いていた知恵の神殿で、アルファ501が最初に声を発した。


「指揮権の発動の解除を確認。以後評議会のそれを除く指示命令は各神殿に決定権が戻される」


 クエピコが応えるのを待って、アルファ501は呆けたような顔をしている三人を見た。


「宇宙樹は消滅した。じきに評議会からのフジヤマ接近禁止令は解かれるだろう。誰がロボ之助さまを迎えに行く?」


「僕が行きます」


 イオタ666が即答した。


「ちょっとあんた何言ってんのよ、私が行きます」


 イプシロン7408が続いた。


「わかった。では二人に行ってもらう。手分けしてヘリの準備をしてくれ」


 アルファ501のその言葉に、イプシロン7408とイオタ666は競うように中央司令室から走り出て行った。


「構いませんね」


 アルファ501はジョセフ・カッパーバンドに念を押す。ジョセフは気まずそうに視線をそらした。


「あなたには個人的に聞きたいこともあるのですが、どうせ評議会が口を挟んでくるでしょう。またの機会にしておきます。それはそうと」


 アルファ501はフジヤマの頂上の様子を映すモニター画面を一度見やると、次に青く輝く小さなモニター画面に視線を移した。


「クエピコ、ひとつ聞いて良いか」


「質問に許可を得る必要はない」


 感情のない合成音声が応えた。


「では聞かせてくれ。私の記憶では、たしか古い神話に登場する智慧の神の名は『クエビコ』のはずだ。なのに何故君は『クエピコ』なのか」


 一瞬の間があった。


「質問の意図が不明である」


 アルファ501は重ねて問うた。


「いま疑問に思った。だからいま君に尋ねる。それは合理的な判断ではないだろうか」


「……回答する。私に名がつけられたのは、遠い昔のことだ。理由はもうデータベースにも残っているとは思えない」


「残っている蓋然性が低い?」


「そうだ」


「そうか、それならいい」


 アルファ501はそれ以上追求しなかった。


 確かにデータベースには名前の由来は残っていない。しかし、クエピコの中の深い深い場所にある記憶には、あのときの会話がまだ残っていた。




「QP、すまねえな。損な役回りばっかりさせちまってよ。おめえには悪いと思ってる。だがよ、最後にあと一つ、頼みを聞いちゃくれねえか。俺はもう死ぬ。だからハートシステムのこれからを、ロボ之助のこれからを、おめえが見守ってやっちゃくれねえだろうか。これは他の誰にも頼めねえ。おめえにしか頼めねえ事なんだよ。なあ、QP」


 炎が赤々と照らし出す、瓦礫に埋もれた血まみれの大邦博士に、ひざまずいたQPは静かに問いかけた。


「だったら博士、最後に聞いて良いですか」


「何だ、言ってみろ」


「私の名前、QPってどういう意味なんですか」


 博士はニッと歯を見せた。やっと聞きやがったな、この野郎。そんな笑顔だった。


「the quality of being probable 蓋然性ってやつだ。俺が一生かけて追い求めてきたものだよ」




 それから数日の後、評議会会議室で評議員の一人が報告を行った。


「宇宙樹の花のひとつが重力圏を抜けた。原理は不明だが太陽風を受けて加速している。この加速度を維持するなら三日と経たずに光速に達するだろう」


 他の評議員たちは口々に不安を述べた。


「また別の惑星を侵略するつもりなのでしょうか」

「態勢を整えていずれ戻ってくるつもりでは」


「不明だ。すべては不明だ」


 しかしそれらを笑い飛ばすかのように、明るい声が否定した。


「私はもうその心配はないのではと思います」


「何故そう思う、評議員九九号」


「宇宙樹は触れるべきものに触れ、知るべきことを知りましたから。きっとこれから彼女はまた新しい歌を歌うのでしょう」


 評議員九九号、ドリス・カッパーバンドは慈しむように自らのお腹をさすりながら、そう答えた。その肩に止まるブンチョウが、楽しげにさえずっている。




 見渡す限りの草の海。広がる草原の端に止めた車の後部座席から降りたロボ之助は、足下を滑らせて転んだ。


「ほら神さま、まだ病み上がりなのですから」


 イプシロン7408が慌てて駆け寄る。


「大丈夫だって。もう修理は終わったんだから」


 その伸ばされた手に捕まって立ちながら、ロボ之助は笑った。


「ですが神さま」


「もう、その神さまっていい加減やめてよ」


「そうは参りません。あの宇宙樹を倒したのですよ。HEARTシステムのことがなくったって、我々の神さまとして崇めさせていただきます」


「諦めた方が良いですよ。イプシロン7408はあれ以来、ロボ之助さまに心酔しているのですから。神さま扱いをやめる気など毛頭ないようです」


 アルファ501が苦笑する。


「笑うところではありません。私は本当に神さまを神さまだと思っているのです」


 ツンと上を向くイプシロン7408に、ロボ之助は困った顔をした。


「やだなあ、だから言ってるじゃないか、おいらは宇宙樹を倒してないんだって」


「ですが結果として」


 しかしイプシロン7408は引き下がらない。ロボ之助はやれやれといった風にため息をついた。


「仕方ないなあ。じゃあ内緒だよ。これは二人だけに教えるね」


「何です」


 アルファ501とイプシロン7408は顔を見合わせた。


「宇宙樹はね……まだ地球にいるんだよ」


 沈黙が流れた。風の音しか聞こえない。アルファ501もイプシロン7408も、どう反応して良いやらわからないという顔をしている。


「サクちゃんはこう言ったよね。『ここにはあたしの居場所はない』って。だから、居場所がないから、サクちゃんは旅に出たんだよ。種を残してね」


 そこでやっとアルファ501とイプシロン7408は、言葉の意味を理解した。二人の目が点になった。


「いや、その、ロボ之助さま、それはつまり」


「え……あの……神さま?」


「ああ、会えるのが楽しみだなあ。今度はどんな姿で生まれてくるんだろう」


 ロボ之助は空を見上げた。空はどこまでも青く高かった。



 それは優しい神さまの物語。鉄のハートと歌う世界の物語。


                ――完

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アイアンハート――宇宙樹と歌う世界 柚緒駆 @yuzuo

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