第2話 マヨヒガ

 とある奥深い山々。黄金色に輝かんばかりの銀杏いちょう、燃えさかる火の如く赤く染まったかえでけやき、鮮やかな紅色のまゆみ、そして常緑樹の織りなすその光景を目にした者は、どんな画匠の手にも描き切れぬ複雑精妙な美しさと迫るような息吹にしばし言葉を失うのが常であった。


 その山間を縦一列に進む四人の男達の姿があった。先頭はまだ十五、六くらいの少年である。いかにも農村出身のような垢抜けない風貌といでたちだが、四尺ほどの短槍を手にしている。

 後続は甲冑に身を包んだ侍たちであった。既に戦を終えた後らしい。手足に負った傷口を布で縛り、痛みを堪えながら歩みを進めている。敵兵を警戒しているのか、皆一様に無口であった。


 ふいに、先頭の少年が立ち止まった。何事かと顔を上げた侍達の目の前に、忽然と一軒の屋敷が姿を現していた。屋敷を囲む漆喰の塀は高さ八尺ほどもあり、その向こう側に屋敷の屋根が確認できる。そして、正面の門扉は固く閉ざされていた。


 後ろを歩いていた一人が少年に声を掛けた。

「おい、源作。何だこの屋敷は」

「へい、申し訳ねえですが……おらも初めて目にしますもんで……」

「ここらは庭のようなものだと申しておったではないか」

「へい……左様でごぜえます。しかし、こんな屋敷ちょっと前には……」


 源作と呼ばれた少年が首を傾げるのを見て、侍たちは思案顔になった。ここが敵の拠点という事はあるまいが、もし多数の敵が潜んでいたらあっという間に屍を晒すことになる。しかしそうでないのなら、ここで一晩過ごすのに躊躇う事などない。敵は無論のこと、熊や狼がいる山で野宿は避けるにこしたことは無い。手傷を負っていれば尚更だ。


 万一敵兵に囲まれるという事があるかも知れないが、ここは御領内でしかも今度のは勝ち戦だ。本隊からはぐれたとは言え、仲間もうろつくこの山で多数の敵に囲まれる可能性は低い。いざと言う時はここで籠城を決め込めばよいのだ。


 侍の一人、早良万太郎が屋敷の周囲を忍び足で巡り始めた。やがて一周して戻ってきた早良が皆に報告する。

「物音も人の話し声も聞こえませぬ。気によじ登って眺めれば何か見えるやも知れませぬが……」

 促された源作が近くの高木によじ登った。やがてするすると降りて来て不思議そうに言う。

「誰もいねえようです…ただ……」

「何だ」

「蝶が飛んでおりやした」

 ハッ、と侍の一人が馬鹿にしたように声を上げた。

「蝶だと? それがどうしたというのだ」

「へい……このような季節に蝶など、聞いたこともございません。それが薄気味悪くて……」

「蝶が怖くて戦が出来るか」

 別の一人が鼻で笑って源作の言葉を一蹴した。

「もうよい」

もう一人の侍、秋月左門が門の前で大声を上げる。


「頼もう!!」


 そう声を上げた途端、秋月が名乗りを上げるよりも先に、ゴゴゴゴと重い響きを立てながら扉が開いていった。皆固まったようにじっとして、扉の奥にいるはずの人物を確かめようと前方を凝視した。しかし、開ききった扉の向こうには屋敷の玄関口が見えるばかりである。


 扉を開けた筈の人物はどこへ消えたのか。そんな疑問を皆抱きつつ、彼らは吸い寄せられるように扉に近づいて行く。門を潜った時、越えてはならない領域に足を踏み入れたのだという直感が彼らを襲ったが、それを口にする者はいなかった。


 邸内は耳鳴りがしそうな程に静まり返っている。目の前には書院造風の武家屋敷。その玄関口まで四人は恐る恐る進んだ。玄関の板戸は開かれたままになっている。内部を覗くと、薄暗い廊下が続いていた。


「誰か!! 誰かいないか!!」

 秋月が再び声を上げるが、返事は無かった。だが、先ほどから男達は奥から炊きものや肴の香りが漂っていることに気が付いていた。


「飯の匂いがする。誰もおらぬなどありえぬ」

「かくなる上は踏み込んでみるか」


 年長の武士、川間兵吾に促され、源作が屋敷内の様子を探ることになった。源作は恐る恐る廊下を進んでいく。目の前は薄暗く、一歩足を進めるごとに奥で息を潜めている何かに近づいて行くような気がして仕方なかった。


 そして、廊下を進んだ左手の襖の隙間から明かりが漏れていることに気が付いた。食べ物の匂いもここから漂ってくるようだ。奇妙なことに、他に誰の声も気配もない。試しにもし、と声を掛けてみたが返答はない。そこで源作は意を決して襖に手をかけ、つつ、と開いてみた。


 襖の向こうには座敷が広がっている。座敷は十畳の広さがあり、縁側の向こうに庭を眺めることが出来た。その部屋の中央には、四人分の食事が用意されていた。四つの膳には肴と酒、大盛の白米が白い湯気を立てている。

 

 源作の報告を聞いた侍たちは、我先にと屋敷に入りこんでいった。その背後で、屋敷の門がいつの間にかに閉ざされていたことに何故か誰も注意を向けなかった。




 座敷に集まった男達は空腹も手伝ってか、早速その膳に手を付けた。源作も末席に座り箸をつけたが、その料理の美味さに思わず感嘆の声をあげて夢中でかき込んだ。酒が廻りはじめ、誰ともなく饒舌になり、がやがやと談笑しあう男達。この頃には皆、主人不在の館に無断で侵入しているという意識はすっかり薄れ、誰が出てこようと適当に説明をつけておけばよい、くらいにしか思っていなかった。


 そこで早良万太郎が立ち上がった。厠へ参る、と言い残して部屋を後にし、暗い廊下を進んで裏手に回る。厠の位置など元より知りはしないが、大体の当たりを付けてふらふらと移動した。




§ 早良万太郎 §


 早良万太郎は、館の裏手に厠を見つけ、用を足してから来た道を戻る途中。障子戸で仕切られた部屋の前を通った時、そこから小さな明かりが漏れていることに気が付いた。障子に大きな人影が写っているのを見て、ぎょっとして立ち止まる。やはり屋敷の者がおったか。あるいは妖の類か……。


 腰の刀をいつでも抜けるように身構えつつ、腰を落として障子越しに声を掛ける。

「誰か」

 返事は無い。

「拙者、武蔵守細川公が配下、早良万太郎と申す。此度の戦で本隊よりはぐれてしまい申した。本陣へ戻る道すがら一宿一飯の儀にあずかりたいとこの屋敷にまかりこした次第……」


「左様か。なれば、思うように致すが良い」


 返答に思わず固唾を呑む。なに、年端のいかぬ小娘の声だ。臆したことが恥ずかしくなり、彼は障子の手を掛けて一息に開いた。六畳の小部屋に、赤い振袖の少女が行儀よく座っていた。視線は指先にとまった白い蝶に向けられている。まさか、さっきはその蝶に話しかけたのではあるまいな…………。


 万太郎は何かに引っかかっていた。目の前の少女は何かが普通とは違う。すぐに違和感の正体に気が付いた。少女の振袖には霞に桜や楓が贅沢に刺繍されているのだが、それらの花弁や紅葉が布地の中でひらひらと舞い、乱れ散っているのである。目の錯覚などではない。


「け……化生の者か!!」


 慄きを隠すこともできず、刀を抜き放つ。少女は万太郎をちらりと見て、すっと立ち上がった。全く恐れもなく真っ直ぐに彼を見上げるこの小娘に、彼の方が怖気付いていた。


「おのれ……化け物!!」


 その怯えを押し隠すように、怒声を浴びせて少女に刀を振り下ろす。途端、行灯の明かりも消え、周囲が闇に戻った。目の前の少女は影も形も消え去り、振り下ろした刀には何の手応えも無い。その刀がかたかたと音を立てて小刻みに震えている。


(幾度もの合戦で名を上げた筈の自分が、何故かように怯えているのだ……)


 暫く呆然と佇んでいた万太郎は我に返ると、急ぎ仲間にこのことを伝えようと廊下を走った。元いた部屋に辿り着き、襖をからっと開く。そこには──。


§


 そこには、亡き妻、芳野の姿があった。彼女は布団の中で身を起こしていた。


「芳野……芳野!!」


 声を掛けたが、芳野は反応しない。こちらの声は聞こえていないようだ。一体何が起こったのだ。自分は山中の屋敷にいた筈だ。何故我が屋敷に居る? しかも亡き妻が存命中の頃に……?


 その部屋に別の女が入ってきた。芳野の妹、美野だ。美野が芳野の側に薬と湯呑を載せた盆を置き、二人で何か笑いあっている。美野は体の弱い芳野の世話をよく焼いていた。夫である自分が戦で家を空ける度に面倒を見ていてくれていたのだ。この光景はその当時のものだろう。その美野も既にこの世にはいない。何者かに斬殺されたのだ。


 美野は芳野に紙に包んだ薬を手渡している。それを口に運び、湯呑で飲み干した芳野が途端に苦し気に呻き始めた。


「さようなら、姉上」


 ほくそ笑む美野を見て、全て悟った芳野が怨みがましい目で睨みつけ美濃に取り縋ろうとするが、美野はすっと後ろに下がる。やがて息絶えた芳野をそのままに、美野は姿を消した。


 この後の事は知っている。医者を呼びに行ったのだ。医者の話だと、薬がもはや効かぬほどに病が進んでいたということだった。だが今見たことを合わせて思うに、医者もぐるだったのだ。その後の美野は芳野の後を継ぐように我が妻となった。その甲斐甲斐しいまでの世話焼きぶりには周囲も妬く程であったのに、その実、こんなことが……。


 美野が縫物をしている。万太郎の着物を仕立てているようだ。

「美野」

 万太郎の声にびくりとして振り返る美野。

「旦那様……お早いお戻りで……」


 突然現れた万太郎に驚いたのだろう。あるいは彼の殺気に気が付いたのかも知れない。硬直し、目を丸くしたままそれ以上言葉を続けられずにいる。


 万太郎は刀を抜き、そしてゆっくり振りかざした。芳野の面影のあるその女に──。


 ふらふらと家を出た万太郎は、山道を歩いていた。いつしか峠にさしかかる。月の光に照らされた両手は、べっとりと赤黒いもので汚れていた。そして生暖かい血に濡れる刀を首にあてがい、喉元を掻き切った。その亡骸に、白い蝶がひらひらと舞い降りた。


§ 秋月左門 §


「早良殿、遅うござりますな」

「うむ……秋月、見て参れ」

「はっ」


 川間に勢いよく返事をした左門は、部屋を出て廊下をずんずんと歩いて行った。酒のせいもあってか、気持ちが大きくなっていた。なに、どうせ酔いつぶれてどこぞの部屋で眠りこけているに違いない。からっ、からっと次々に襖を開いて中を確かめる。


 一体そうして何部屋見て回っただろう。酔いの廻った頭でも、流石にこれだけ部屋数があるのはおかしいと気が付いた時──。


 目の前の部屋に、亡き友、岩蔵源之丞の姿を認めた。奴との付き合いは幼き頃にまで遡る。童の頃から、奴は仲間内で既に統率者としての資質を発揮していた。秋月は常に岩蔵の二番手に甘んじていたのだ。そして彼奴は、秋月が密かに思い続けていた由良をも娶ってしまった。


 由良は美しい女だった。侍大将の娘に相応しい女だった。その佇まいは凛として、雪の如き白い肌、濡れ烏の如き黒髪、その舞いは鶴の如く……。その由良も、いつしかめきめきと頭角を現していく岩間に惚れこむようになっていった。それは傍目にも分かる程に……。 


「俺は…俺は悪くない。お前が……全てを俺から奪っていったのだ!!」


 兜の下から覗く髑髏が、辛うじて残った皮膚を貼りつかせてカタカタと笑った。


 秋月は先だっての戦で岩蔵を殺し、巧妙に誤魔化したのだ。逃げ落ちた敵を追い掛ける最中、丁度誰の目にも入らぬ林の中で小太刀を抜き、脇腹に突き立てた。岩蔵は驚愕に目を見開いて俺を見つめたまま崖から転がり落ちていった。秋月は岩蔵が敵と斬り合いの末、殺されたことにした。


「死人は大人しくあの世で眠っておれ!!」


 刀を振りかざした秋月に、髑髏武者が刃向かってきた。


 負けてなるものか。死んでなるものか。由良は俺が貰ってやる。俺は若侍の中でも二番手に強かった。功績もあった。


「岩蔵、貴様などに由良は渡さん!! また俺に殺されろおお!!」

大音声で呼ばわった刹那、秋月は山にいた。岩蔵を突き殺したあの場所だ。


「今のお言葉……どういう意味でしょうか?」

背後から声がした。声の主は……振り向かなくても分かる。由良だ。


「やはり、あなたが殺したのですね。我が夫を……」


 ゆっくりと振り返る。そこには冷たい目で秋月を見つめる由良と、護衛の武士が数人……。


 大方、由良は岩蔵が死んだ場所を見ておこうと訪れたのだろう。


「秋月殿、神妙になされよ。申し開きは軍目付・大飯様に。今は大人しく縄につかれよ」


 取り巻きの侍が慎重に秋月に近づく。それを見て、秋月の顔が形容しがたい表情に歪んだ。

「く……ふふふ……」


 引きつった笑いが漏れる。秋月はもう一度由良の顔を見た。どこまでも厳しい目で彼を睨む美しい顔を目に焼き付ける。由良は岩蔵に向けたような優しい表情を秋月には向けない。秋月自身、分かっていたのだ。岩蔵の代わりになどなれはしないことなど……。


「もはやこれまで……さらばだ」


 秋月左門は太刀を自分の脇腹に突き刺し、真っ逆さまに崖を転がり落ちた。




§ 川間兵吾 §


「うむ、わしも厠に行きたくなった。丁度良い。様子を見てくる」

すっかり酒が廻った川間兵吾も立ち上がった。


 厠で用を足した川間がご機嫌で戻ろうとした時、庭に何かの気配を感じて廊下で立ち止まった。庭の隅に何かがいる。


 既に陽は沈んでおり、誰が点けたか石燈籠の明かりで辺りが柔らかく照らされている。そこに、赤い振袖の少女が佇んでいた。まだ十を少しこえたくらいだろう。肩のあたりで短く切り揃えた髪、白くて丸みを帯びた顔。そして身に纏った赤い振袖──。


 そこで、着物の柄に違和感を覚え我知らず凝視する。着物に縫い込まれた花弁が、楓の葉が、なんと風に吹かれているかのように布地の中で舞い散っている。そして、彼女のぐるりにはひらひら飛ぶ蝶の群れ──青や赤、黄色、白など様々な色の燐光を放ち、まるで親を慕う幼子のように少女を取り囲んでいる。


「おのれ……化生の者か……!!」


 川間は刀を抜き放ち、少女に走り寄るが早いか切りつけた。


§


 気が付くと、どこぞの民家の納屋の中にいた。目の前で美しい女が震えている。


(一体どうしたことだ。先程まで儂は山の中の屋敷にいた筈だが…否、『ここ』こそが現世。儂は束の間夢を見ていたに相違ない……)


 川間はにやり、とほくそ笑んだ。若い女を力づくで犯し、殺すのが長らく戦場の楽しみになっている。今もまた逃げようとする女を殴り、無理やり押し倒して更に殴りつけ、抵抗する気力を奪い、女の体をまさぐり始める。


「川間殿」

 

 後ろから突然自分を呼ぶ声がした。振り向いたそこにいるのは佐久間徳重──軍目付直属の侍である。兵の軍規違反に目を光らせる役職だ。


「しかと目にしましたぞ。敵領内とは言え、民への狼藉はご法度にござる」

「誤解じゃ、佐久間殿」

「言い逃れは見苦しゅうござりますぞ。既に軍目付も御承知。いざ腹を斬られるならば、拙者が介錯致そう」


 そんなやりとりしている間に、女は隙を見て逃げ出してしまった。


(仕方がない。この際、この佐久間を斬り伏せて敵の仕業に仕立て上げるしかあるまい)


「何をたわけたことを……この槍大将川間兵吾、そのような事で死んでたまるか」

「言うたな。上意に御座ればいざご覚悟を…御免!!」


 言うが早いか、佐久間は刀を抜き放ち、一気に駆け寄ってきた。咄嗟に槍を付き入れたが、佐久間は難なくそれを擦り上げて間を詰めてくる。

 槍は近すぎる間合いでは却って使えない。咄嗟に槍を捨て刀を抜く。ガキン、と刃がぶつかり合う。刀を交差させつつ、用心しながら互いに少しずつ下がる。と、川間は得意とする太刀の巻き落としを試みた。大抵の者はこれで刀を取り落とし、拾う間もなく川間に斬られるのだ。


 しかし佐久間の方が一枚上手であった。川間とは逆向きに刃を回転させて佐久間の刀を打ち落とし、すかさず身体を左右反転させて間合いを詰め川間の喉元を斬り上げる。吹き上げる血飛沫を呆然と眺めながら、川間はばたんと前のめりに倒れた。


§

 

 気が付くと、川間は首を絞められていた。目の前には自分がいた。必死に抵抗をするが、どう抗っても目の前の自分は鋼のようにぎりぎりと首を閉め上げてくる。そうしている内に、意識は遠くなり、やがてふつりと糸が切れたように視界も闇に閉ざされた。


 気が付くと、再び首を絞められていた。目の前には、やはり自分がいた。必死に抵抗し、助けを呼ぼうとするが声は全く出なかった。抵抗している自分の腕が、白く頼りないほどに細いことに気が付いた。着物の袖も女ものだ。やがて前回と同じように、苦しみの中で意識が途絶えた。


 気が付くと、また首を絞められていた。目の前にはやはり自分がいた。自分に犯されながら、首を絞められている。目の前の自分は脂汗を垂らし、目をぎらつかせながら腰を力強く打ち付けていた。


「う……が……」


 抵抗虚しく、股間からせり上がる激痛と共に意識は闇に消える。


 気が付くと…………。


「おおおおおおお!!!!」


 口から呻き声が漏れる。目の前にいる自分はそれが気に入らなかったらしい。右手で力任せに頬を殴りつけ、


「大人しゅうせんか!!」


と怒鳴りつけて腰を打ち付け始めた。


 なんだこれは……いつまで続くのだ……そうか、思い出したぞ。丁度この時、配下の者もいて……。


「おい、済んだぞ。お前もやれ」

「へい……」


 まだ元服をおえたばかりの若い侍が圧し掛かり、腰を打ち付け始めた。


「や、やめ……」

「この女、まだ口がきけるらしいですぜ……」


 若い侍が嗤いながら自分を…否、この女体を貪っている。記憶通りとすれば、この後……。


「おい、終わったら始末しろ。軍目付にたれこまれたら面倒だ」

「へい」


 若侍は頷くと精を思い切り流し込み立ち上がった。


「悪く思うなよ」


 言うが早いか、白刃を胸元に突き立てた。激痛の中で意識が飛んだ。


 気が付くと…………。


 一体何度繰り返したろうか。殺してきた女の分、繰り返しその最後を追体験させられる。川間はその度に逃げようとし、殴られ、犯され、殺された。何度も、何度も繰り返し……。


 やがて何をしても過去を変えることができないと悟った川間は、考えることを止めた。


§ 源作 §


 源作は動けずにいた。皆戻って来ない。やはりここは妖の棲む屋敷なのかも知れぬ。そっと廊下を窺う。物音一つしない。玄関に向かって歩みを進める。ここはやはり逃げ出すに限る。そう思って玄関まで暗い廊下を走り、板戸を抜けて屋敷の門まで辿り着く。


 しかし目の前の扉はしっかりと閉ざされてびくともしない。人一人の力では、到底開きそうになかった。


§

  

 気が付くと、源作は震える子供の前にいた。まだ元服前の、十にもならぬ子供だ。すぐ後ろから声が飛ぶ。


「上意である。源作、斬れ!!」


 命に従い、刀を振りかざす。少年は健気にも怯えを隠し、名家の矜持を示さんと泣き叫ぶのを堪えている。


(一体いつこんなことになった? おらはさっきまで山の中の屋敷に居て……それに、おらは合戦になど出たことはねえ筈だ……おらは誰を斬ったこともねえ。小作人の両親の制止を振り切って、村を訪れた侍達と村を出て来たばかりだ。まだ足軽という身分でも、出世すれば偉くなれると聞いて……)


 だが出世とは何だ。手柄とはなんだ。その実態はこんな子供を斬ることだったのか。戦国の世とはいえなんと無慈悲な。おらはこんな身分に憧れていたのか。なんて恐ろしい……。


「おい、何をしている!!」


 後ろから怒号が響く。


「おらは……おらには出来ねえ!!」

「何だと!!貴様、主命に逆らうか!!」

「出来ねえことは出来ねえ!!おらは侍を辞める!!」

「この小心者が!!」


 名も知らぬ侍に思い切りぶん殴られ、体が横方向に吹っ飛んでいく。

「追って沙汰を下す!! 重罪は免れぬと知れ!! うつけ者!!」

成り行きを見守っていた少年が驚いたような目で自分を見ていた。


 その少年の首がごろんと転がってきた時、彼が自分に微笑んで見せたような気がした。


「お主は戻るが良い」


 生首がそう告げた途端、視界がぐにゃりと歪んだ。




§ 屋敷の少女 §


 赤い振袖の少女は屋敷の庭に佇み、空を見上げていた。その周りを蝶がひらひらと舞っている。


「そうか…お主らは……もう行くのか? さすればしばしの間、お別れじゃな」


 少女の言葉を理解したのか、何頭かの蝶が少女の掌で二、三度羽ばたき、虚空へ舞い上がって山に消えていった。その様子を見守っていた少女は、何かに気が付いたように別の方角に視線を向けた。




§ 源蔵 §


 老体に鞭打って、源蔵は山道を歩いていた。息子の源作は侍になるなどと大見えを切って家を、村を出て行った。


 しかし自分には分かる。あの子には侍など務まらん。鳶の子は鳶らしく、農民の子は農民として生きるのが何より無難なのだ。侍として生きるなど恐ろしいことだ。それが分かっておらぬからあの子は……あの侍達の口車に乗せられて付いて行ってしまった。


 なぜもっと強く引き止めなかったのか。妻にも責められ、倅を追って山に入った。このままではたった一人の倅が戦場で命を落としてしまうだろう。


「もう好きなようにせい!!」


 言っても聞かぬ我が子につい激怒して言い放った言葉を思い出し、今更のように悔恨の念に苛まれる。


 あの小倅には人を殺すということが出来るとは思えねえ。それが出来たとして、平気でいられるほど肝が据わってるとも思えねえ。侍の世界はいい事ばかりじゃねえ。儂ら農民にとってはずんと恐ろしい事もせねばならねえはずだ。


 山道を提灯の明かりを頼りに進む。一体あの馬鹿はどこに行ってしまったのだろう。今夜中に見つけられなんだら、山小屋まで行くしかねえ。あそこは樵が棲んでいるが、村の者とは懇意にしてるからきっと泊めてくれる。それにしても、獣のいる気配すらねえ。こんな張りつめた空気は久しぶりだ。何か良くねえことがあったかも知れねえ……。


 

 源蔵の胸の内には、不安ばかりが渦巻いている。そんな視界の隅に、何か光るものを目にした気がした。目を凝らすと、人影のようだ。知らずそこに足を向ける。人影はちらりと見えたかと思うとすぐにいなくなる。それを何度も繰り返し、いつの間にか山深く足を踏み込んでいると気が付いた時には、どこをどう歩いたかも覚えていなかった。


「どうすべ……」


 困惑している源蔵の前を、一人の少女が歩いて行く。さっきから追い掛けているのがその少女だと、直感で悟る。こんな山奥であんな綺麗なべべを着てほっつき歩くおなごなぞ、きっと人じゃねえ……。


 頭では理解しているのに、何故か少女を追わねばならない気がした。そして再び追い掛けて暫く、杉の大木の前で少女と対面した時、源蔵の目が驚愕に見開かれる。


「おまん…おまん……」


 涙がぽろぽろと零れるのをとめることが出来なかった。


「ちい姉でねえか……」


 源蔵は少女の前に両膝を付き、少女を見上げた。間違いねえ。これだけ時間が経っても忘れはしねえ。


 ちい姉……千歳姉が不幸に巻き込まれる全ての原因は、この自分が作ったのだ。あの古い神社で、目隠し鬼で捕まってくれたちい姉。あの時のことがきっかけで、ちい姉は……。


「済まねえ、済まねえ…ちい姉…おら……おらずっと謝りたくてよぉ……」


 涙声の源蔵の頭に、そっと小さな手が置かれる感触がした。


「泣くでねえ、源蔵…こんな大きゅうなって……」


 嗚咽を漏らす源蔵の頭を撫でながら、ちい姉は続ける。


「おまんのせいじゃねえ…これも巡り合わせじゃけぇ…ほら、倅を連れて帰らな……」


 倅? はっとして顔をあげた先には既にちい姉の姿はなく、代わりに杉の根元で眠りこける源作の姿があった。


 源蔵は源作に走り寄り、その体を揺さぶる。

「源作!! 起きんか、源作!!」

「ん…あれ? 親父……?」

「こん……馬鹿息子が!!」


 涙を流しながらも、げんこつを下ろす。源作はいてっ、と声を上げたが、源蔵の帰るぞという言葉に何故か素直に従った。


 源作は父親の後を追いながら山を見上げる。いつもの、見慣れた筈の山々。しかし今夜は、違う世界と繋がっている様な、不思議な空気に満ちている。


「源作、急がんか」

源蔵に促され、源作は再び山道を降り始めた。




§ 千歳 §


 人一人いなくなった屋敷。数多の蝶が舞う庭で、少女は夜空を眺めていた。一頭の蝶が少女の指先に停まり、羽を休めた。


「お主も行くのか…縁があればまた会おうぞ……」


 蝶は挨拶をするように二、三度羽ばたくと、闇夜に舞いながら遠ざかってゆく。少女はその様子をただ見守るのだった。

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眞紅鬼談《しんこうきだん》 Gorgom13 @gorgom13

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