眞紅鬼談《しんこうきだん》

Gorgom13

第1話 千歳

 今は昔。山奥から流れる川が蛇行しながら棚田や平地に広がる田畑を潤す、そんなとある山郷でのことである。


 ある小作人夫婦の間に、一人の娘が生まれた。両親は娘に千歳と名付け、大切に育てた。千歳は幼いころから無口で、年を重ねても碌に言葉を話さなかったが、それでも人の話す事は理解はしているらしい。両親の言いつけは良く守っていたし、村の子らとも仲が良かった。


§


 ある日、千歳は村の子達と山の中腹にある小さな神社に向かった。その神社はとうに打ち捨てられていて、誰がいつ建てたのかも、御祭神すらも知る者はなかった。


 苔生した鳥居の他には、壁板の所々に隙間が空いた小さな祠くらいしかなかった。申し訳程度の境内も苔や草で覆われていて、子供の遊び場としては望ましいものではなかった。しかし遊ぶ場所も少ない村のことである。大人の目を盗み、村の有力者の子供が先導すると、皆我も我もと付き従った。


 子供たちは走り辛い境内の中で、目隠し鬼をして遊び始めた。鬼になったのはまだ年も幼い童だった。

「鬼さん、こちら」

子供達は盛んに声を上げ、手を鳴らしては際どい所で追跡を躱す。

幼さもあって他の子を掴まえることが出来ない様を千歳は見かねたらしい。彼女は少年のすぐ前で手を叩き、わざと捕まって鬼になった。


 千歳は目隠しをしたまま、手を叩く音を頼りに歩みを進めた。しかし、一緒に遊んでいた子らは首を傾げた。彼女は明らかに誰も居ない方向に向かって歩いている。その先には朽ちかけた祠があった。


「ちーちゃん、そこ危ないよ」

一緒に遊んでいた子供達が声を上げて止めようとしたが、彼女は歩みを止めなかった。そして何かに躓き、頭から倒れてしまった。


 その時、”ゴッ”という嫌な音が響いた。子供たちは真っ青になり、一斉に娘の元に駆け寄った。千歳は地面から突き出た岩に頭をぶつけたらしく、気を失っていた。


 少年らは頭から血を流す千歳を見て青ざめ、慌てて彼女を抱えて村に戻り、薬師の元に運んだ。薬師は難しい顔をして彼女の様態を調べていたが、傷口を洗って塗り薬を塗り、薬草を煎じて千歳に飲ませ寝かしつけた。


 翌朝、千歳は何事もなかったように目を覚ました。だが村の者達には、娘の様子がその後少し変わったように見えた。無口なのは相変わらずだが、村の子らとは交わらず、どこか遠くを見ていることが多くなった。

娘が物ノ怪に憑かれていると噂が立ち始めたのは、その頃からだった。


 例えばある時、千歳に襲い掛かった山犬が彼女に指をさされた途端、ふらふらと自ら川に入って行き、そのまま溺れ死んだ。またある時は病に伏している老人の家を指したその日に、老人は亡くなってしまった。狂い咲きの桜の幹に、千歳が手を触れた途端花が全て散ってしまったこともあった。また近所の子が沢に遊びに行こうとしていた時、頑なに行かせまいとした。沢ではその日、突如鉄砲水が発生した。


 全てが偶然か、それとも神がかった力が働いていたのか。噂が噂を呼び、村の大人達は千歳を畏れ始めた。本人はそれに気づいているのかいないのか、相変わらず遠くの空を眺める毎日を送っていた。両親は日々の生活に追われながら、そんな娘を見守ることしかできなかった。


§


 そして次の夏、旱魃が一帯を襲った。以後三年にわたる不作続きで、餓死者が相次いだ。

周辺の村々との寄合が持たれ、川の源流たる山の神に贄を捧げなくてはならないという結論に至った。


(この村から人柱を出せば、今後引水や隠田の場所取りにも有利に働く)


 そう考えた長者は、人柱を自分の村から出すことを確約した。長者が真っ先に考えたのは、千歳だった。皆が怖がるあの娘なら、両親を除いて強く反対する者はいまい。問題は、娘をどうやって人柱にするか……。


 長者は頭を悩ませた。何せ、物ノ怪に憑かれているだの、神通力を持つだのと噂される娘である。迂闊に手を出してはこちらの身が危ういかも知れぬ。やるなら、一瞬でかたをつける必要がある。寄合からの帰路、長者は一計を案じた。長者は翌日、村の有力者を集め、山神様への祈りを込めて祭りを行うことを提案した。こんな時に祭りなどする余裕はないという反発の声も上がったが、長者がその真意を説明すると皆押し黙り、反対する者はいなくなった。


 そして、数日後の夜。山の麓の神社で、祭りが催された。老いも若きも集まって、長者の蓄えていた酒や、干物や雑炊が振る舞われた。村の若者達が境内の中心に火を起こし、その周囲で酒を飲み、楽を鳴らし、謡を歌った。宴もたけなわ、鬱屈した思いを吐き出すかのように酔いと興奮が高まった中で、長者が千歳を呼びつけた。長者は笑顔で彼女に赤い振袖を着せた。霞に松竹梅、桜や楓など、風雅な模様が贅沢に刺繍されている。


 千歳は無言だったが、少し驚いたように着せられた晴れ着を見下ろした。それは長者の娘が子供だった頃に作らせた、贅沢な一品だった。千歳の両親は突然の長者の行動を訝しんだものの、それがとても良く似合っていたので様子を見守ることにした。その次の瞬間。何かが、ヒュッと電光石火の如く彼女の元に飛翔した。白羽の矢であった。


 方角から見て、間違いなく社の影から射かけられたものだった。千歳は一言も発することなく突っ立っていたが、自らの喉を貫いた矢の先を不思議そうに見つめた。その小さな唇の間から大量の真っ赤な血がごぼり音を立て吹き出し、身を捩るようにふらりと倒れた。千歳はびくん、びくんと小さな体を震わせ、やがて動かなくなった。


 一部始終を見ていた両親が硬直から解けて悲鳴を上げ駆け寄ろうとしたが、若い者達に取り押さえられた。動揺が広がる前に、長者はすかさず大音声を張り上げた。


「白羽の矢じゃ!!娘は山神様に娶られたぞ!!」


 長者に言い含められていた有力者達がそれに続いてそうじゃ、そうじゃ、目出度いことじゃと大声を上げ、太鼓を叩いて騒ぎ立てた。


 そして娘は、あれよあれよという間に予め用意されていた棺桶に放り込まれ、山の奥に担ぎ出された。それがどこに埋められたのか、知る者は誰もが口を閉ざした。


§


 果たして山神へ贄を捧げたお蔭なのか、程なくその一帯には大雨が降った。潤いを取り戻した山里は危機を脱した。長者は「贄の儀式」が成功したこともあって、その権威を更に盤石なものとした。

その後、例年山里の神社では、村に雨が降り注いだ日に祭りが行われるようになった。


 それから十年目の祭日。長者は、村の衆の呑めや歌えやの騒ぎを目を細めて眺めていた。豊かになって行く村を、増えていく村人達を満足気な顔で眺めていた。


 十年前のあの日、儂のしたことに間違いは無かった。儂の目に狂いはなかった。あれは山神様への贄として相応しい娘だったのだ。娘は山の奥深くにある、山神が棲むとされる杉の古木の根元に埋めた。そして山は蘇った。里が豊かになったことを、皆も喜んでくれているではないか。


 あの娘の親は二人とも毎年祭りにも来ず、儂との関わりを極力避けている。だが、儂とてあの二人の年貢を軽くしてやったり、何かと便宜は図っているのだ。全て帳尻は合っている。


 それにしても今夜の酒は格段に旨い。何故なら、孫の婚儀が決まったのだ。相手は隣村の長者の娘。

(これからも、儂らの一族は安泰じゃ……)


思わず口元に笑いが浮かぶ。その時──。


 “ウフフフフ”


 どこからか、聞き慣れぬ、女の笑い声が聞こえた。


 “アハハハハハハハ”


 祭りの喧噪の中でも、妙に耳に響く高い笑い声。この感じは何だ……。老獪な長者の背に、ぞわぞわと悪寒が走り始めた。長年に亘って村での地位を守り抜いてきた強かな老人は、人一倍勘が鋭かった。その勘が、正体不明の不吉を訴えている。長者は村人たちの間に素早く目を走らせた。


 ちらり、と見覚えのある赤い着物が見えたとき、ドクンと胸が高鳴った。忌まわしい何かが、この中に紛れている。何故、“あれ”がここにある?何故、あ奴がここにいる?目を凝らしてその赤い姿を捉えようとするが、次の瞬間にはそこにはいない。そして、別の場所で赤い袖が舞うのが見えるのだ。まるでひらひらと舞う蝶のように、晴れ着姿の少女は現れては消え、現れては消えた。


 長者が内心焦りを覚えながらも娘の姿を目で追いまわしている最中、村人たちの中には宴とは異なるざわめきが広がり始めていた。村の衆が次々に、顔を歪め、喉を掻きむしりながら吐血しては倒れていく。


 “アハハハハハハハハハハハハハ”


 娘に触れられた者達は皆例外なく苦悶の表情を浮かべ、血反吐を吐きながら踊り死んだ。それはかつて、千歳の殺害と“贄の儀式”に関わった者達であった。そして、婚儀を控えた孫までもが、激しく咳き込みながら白目を剥いて倒れ、動かなくなった。


 それらの出来事が、まるで墨絵を見ているかのように現実味を失くしていく。灰色の世界の中で、鮮やかな色彩が一つ。かつて彼が、直に娘に着せてやった赤い振袖──。


「怨みを……晴らしに来おったか……」


 震える声で呟いた長者の背後に、ふっ、と冷気が流れた。すぐ後ろにいる。すぐ後ろから、肩越しに儂の顔を……。冷たい息が吹きかけられた。身動きが出来なかった。


 “フフフフフフフ”


 鈴を転がすような愉快そうな笑声が、耳元に響く。赤い袖口からするりと伸びた白く細い腕が彼の首に絡まり、ゆっくりと喉を締め上げた。絞められた所から、ギリギリと音が鳴りそうな恐ろしい力だった。真綿で締めるように、娘は死ぬ寸前の苦しみをじわじわと長者に与え続けた。


 ようやくその苦しみから解放された時、彼は白目を剥いて血が入り混じった泡を口から噴き出していた。

屋敷に居た長者の一族もまた、その殆どが一様に「赤い着物の娘」という言葉を残し喀血して死んだ。


§


 祭りの喧噪をよそに、娘を失った夫婦は小さな藁ぶきの小屋にいた。鋤や鍬の手入れをしたり、草鞋や小袖の修繕に勤しんでいる内に夜も更けてしまった。そろそろ寝ようとした頃、突然板戸を叩く音が聞こえた。


「こんな夜中に、どなたさんでごぜえますか?」


 尋ねても答えは無い。だが、戸の叩き方からして子供ではないかと察した男は板戸のつかえを外し、戸をがらがらと開いた。すると、戸口からは少し離れた場所―囲炉裏から漏れる光がどうにか届く辺り―に一人の少女が佇んでいた。暗くて顔は良く見えなかったが、短めに切り降ろした髪、やや丸顔の輪郭、そしてあの時の赤い着物……。


「千歳……千歳なのか?」


 男は我を忘れて走り寄ったが、そこにはもはや少女の姿は跡形もなくなっていた。

「千歳……千歳!!」

小屋から、男の妻が顔を出した。事を察した妻も、男と共に娘の名を呼び始めた。その声は、空しく夜の村に響き渡った。


§


 それから一、二年の間に、村人の半数がいなくなった。豪雨の際の濁流に巻き込まれたり、土砂崩れで生き埋めになったり、さらには山火事で死ぬ者もいた。


 それから数年経ち、村はようやく落ち着きを取り戻していた。かつての千歳の遊び仲間の子供たちは不思議な人影を見ることがあった。例えば子供らが遊んでいる時。気が付くと一人、綺麗な赤い着物の少女が紛れている。

 また別の時には、子供に襲い掛かろうとした山犬が、赤い着物の少女が現れた途端に脱兎のごとく逃げ出したこともあった。また別の時には、川で溺れそうになった子供が岩の上に救い上げられた。話によると、引き上げられた時に赤い袖を見たのだという。


 かつての旧友たちは、それが千歳であると噂しあった。子供達も、見知らぬ少女をいつしか親しみを込めて「ちーちゃん」と呼ぶようになった。


「ちーちゃんに会うには、隠し鬼をするといいよ」


 いつしかそんな噂が、子供の間に広まっていた。隠し鬼をしながら、鬼役の子が「ちーちゃんどっちだ」というと、ちーちゃんが目の前で手を叩くのだそうである。それを捕まえると、ちーちゃんが鬼になる。

鬼になった千歳──ちーちゃんは、普段は目に見えない。だから、大抵はちーちゃんが居るかのように振る舞うだけだった。


 それでも時折、鬼になったちーちゃんが子供らの手を掴む時があるらしい。子供らによると、腕にほんのりと温かい感触が残るのだそうである。

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