第37話 オメガの光

「見つけたぞ、歌う魔物」


「君は誰?」


 しかしそう問うロボ之助に、キルビナント・キルビナは目もくれなかった。


「ハルカヤ百三十億の民の恨み」


 奥歯をかみしめながらそうつぶやくと、ブラウンの革のコートを自らの体から引き剥がした。その下に、肌はなかった。装甲もない。ただむき出しの、グロテスクな機械がそこにあった。


「ここで晴らさせてもらう!」


 そう叫ぶキルビナント・キルビナの前に、ロボ之助が両手を広げて立ちはだかった。


「待って、お願い、話を聞いて」


 だがキルビナント・キルビナの青い瞳の視界には、もうロボ之助は入り込めない。


 キルビナント・キルビナの右脚が付け根から外れた。そして右腕と一体化する。左脚が付け根から外れ、これも左腕と一体化した。そして左右の腕と脚を体の正面で合わせると、先端に丸い大きな穴が開いた。キルビナント・キルビナの全身は宙に浮く砲塔と化したのだ。


 その砲の付け根、胴体のみぞおち辺りに 口が開いた感覚がある。たった一つの残弾、キルビナント・キルビナに与えられた、ただ一つの武器にして、歌う魔物を破滅させうる唯一の兵器、亜空縮滅弾が砲に装填された。


「この憎しみとともに消え去れ!」


 その衝撃は、キルビナント・キルビナの体を破壊した。首から下を粉砕した巨大なエネルギーの反動をもって、超小型の、針の先ほどのブラックホールが砲口から撃ち出される。それは音を立てて大気を飲み込みながら、高速で宙を進んだ。ロボ之助の右半身を一瞬でえぐり取ると、宇宙樹へと達する。花を、枝を飲み込み、幹を砕いてプラズマ化した。巨大化した宇宙樹の八割の質量が一瞬にして消え去った。


 しかし。


 宇宙樹は倒れなかった。残り二割の部分から新たに枝を伸ばし、逆にブラックホールを幾重にも包み込んでいった。ブラックホールとて、無限に質量を吸い込める訳ではない。飲み込む速度は徐々に低下し、やがて均衡した。そして。突如閃光を放ち、ブラックホールは爆轟とともに『蒸発』した。その衝撃波は、もし宇宙樹の抱擁がなければフジヤマの半分を吹き飛ばしていたことだろう。



 体が動かない。これはダメかもしれないなあ。少しずつ遠のいていく意識の中で、ロボ之助はしかし、落ち着いた心持ちだった。


 サクちゃんは助かったみたいだ。だったらいいや。サクちゃんはわかってくれた。もう心配ない……あれ、おいら何か忘れてないかな。何だっけ、大事なことだったはずなんだけど、何だっけ……あ、ドリちゃん。


 そのとき、ロボ之助の視界に光が灯った。




 あと少しだった。ほんの少し、誤差の程度、あの赤いロボット一体分の効力の持続があれば、魔物を倒せたかも知れないものを。口惜しい。無念だ。結局私は、与えられた任務を何一つまっとうできずに終わった。こんな辺境の星で、ただ無駄に時間を費やしただけだった。すべては無意味だったのだ。


 首だけになったキルビナント・キルビナが悔しさに歯がみをしたとき、その視界に光が灯った。




 それは柔らかい、けれど大きな、闇をあまねく照らす灯火。宇宙樹の根元に現れたその光は、ゆっくりとロボ之助に近づいてくる。


――ロボ之助さん


「あれ、君は……ドリちゃん?」


 光の中に浮かぶその顔は、確かにドリス・カッパーバンド。ドリスはロボ之助のえぐれた胴体に触れた。


――あなたのハートシステムに残った意識をいったん保存します


「……君はいったい」


――私の個体識別番号はオメガ99。現時点における技術的到達点の極致。ロボットにはこの体は人間の物としか認識できません


「ドリちゃんは、ロボットなの」


――さあ、どうでしょう。少なくとも現代の定義ではロボットとは呼べませんね。私にはHEARTシステムは搭載されていないもの。だってそれは通過点に過ぎないから。今のロボットたちは機械生命体を名乗ってはいるけれど、実際には精巧な工業製品でしかない。私はそれと生命とをつなぐ架け橋。成長し、増殖できる機械。この宇宙樹のように。そして彼のように


 ドリスの視線の先には、キルビナント・キルビナの頭部があった。


――あなたの情報を伝えなさい。私がのこしてあげる


「……本当なのか。それが可能なのか」


――あなたになら理解できるのでしょう


 一瞬の間があった。キルビナント・キルビナは一度目を閉じると、かっと見開いた。ドリスが少し仰け反ったように見えた。


「ハルカヤ百三十億の民の記憶、確かに伝えた」


 満足そうにそうつぶやくと、キルビナント・キルビナは再び目を閉じた。そしてその目が開くことは二度となかった。


「おいらも死ぬのかな」


 そう言うロボ之助の言葉には、しかし悲壮感はなかった。落ち着いた、穏やかな顔。


――残念ですが、あなたはまだ修理すれば直ります。そのために意識を保存しているのですから


 ドリスは苦笑しているかのように思えた。


「機械の子らよ」


 ブラックホールを包み込んだがために、『の』の字を書くかのような、あるいはヘ音記号の如き異形の姿になり果てた宇宙樹から声がした。


「別れの時が来た」


「サクちゃん……?」


 ロボ之助が弱々しく振り返る。もう宇宙樹に妖精の姿はなかった。ただ声がする。


「あたしはこの惑星にはもう要らない。ここにはあたしの居場所はない」


「そんな、違うよ、ダメだよサクちゃん」


「あたしは旅に出る」


 宇宙樹の向こう側から、光が差してきた。それはオメガの光よりも強い光。世界の闇を振り払う、夜明けの太陽の光。


 世界が鳴動する。森の木々が、街路樹が、植木が、山が、川が、海が、口々に歌い始めた。あの日のように。


 世界の果て ただ眠り一人

 宇宙の果て 目覚めても一人

 一人立つ草原 風に髪を揺らして

 一人歌う歌 明ける空を染め行く

 だから

 荒野駆ける馬 空渡る鳥の群れ

 海埋める魚の影 夜称える虫の

 愛に満ち 朝な夕な 私を抱きしめる

 夢に満ち 朝な夕な 心照らすこの惑星ほし

 そして一人 私は一人

 天に向かい 微笑みを残す

 いま一人 私は一人

 光を超え 果てなく旅する


 宇宙樹の天頂に咲く花が一つ、枝から切り離された。そして静かに浮かび上がり、音もなく空に昇って行く。


「忘れない。この思い、きっと忘れない。ありがとう」


 宇宙樹の幹に枝に亀裂が走る。残ったすべての花が一斉に散ると同時に宇宙樹は砕け散った。小枝の一本も残さずに。


 人類を滅亡の寸前にまで追いやり、新創世を招いた宇宙樹は、いまその寿命を終えた。フジヤマの頂上に円形の穴と螺旋状の溝を残して。

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